押し合いと引き合い
- 2018年 7月 27日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤 豊
トランプの嘘までついての手前勝手な主張を見聞きするたびに、タイで遭遇した日タイ米の交渉を思い出す。伝え聞く北朝鮮での対談結果に対する両者の評価の違いなど、生まれるべくして生まれたとしか思えない。それはなにもトランプだからということではない。アメリカ人が変わらない限り、似たようなことが起き続ける。今日も世界のどこかで起きているだろう。
アメリカ人は実に単純な人たちで、しばし世界には自分たちのやりかたしかない、あるいは自分たちのやり方が圧倒的に一番いいと信じている。自分たちとは違った習慣や文化があるということ、そしてどちらの文化が上だとか進んでいるということでなく、どちらも歴史に育まれた文化で相互に尊重しあわなければならないものだということを理解できる人は驚くほど少ない。
彼らにとって、交渉とは相手の利益や立場などに関係なく、自分の利益だけを考えて、「英語」でお互いに主張しあうものでしかない。彼らの文化では、たとえ言葉の綾にしても「あんたの言うのも分かるが、……」とでも言おうものなら、「分かってんなら、オレの言っていることで」という話になる、と思っているとしか思えないほど、相手の立場を一切考えないで押して押して押しまくるのが交渉だと思っている。
これはトランプのやり方そのもので、トランプは度が過ぎるにしても、アメリカの単純な文化の象徴と呼んでいい。アメリカ人と交渉するときは、日本流の相手の立場も考慮にいれての交渉は、不毛なものになりかねいから注意したほうがいい。
九十年代中頃、タイの巨大財閥の形鋼一貫圧延ラインプロジェクトに応札した。客はタイの財閥が五十一%、日本の電炉メーカが四十九%の合弁会社で、日本の電炉メーカからの技術移転だった。数年前に、米国で日本の電炉メーカが米国の電炉メーカと合弁でほぼ同じ規模のプロジェクトを完了したばかりだった。そのプロジェクトで電気制御系とモータ動力系を担当した実績――ヘトヘトになりながら完遂した――をもとにタイのプロジェクトを懲りずに取りに行くことになった。
タイの財閥の主要制御設備はドイツに本社を置く巨大重電エンジニアリング会社のものだった。極端な言い方をすれば、そこはヨーロッパの植民地のようなもので、製造設備の規格も仕様も、操業体制も保守体制も全てドイツを手本としているというか、そのまま持ってきていた。
日本の電炉メーカは金に汚いと言っても失礼にはならないどころか、まだ言い足りないところだった。タイの財閥に任せておけば、機械系も電気制御系も実績のあるヨーロッパの会社が無風で受注することになる。値切る、ベンダーを叩くのを誇りに思っている電炉メーカがドイツメーカを叩くためにもと、日本と米国の機械、電気制御メーカをタイに引っ張りだした。
日本と米国勢の構成は大まか次の通りで、絵に描いたような混成部隊だった。モータ制御系を担当した日本の重電メーカは、米国支社の副社長(重電出)がリーダで、日本の重電事業体の営業と技術陣、土木工事は日本の子会社。電気制御系を提供する米国制御機器メーカは、米国のドライブシステム事業部のDirectorが率いた技術陣、日本支社の営業、アプリケーション開発の下請けとしてインド支社の技術陣、クエートに永住のつもりだったのが、数週間前の中東戦争でタイのバンガロー(別荘?)に避難したままタイ支店を開設することになったイギリス人。日本と米国プラスアルファの構成だが、多少米国人になりすぎてしまった感のある日本の重電メーカの米国支社の副社長と米国制御器メーカのDirectorが個人的に親密な交流もあって米国流二人三脚でチームを引っ張った。
タイの財閥側の担当者と日本の電炉メーカの担当者の間には埋めようのない溝があった。資本構成では四十九%だが、電炉操業ノウハウを提供するという上から目線でタイ側の自由にはさせないという姿勢を押し通そうとしていた。タイ側にしてみれば、ドイツに任せて問題なくきているのだから、今回もドイツに任せればいい、余計な口出しは無用と日本の電炉メーカを押し返そうとしていた。金に汚い電炉メーカは、任せるのはいいが、言い値をどれだけ叩いて安くできるのか?タイの技術陣では技術上の問題を持ちだされてはぐらかされて、高い買い物をさせられるのではないかと思っていた。
ドイツメーカはタイ側から切り崩そうと、合弁企業の上から下の担当者も含めて、何度もドイツ工場視察付き観光旅行にお連れしていた。ドイツで何があったのか日本の電炉メーカの担当技術者から逐一リークというか対抗策の要望がでてくるが、米国企業では接待や饗応は固く禁じられていて受けきれない。
そこに日本の電炉メーカ内の役員とプロジェクトマネージャとその配下の実務担当者の間で人柄まで絡んだ確執や利害の交錯がこっちにまで滲み出てくる。役員には米国のプロジェクトの時の貸しがある。ケチが高じて自業自得――個々の担当者しか置かず、プロジェクト全体を見る人と組織を置かなかったためプロジェクトがぐちゃぐちゃなった。人払いまでして収拾を頼まれて走り回った。今回も似たようなもんで、担当技術者と蜜に情報を交換してプロジェクトとまとめてもらいたいと、当たり前のように言ってきた。ただし、その類のサービスには金は出さない。
問題はプロジェクトマネージャだった。機械系の受注は、当時世界の製鉄業界の雄だった製鉄会社のプラント事業部が受注することは間違いない状況だった。そのプロジェクトマネージャは何年か前に、その製鉄会社をレイオフされて、電炉メーカに拾ってもらった経緯のある人だった。コンプレックスもあったろうし、嫌な思いもあったと思う、同情までいかなくても気持ちを察するくらいの気持ちはこっちにもある。ただ、度が過ぎる。まるで江戸の敵を長崎での見本のような振る舞いに終始した。まとめようとする以上にベンダーを叩いて、困らせて己の得た権力がどのくらいのものかを誇示する方に気がいってしまって、やっと合意にと思ったら、よこから重箱の隅をつついて、どうでもいいことを持ちだして話を振出しに戻そうとした。
