転機を迎えたEUの難民・移民政策
- 2018年 7月 21日
- 時代をみる
- EU盛田常夫難民
2015年に東地中海からマケドニア、セルビア、ハンガリーを越えて、大量の難民・移民がEU域内に押し寄せたことは記憶に新しい。2015年1年だけで、100万人を超える難民・移民がEU域内に流入した。
2015年9月、ハンガリーはセルビア国境を封鎖し、鉄条網で国境線を囲んだ。これにたいして、セルビア、クロアチア、オーストリアなどの近隣諸国は、ハンガリーの国境遮断を暴挙として非難し、難民収容所などの設置を暗黒時代への逆行だとハンガリー政府を批判した。それからほぼ3年を経過して、EU諸国の姿勢は大きく変化した。多くの国で難民・移民に寛容な政権が倒れ、厳しい姿勢をとる政府が次々に樹立されてきた。
この間、EUは難民・移民の受け入れスキームを作り、加盟諸国が分相応の負担を受け入れることを決議したが、実行は伴わなかった。その過程で、難民・移民受け入れに消極的なハンガリーやスロヴァキアへ制裁を発動すべきという強硬な意見が、北欧諸国やギリシア、イタリア政府からも発せられたが、イタリア新政府が難民・移民の受け入れ制限を打ち出すに至って、事態は意外な方向に展開しだした。
2018年6月28-29日に開催されたEUサミットのメインテーマの一つが、難民・移民問題であった。この会議の中で、従来の難民・移民政策の転換が図られた。EU委員会や欧州議会におけるこれまで大勢の主張は、ドイツ、フランス、オランダ、ベルギーや北欧諸国に代表される難民・移民への寛容政策であり、「難民割当て」に抵抗する中・東欧の旧社会主義国への非難と制裁要求であった。
ところが、フランスやイタリア、オーストリアやスロヴェニアにおける政権交代によって、難民・移民への寛容政策が転換されたのに伴い、EUは従来の政策の見直しを迫られた。しかも、もっとも寛容な政策で難民・移民を受け入れてきたドイツの政権内部から難民・移民政策の見直しへの強い要求があり、従来の「寛容政策」を継続すれば、政権そのものが崩壊する危機に見舞われた。これらの動きが従来のEUの政策の転換を迫った。
サミットの決議
サミット決議は、2015年に経験した制御不能な不法入国者を制限するためのEU国境管理の強化と関連諸国との対外政策、国内措置の重要性を再確認した。そのために、現在急増しているリビア沿岸からの西地中海ルートを経由する不法移民への対策を、リビアの沿岸警備隊の協力を実施することを謳っている。また、東地中海ルートを経由する不法移民にたいしては、トルコとEUの協定を確実に実施することによって、トルコ側が不法移民を仲介する密航組織に対処することを期待している。
不法移民を仲介する密航組織については、これらの組織のインセンティブをなくす方策が必要であり、そのためには救済された人々の取り扱いについて、明瞭な指針を打ち出すことの必要性を強調している。EU領域で救助された不法入国者について、国際法にもとづいて、それぞれの加盟国の自主的な努力によって不法移民と難民との区別を行い、それぞれ国際法に則って対処することが強調された。
引き続き、アフリカ沿岸諸国やトルコとの協力関係を保持して不法移民の移動を防ぐ重要性を強調し、不法移民への対処を厳格化し、難民との区別を明確にすることを求めている。
さらに、EU加盟国に、引き続き、EUの境界を守るための措置をとること、不法移民の送還を適切に実行する必要性を強調している。
EU内の難民の二次的移動にかんして、EUの難民政策とシェンゲン協定にもとづいて、EUの統一性を乱さないことが必要であり、各国は国内法を制定するなどして、難民の恣意的な移動に対処するように求めている。
EUにおける難民の統一的な取り扱いについて、加盟各国の責任と連帯のバランスをとって、ダブリン協定の改革にもとづく新たな措置を、10月の理事会に報告することが約束された。
サミット決議のポイント
難民・移民をめぐって、これまで曖昧にされてきた難民と不法移民の区別が明瞭にされたことが重要である。難民は無条件で保護されるべき人々だが、不法移民は送還対象になる。2015年の大量の難民・移民の流入において、純粋に難民と言える人々は高々2~3割程度で、難民と認定される人々ですら、ほとんどがドイツを目指していたように、最初から移民に近い難民であった。
本来、難民であれば、最初の到達した「平和国」で保護されるのが国際的な取り決めになっている。居住国を自ら指定する難民は、難民というより限りなく移民に近い存在である。しかも、身分を証明する公的文書を保持していないので、難民と移民の区別が難しく、2015年にはほとんど厳格な審査なしで、EU域内に大量の人々が流入した。この結果、シェンゲン協定は有名無実になり、EUの対外国境がないに等しい事態を迎えた。
