2018.ドイツ逗留日記(5)
- 2018年 7月 22日
- カルチャー
- 合澤 清
旅の二日目(7/16)は、去年下車して以来大いに気になったゴータ(Gotha)で途中下車してから、ゆっくり宿泊先のイエナ(Jena)に向かうことにした。
ゴータを散策、そしてイエナへ
去年も書いたので、重複することはできるだけ避けたいが、ゴータという名前ですぐ思い浮かぶのは、やはりマルクスの『ゴータ綱領批判』である。
ゴータで行われたドイツ社会民主党大会が、ラサール派の指導下で作成した、いわゆる「ゴータ綱領」を、マルクスが手厳しく批判したものだ。
ここを歩いてみようと本気で考えたのは、去年のことだ。歩き初めてすぐ、駅のすぐ近くに広い公園があり、それを横切ったところに美術館が、更にそこから坂を登ったところに立派なお城があることを知った。お城と美術館の見学は去年済ませた、そして、お城の上から真下の町を眺めながら、来年は町の方に行ってみたいと考えていた。その町を初めて散歩した。
旧東ドイツの古い町だけあって、大きくて立派な、しかも古風な建物が電車通り沿いから町中まで沢山ある。しかし、悲しいかな古めかしい家の大半は、窓をベニヤ板状のものでふさがれ、あるいは外壁が崩れ落ちていた。駅前から商店街の方へと続く市街電車の線路は、道路ごと全て掘りかえされ、盛り上がった線路部分と一部の狭い通路(バスの通行道)を残して補修工事が進んでいる。再開発の真っ最中であろう。しかし、未だに古い家の方には手がつかない状態のようだ。町へ行く途中に立派な庭園があり、かつてのこの一帯の城主の妻(ドロテーア)だった人の名前がついていた。
町全体は静かで、あまり人通りも多くない。また、やはり所々で壊れかけたような家の改修工事をやっているのを見かけた。
ブッター・シュトラーセ(バター通り)という、この町の繁華街に出た。この通りを中心に周辺の通りには商店街が並び、比較的にぎやかで活気があった。教会やスーパーマーケットもある。喫茶店が何件かあり、何れもお客でにぎわっていた。
初めての街をもう少し見物したくて、商店街の周辺をぶらぶら歩いて見た。豪華で美しい市役所がひときわ目立った。その前の広場をカミテに行けば、お城に出る。狭い町だ。
こんな狭い町のどこで、かつてのドイツ社会民主党の党大会をやったのだろうと訝しくなる。
あまり客が多くない喫茶店に入り一休みする。コーヒーと(疲れているので甘いものをと)洋菓子をもらったが、これがなかなかの優れものだ。ボリュームがあり、しかも甘さを抑えていて旨い。
再び工事中の電車道を通って駅に引き返すのは嫌だったので、店の女性に帰り路を訪ねる。親切で、人の良さそうな女(ひと)で、丁寧に帰り路を教えてくれた。そして教えられた通りに、お城と公園を抜けたらすぐ駅に出た。ゆったりとした時間を過ごした。
ゴータの市庁舎
町からお城を見上げる
イエナ
イエナの宿もホームステイ先の人に頼んで予約してもらったので一安心だった。しかも目指す宿泊先は、駅のすぐ眼と鼻の先にあった。
ところが、レセプションのドアが開かない。ノックをしても応答がない。ドアの前に貼り紙があり、ここに電話をしろという指示が書いてある。仕方なしに電話をしてみた。顔を見ながらの会話なら、何とか相手の言わんとすることも通じるものだが、電話は苦手だ。
それでも宿なしでは困るので、とにかく電話で、今着いたがレセプションが開かないで困っている、どうすれば良いのか、と伝える。
若い女性の声で何やら指示されているのだが、ところどころしか理解できない。それでも我慢して何度か聞き返してみたが、上手くいかない。なんだか、こちらの電話番号を聴いているようだ。なぜだかよくわからない。ついに、今、ホテルの前に居るからカギをもってきてもらいたい、と頼み込み、そしてそこの低い石塀に腰かけて待つことにした。
自分の語学力不足を痛感しながら、なんとも情けない気持ちだった。
10分位待ったかもしれない。若い、化粧気がないが美しい娘さんが自転車に乗って来てくれた。契約書を見せたらすぐに鍵を出して渡された。支払いは明日の朝でよいとのこと。
なんともあっさりして、テキパキとした応対で感じが良かった。
別にそのせいではないのだが、帰りかけるのを2~3度呼びとめて、どの部屋なのか、どの鍵なのか、支払いはどこですればよいのか、等々と尋ねてしまった。