それも英語がほとんどできないので、彼が話しだすと、何を言いたいのか想像が付くまでに時間がかかった。後になって思えば、寂しい人だった。
値切られ値切られ、譲歩に譲歩を重ねて、理不尽な要求も何とかパートナーと一緒に吸収する算段をしながら半年以上に渡ってTechnical Reviewとは名ばかりの四日間程度のミーティングを繰り返した。タイの財閥側の人たちには標準はドイツのシステムで、これに比べてどうなんだという質問に応えるかたちでミーティングが進む。
タイ側が訊く、日米側が応える。米国人にも日本人にもタイ側が納得しているように見える。見えるのだが、答えた内容はタイ側が期待している内容ではなく、タイ側は全く納得していない。彼らの穏やかな話し方、態度、全てから、見たところは納得しているようにしか見えない。
日本の電炉メーカの技術担当者から毎晩ホテルの部屋に電話が入る。タイ側が繰り返している要求がまったく満たされていない、明日のミーティングではきちんとしてほしいと言われる。重電メーカの副社長と営業課長に部屋に来てもらって、対策を話し合うが、副社長はもうアメリカ人のようになっていて、話がかみ合わない。
最終的には、お互いに合意事項としての議事録にサインして四日ほどのミーティングが終わる。ところが二週間もしないうちにまたTechnical reviewの案内が届く。内容は前回、前々回と何も変わらない。まるでレコードの針が飛んだかのように、同じところをぐるぐる回っているだけだった。
似たような事が何回も繰り返されれば、いつものアメリカ人相手とは何か違うと感じてもよさそうなものなのだが、米国側は「世界標準のやり方」で、前回のミーティングで合意して双方がサインしたのだから、プロジェクトの受注が間違いないと信じている。合意してサインしたのに発注しないというのが彼らの常識では考えられない。
タイ側にしてみれば、サインしたのはミーティングで話は聞きましたという事実の確認だけで、聞いた話に納得などしてないし、何も決まっていないと思っている。
会議をすれば、米国側のロジックで米国側が主張する、タイ側はそれを受け流す。相手の言い分を穏やかに聞く。決して相手を押し返さない。相手はそう思っているのだと理解はしましたよって感じなのだろう。ミーティングは一日に何度も暗礁に乗り上げる。バイヤーもセラーも一枚岩ではない。バイヤーはタイ側と日本側で常に利益が一致しているわけでもないし、セラー側も日本の本社の立場とアメリカ支社の立場がある。そこに米国の制御機器メーカも入って、何かあるたびに誰が負担すべきなのかという押し付け合いが始まる。
そのうちミーティングを続けてもしょうがないと、数人が部屋を出て、廊下でタバコを吸い始める。そこに関係者が集まってきて、廊下のあちこちで立ち話の個別ミーティングになる。日本支社の営業マンとして、あっちの個別ミーティングの要求をこっちの個別ミーティングで話して、それなりの案が固まったらあっちのミーティングへと行ったり来たりしていた。三十分もすれば、個別ミーティングもそこそこ合意に達して、合意を基に会議室で全体会議になる。そして、また一時間もしないうちに分裂して、廊下でタバコを吸いながらの個別ミーティングになる。
タイ側は決して言葉を荒げない。何時も相手に対して気を使う。気を使いすぎではないかと思えるほどに、こっちのことを考えて、色々してくれる。変な比喩になるが、こんな感じと思えばいい。
ここに、疲れきった二人がいる。椅子は一個しかない。米国流の交渉では、相手のことには関係なく、自分がいかに疲れていて椅子に座る権利と理由があるかを主張して相手を押し込んで、同じように相手に押し込まれて、押して押されてバランスしたところが合意点になる。タイでは、自分が座らなければならない理由ではなく、相手が座らなければならない理由を主張する。相手も同じでこっちが座らなければならない理由を主張する。ちょうど引いて引かれてバランスしたところが合意点というアメリカ人には到底理解できない文化がある。
米国側は交渉で相手を説得した、勝ったと思っている。そこへ、日本の電炉メーカの担当技術者から実情のリークが入ってくる。内容を米国人と米国人に近くなってしまった日本人に伝える。交渉は「押すもの」としか考えられない彼らには実情を説明しても分かってもらえない。もらえないどころか、お前は何を言ってると叱責された。
日本支社の社長になんども交渉は崩壊状態であることを説明したが、アメリカの事業部から来月にも受注という話を信じて、実情を具申してくる自分の部下を信用しなかった。自分たちがアメリカではなく、日本でもないタイという譲り合いの国にきていることを理解できない人たちだった。
最後は、タイのコングロマリットの人たちと、ほとんど話ができない状態にまで関係が悪化してしまった。多分、こっちの顔は二度と見たくないと思っていたと思う。それでも、最後に別れる時に、タイ側の人たちの本当にしか見えない微笑みと次のプロジェクトでは一緒に仕事をしようと、しっかり握手して……。 米国人は狐につままれたような顔をして、こっちはそういうことだと何度も反芻して、巨大財閥を後にした。
半年以上もかけてタイの文化を勉強させて頂いて、異文化を勉強しえない文化の人たちもいることを知って終わった。
トランプとその取り巻き、北朝鮮までいって狐につままれたような気になって帰ってきたんじゃないかと想像している。ある意味、アメリカの粋のような人たち、何を勉強できるとも思えない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7863:180727〕
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