こうした危機的状況にたいして、EUは対外国境の強化ではなく、難民の強制割当ての施策を優先決定し、さらには増え続ける難民・移民の加盟国への自動割当てスキームを策定し、それを拒否する加盟国には拒否する人員1人当りにつき、巨額の罰金を科す提案をおこなった。これにたいして、中・東欧4か国は抵抗の構えを見せただけでなく、それまでハンガリーを強く非難してきたオーストリアが政権交代によって厳しい難民・移民政策を打ち出し、今年に入ってイタリアの新政府がこのラインに加わったことによって、強制割当ての路線が後退し、新たな政策展開が必要になってきたのである。
こうして、EUとして初めて国境管理の重要性を強調し、域外でのキャンプ創設による難民と移民の選別、加盟国内での難民収容所の設立を公に議論するまでになった。実は、これらの諸点は、2015年にハンガリーのオルバン首相が提唱していていたが、現実的処理を優先する当時のEU首脳はそれを検討することなく、ハンガリーの提案は一蹴された。それから3年の時間を経過して、ようやく冷静に議論できる土俵が整った。
難民・移民の不寛容政策は右派ポピュリズムか
2015年秋、EU内では、ハンガリーのようにセルビア国境を閉鎖し、無条件で難民・移民を認めないのは、民族主義に基づく内向きのポピュリズムだという批判が蔓延した。当時はセルビアも、クロアチアも、オーストリアもすべてハンガリーを批判し、日本のメディアもハンガリーを偏狭な民族主義のポピュリズムと批判した。とくに、ドイツやオーストリアにおいては、難民収容所の設置は第二次大戦時におけるナチスドイツの強制収容所であるという批判が強く、難民・移民は、一定の審査の後は、自由にEUを往来できる権利を有した。
ところが、大量の難民・移民の移動に見舞われた地域社会は、社会生活が大きな変化を被ることになった。少数の移民であれば問題が小さかっただろうが、大量の移民が流入した地域社会は社会生活が一変してしまった。難民とも移民ともつかない人々が、昼間から路上にたむろし、地域社会の雰囲気が変わってしまった。難民・移民を受け入れていない地域の人々は気楽だが、共生を余儀なくされた地域の人々にとって、生活習慣、宗教、文化が異なる人々との付き合いは難しい。そもそもイスラム系の人々で最初からヨーロッパ社会に同化する覚悟で来ている人は非常にわずかである。そういう異文化の人々との共生を強制された地域社会の人々の気持ちや懸念を誰が代弁できるのだろうか。
ここに難民・移民の寛容政策に批判的な政党が躍進する素地がある。政府が地域社会の人々の気持ちを汲んでくれないなら、政府の政策に反対する政党を支持するしか方法がない。これをポピュリズムとして一刀両断のごとく切り捨てては、地域社会は生きる手立てがない。
たとえば、一人の難民学生を家族のように迎え、大学を卒業させて、当該社会で働けるようにすることは難しくない。ところが、ある日突然に、難民認定された家族が隣人となり、さらに親戚一同を呼び寄せる段になれば、日常生活は一変し、地域社会の雰囲気も変わっていく。隣家がモスクになり、多数の難民・移民が定期的に集まることにもなる。こうなると、地域社会の人々は、「庇を貸して母屋を取られる」思いだろう。
すでに旧宗主国で、イスラム系住民を多数抱えているオランダやベルギーならいざ知らず、それまでイスラム社会と関係がまったくない地域社会が、突然、イスラムの色に染まっていくのを座視するしかないのだろうか。ドイツ連邦政府法務大臣のゼーホーファハーはバイエルン州首相でもあり、難民・移民のドイツへの流入の窓口の州として、地域社会からの強い突き上げにあっている。地域社会が抱える現実問題は、観念的な人道主義や理想主義で解決できない、そこに生きる人々の社会生活の問題なのである。
観念的人道主義は左派ポピュリズム
EUを支えているのは欧州統合の理想主義であり、欧州左派は基本的に自由主義と連帯を重んじる。ところが、欧州左派の理想主義は、現実問題への観念論的な対応に終始することがある。難民・移民問題がその典型例である。
難民とも移民ともつかない人々の自由流入と自由移動を認めるのは、理想主義というより、無政府主義に近い。もともと、欧州左派には無政府主義的な傾向があり、それが顕著に現れたのが難民・移民の大量流入への対処である。理想的な人道主義を掲げるだけでは現実問題に対処できず、ほとんど無条件に不法流入者を受け入れるのは問題解決にならない。
