犬養毅の5・15をめぐる知的対話 ―保阪正康『昭和の怪物 七つの謎』を読んで―
- 2018年 8月 24日
- カルチャー
- 半澤健市書評犬養毅
ノンフィクション作家保阪正康(ほさか・まさやす、1939~)は、過去半世紀近く、インタビューと文献渉猟によって「昭和史」を書き続けてきた。しかし「昭和」も遠くなり、「平成」もあと一年半で終わる。今この作家は、なお新作を発表する一方で、既往の著作に新しい光を当てて再構築をしている。
《思わせぶりなタイトルだが》
『サンデー毎日』に連載され新書版となった近著『昭和の怪物 七つの謎』は、タイトルは思わせ振りだが、この試みの一つである。七つの謎に登場する怪物は、東条英機・石原莞爾・犬養毅・渡辺和子・瀬島龍三・吉田茂。ただし犬養は孫娘道子が、渡辺の場合は二・二六の犠牲者錠太郎の娘が語られる。本稿では、祖父犬養毅(いぬかい・つよし、1855~1932)を書いた孫娘道子と保阪の対話と交流を紹介したい。私がその対話に感銘を受けたからである。
1992年に、犬養毅没後60年の追悼会が、親族や限られた関係者によって行われた。その際、保阪は毅の子息犬養康彦(共同通信社社長・当時)の依頼で「五・一五事件」について一時間ほど話をした。保阪は、「話せばわかる」の犬養暗殺が、暴力が全面に出てくる次代のきっかけになったと「怒りの口調」で語った。そして毅を「憲政の神様」と讃え、「議会政治家としてその使命を全うした。その政治経歴も非の打ちどころがなく、まさしくテロの犠牲になった悲劇の政治家であった」と賞賛した。保阪は、犬養には大局観において欠ける点もあったという批判を控えた。こういう席でのマイナスの話は礼儀に反することだと、当時52歳のジャーナリストは考えたのである。
《保阪正康講演と犬養道子の批判》
次に70歳の犬養道子(1921~2017)が登壇した。そして凜とした声で「保阪さん」と彼に語りかけた。本書で保阪はこう書いている。(■から■、「/」は中略を示す)
■今、保阪さんから祖父のことを称揚気味に語っていただきました。それは遺族としてはありがたいのですが、しかし犬養毅という政治家も多くの矛盾を背負った政治家だったのです。そこのところを語らなければ毅像というのは正確に理解できません。祖父に同情していただくお気持ちはわかりますが、歴史上の評価は別です。こういう席だといって何も遠慮しなくていいのです。/私は自分のもっとも痛い所を突かれたようで、その一言一言が身体中に刺さってくる感を受けた■
それから10年かけて、保阪は犬養毅に関係する文書を読んだ。犬養康彦から預託された膨大で貴重な資料である。それを検証する過程で改めて道子の発言の意味を深く考えることになった。彼女の「多くの矛盾を背負った政治家だったのです。そこのところを語らなければ・・」という発言を受けて、保阪が考えぬいたことを二つを紹介する。
《犬養毅の「矛盾と弱さ」》
一つ。犬養道子は自著「花々と星々と」にこう書いている。
■犬養内閣は本質的な矛盾と弱さをはらんでいたとよく言われる。陸軍大臣に荒木中将を据え、内閣書記官長に関東軍と通じ関東軍路線を支持するのみならず推進するほどの、曾ての三井の切れ手、森恪(もり・つとむ)を置いていたからである。/しかしいま、私は思うのである――荒木・森の二人を内閣中枢に据えたこと自体、お祖父ちゃまの――追いつめられたお祖父ちゃまの――最後に打った手なのであったと。俗に、虎穴に入らずんば虎児を得ずと言うではないか。最も「危険」なふたりを己が懐中に抱えることによって彼らの動きを牽制したいと彼は叶わぬ望みを望んだのであった。滔々と流れ、あらゆる支流を呑み加え、「狂」の一文字にあてはまる勢で破局に向ってゆく潮を、身をいかに挺そうとも食いとめられるものではないと、彼の理性は読んでいたろう■
保阪はこの文章を読んで次のように反応している。
■(五・一五事件を論じた著作の中で)犬養首相の心理をここまで分析した書はない。そして今、私自身、こうして犬養首相の心理に、道子氏の筆を借りながら沿っていくと、はっと思い至る点もある。そうか、もしかすると道子氏は二十六年前のあの犬養家の儀式のときに私に伝えたかったのは、ここまで分析を進め、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の見通しの甘さ見抜いてほしかったのではないかと考えたくもなってくる■
《犬養毅は「話せばわかる」と言っていない》
もう一つ。「話せばわかる」に関する、道子の重要な発言、即ち「犬養毅の『話せばわかる』は、真実ではなかった」という点である。海軍士官らによる犬養殺害の一部始終を見たのは、道子の母親であった。母親および女中らの証言による、道子の文章から、「毅の言葉」だけを時系列で並べると次のようになる。
「いいや、逃げぬ」、「逃げない、会おう」、「まあ、急ぐな」、「撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話をきこう・・ついて来い」、「まあ、靴でも脱げや、話を聞こう・・」、(この直後撃たれる、このあとは女中の証言)「呼んで来い、いまの若いモン、話して聞かせることがある」、「煙草に火をつけろ」、「もうよい、呼んでこい・・・」「怪我はなかったか、仲さん」。
毅の言葉は、「花々と星々と」(『犬養道子自選集2』、岩波書店、1998年)からとった。次に、「話せばわかる」と誤伝されたことに疑問を呈した道子の文章を引用する。(「ある歴史の娘」、前掲書)。
《話してわからぬ時代なればこそ》
■お祖父ちゃまと言う人はこんな一語を麗々しくのこすにしてはもう少々、わけ知りの人であった筈だと、私はいつも思っていたのである。「話せばわかる」ていどの生やさしい時代であったなら、元来、あんな事件の起るべくもなかった。「話して聞かせればわかる」軍であったなら、そもそも日本は満州以降太平洋の戦いにまでひきずられて行かなかった筈である。いくら話そうとわからない、わかるまいと前以て確固とかかる相手であることを、それが時代の性格であることを、だれよりもよく知りつくしていたのは、その強大な力の前に在って、「話の政治」すなわち議会制度のせめて最低線を守ろうとした、不可能を知りつつ身を投げ出した無力非力のお祖父ちゃま自身であったのである。/話してわからぬ時代なればこそ、祖父も死んだ。高橋是清も死んだ。斎藤実大将も死んだ。この時代性と人間の頑固さとを無視して「話せばわかる」の一語だけを取り上げ後世にのこすことは、どこかまちがっているのじゃあるまいか、私はつねに思いつづけていた。■
保阪は「この一言で世の中よくなると考えるのは歴史の本質を忘れさせてしまうと道子氏は言っている。私もまったく同じ論理で同調する。/この事件を犬養家の側から見つめること、それが今の時代、とくに必要なのではないか」と書いている。
《「ある歴史の娘」の批判への知的な対応》
犬養毅を論じたノンフィクション作家。その言説をソフトに批判した毅の孫娘。さらに、時間をかけて、批判に対応した作家。二人のプロフェッショナルの知的な対話に私はうたれる。その今日的な意義を発信する作家の精神に私は共感する。
私が紹介したのは本書のごく一部である。しかし神は細部に宿るという。個別事実の実証と評価が人の心をどんなに打つものか。本書はそれを知るための適切な歴史書だと思う。
(2018/08/20)
■保阪正康『昭和の怪物 七つの謎』、講談社現代新書、2018年7月刊、880円+税
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