後で判ったことだが、ホテルに予約を入れた時の電話番号(ホームステイ先の人の番号)と、私の携帯の番号が違っていたため不審に思われたようだ。
部屋も、お風呂場も広くてゆったりしていた。ただ、駅に近いせいで、時々バスが前の道を走る騒音が気になった。
夜の時間は、いつも行くドイツ郷土料理店の「赤鹿亭Roter Hirsch」(1509年創建の建物)で、Kulmbacherというビールを飲み、ドイツ風とんかつ(シュニッツェル)を食べる。
安いうえに、東京と違って大勢の客でごった返すこともなく、ゆったりとした雰囲気の中で、時々は店の人とおしゃべりを楽しみながら過ごすことが出来た。
改めて、この家の天井の梁の大きさ、頑丈さに驚かされる。ここはロフトまで入れると4階建てになっている。1.2階は居酒屋(レストラン)だが、3,4階は古い木賃宿(ガストハウス)である。これを600年間支え続けている。豪いもんだ。
翌朝(17日)早く、少し離れた別の駅まで散歩がてらに時刻表を調べに行った。駅のキオスクの様な所で、パンとコーヒーを求め朝食を摂ったが、ここの売り場の若い娘さんがまた非常に愛敬があり魅力的な人だった。ドイツにはこういう健康的で素直そうな人が多いのであろう。
その後、イエナのヘーゲル・ハウスに向かった。ハウスの一角は、今は保険屋が入っているようだ。そのすぐ脇の緑色の「ロマン派の館」(その昔、フィヒテ、シェリング、シュレーゲル兄弟などが住んでいたという)では、シュレーゲル展(「ロマンチックな宇宙への旅立ち」)が行われているようだった。
ロマン派の館
ヘーゲル・ハウス
ヘーゲル・ハウス
エアフルト経由でライプチッヒへ行く
イエナからライプチッヒへ直接行くのは不便である。各駅停車の乗り継ぎ、その都度の待ち合わせなどで相当に時間を取られる。それ故、一旦は後戻りして、エアフルトに行き、新幹線(ICE)に乗ることにした。
このテューリンゲン州の州都エアフルトは、かなり大きな街だ。有名なドームもあり、フィッシャーマルクト(魚市場)という豪華な装飾の施された商店が並ぶ美しい広場や、その近くのクレーマー橋という職人の家が橋の両側に立ち並ぶ場所など、観光的には見どころの多い町だ。
しかし、今回の目当ては、ドームの近くにある「カフェ・ラント」という喫茶店である。去年も来たのだが、残念ながら閉まっていた。ここのコーヒーは大変美味い。
今回はここでゆっくりとコーヒーを味わうことができた。
いよいよ最終目的のライプチッヒ目指して出発となる。
特にライプチッヒに目的となるものがあるわけでもないのだが、ここ数年、毎年来るたびにここに来ている。かなり前に、最初に来た時には、東西ドイツの統一直後で、街は薄汚れていて、いかにも田舎の古都という感じだった。それが、今ではすっかり都会風の華美な装いの町に様変わりしている。あちらこちらで出会う巨大建築物には目を見張らせるものが多い。特に建物の道路側に彫られている彫刻や塑像等は大いに興味深い。
いつもそうなのだが、今回もあまり時間がないため、先ず、若きゲーテが通っていたライプチッヒ大学のメンザ(学生食堂)で、軽食を食べて一休み。
この大学は、この季節、いつも大勢の学生がいる。夏学期はまだ終わっていないのだろうか?6,7月に終わって、長期の夏休みが始まるはずだが?子供連れの学生も目立つ。
各大学によってメンザのメニューが異なるのは当然だが、この大学のはかなり良いと思う。
大学へ向かう途中に、ニコライ教会がある。東西を分離した壁を破る機縁を作ったといわれるデモ(「月曜デモ」)が組織された場所として知られている。
また、J.S.バッハが音楽監督をつとめたトマス教会と共にこの町の二大教会としても知られる。
われわれも急ぎ足で、トマス教会まで行き、駅へと引きかえす。トマス教会に向かう途中で、この町の立派な市庁舎(今回初めてだったのかもしれない)に出会った。
ニコライ教会
トマス教会
市庁舎
(2018.7.21 記)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0663:180722〕
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