欧州左派に限らず、理想主義者は建前を重んじて、現実を直視しない傾向がある。現実に難民・移民の大量流入者を抱えた地域社会は、従来の社会の規範が崩れ、社会生活が一変する。そこに居住する人々の気持ちを無視して、理想主義だけを掲げれば、支持を失うのは当然である。
理想主義は人々の感情を無視して、理性だけに頼っている。もちろん、理性にもとづく判断は重要だが、社会に生きる人々の感情・感性を無視したのでは、支持が得られない。社会生活においては、理性より感性の方が、はるかに強い力をもつ。欧州左派が理性だけにもとづいて、人々の感性を無視すれば、観念論に陥ってしまう。欧州をイスラム教とキリスト教の共生社会へと転換するという明瞭な社会意思があれば別だが、ほとんどの人々は欧州が雑居文化世界に変わることを望んでいないだろう。
にもかかわらず、難民・移民に不寛容な政策をポピュリズムと断罪し、自らの理想主義を正当化するのは、逆に空想的な左派ポピュリズムと批判されても仕方がない。
ソロスの意図と反ソロスキャンペーンの愚
ハンガリー出身でアメリカの投資家であるジョージ・ソロスは、難民・不法移民問題が顕在化する以前から、不法移民の支援を行ってきた。現在もなお、ソロス財団が支援する各種の民間団体が難民・移民の支援をおこなっているが、時として、密航支援を行っているのではないかとすら考えられる。もし密航支援を行っていたとすれば、明らかに不法入国幇助に当る。
ソロスの考えは明瞭であり、欧州の国境を撤廃し、人々が欧州内外から自由に移動できるようにすべきだと主張している。この信念にもとづいて、各種の難民・移民支援組織を金銭的に援助している。
ソロスは、「国境の存在は邪魔者であり、国境を撤廃して人々が欧州に入れるようにすべきだ」と主張して、ハンガリー政府が難民・移民を邪魔者にして、国境閉鎖したことを批判している。明らかに、ソロスは資本の論理から、市場原理主義的にすべての国境を開放して、市場を開くべきだと考えているようだ。
大金持ちで、慈善事業家の顔をもつが、一介のアメリカ市民にすぎないソロスが、アメリカで難民・移民の受け入れを主張するのではなく、欧州に出向いて国境撤廃・移民促進を主張するのはなぜか。しかも、欧州首脳はかなり頻繁にソロスと意見交換を行っている。ソロスがEU本部に出かけたり、各国首脳との私的な会談を行ったりしている。欧州左派の無政府主義的理想主義とソロスの市場原理主義にもとづく無政府主義が、目標を同じくするということだろうか。
これにたいして、ハンガリー政府はソロスがEUの難民・移民政策に多大な影響を与えている黒幕だと、激しい国内キャンペーンを繰り広げている。もっとも、今回のサミット決議のように、ソロスの考えとは正反対の結論が出されているから、ソロスがEUの難民・移民政策を決めているというハンガリー政府の主張は妥当性を欠く。一介のアメリカ市民に過ぎない人物を、あたかもハンガリー国の政敵のように扱うのは、一個人を国家レベルにまで引き上げる無用な政治宣伝である。もしそのような懸念があるのなら、EU委員会の場で、オルバン首相が質せばよいことである。対外的な場で正面から問題を提起することなしに、ハンガリー政府が国内向けに、反ソロスキャンペーンを展開するのは異常な政治行動で、明らかに難民・移民問題を利用した政権政党への支持を公費で強制する政治的キャンペーンだとみなされても仕方がないだろう。
残された問題
6月のEUサミットで一定の方向性が出されたとはいえ、いまだ解決すべき課題は多くかつ難しい。大きな課題は以下の三点である。
(1)EU国境外に、難民と移民を選別する施設をどうやって設立するのか。EU領域外の諸国の協力がなければ、実現できない課題である。
(2)各国の国境地帯に、収容所を設けて、厳格に難民と移民を選別するシステムがどのように機能するのだろうか。ドイツ社会民主党はこの種の収容施設が戦前の強制収容所と同じものだとして反対している。社会民主党の議論はドイツの歴史的事情や欧州左派の理想主義が混濁しているような議論だが、説得力・妥当性を欠くと言わざるを得ない。
(3)各国の収容所で不法移民と認定された人々や難民のEUへの最初の到着国への送還の具体的手順である。難民を最初に到達した平和国家へ送還するという原則は、究極的にギリシアやイタリアにすべての負担を押し付けることになるので、実現は難しい。この点の解決は先が見通せない。他方、不法移民の送還は直接に出身国へ送還すればよいことなので、比較的実現が容易である。
いずれにせよ、EUの難民・移民政策がようやく現実的な問題解決に向かって動き出した。
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