「マルクスは何故『資本論』を完成させなかったのか」──周回遅れの読書報告(その72)
- 2018年 9月 9日
- 評論・紹介・意見
- ちきゅう座会員脇野町善造
山口重克・平林千牧編『マルクス経済学・方法と理論』は、随分と昔になくなった日高普教授の還暦記念としてまとめられたものであるから、その古さが知れる。執筆者のなかには、渡邊寛、侘美光彦、杉浦克己ら、もう世を去った人達も少なくない。
この記念論文集に、福留久大の「マルクス農業労働者論」という論文が収められている。
その論文の176頁~177頁に次のような文章がある。
当初[『資本論』第1巻に]続刊される計画だった第2巻第3巻は[第1巻刊行の1867年から]1883年のマルクスの死までついに未完のままだった。10数年の歳月がありながら、第2巻第3巻の最終稿が完成しなかったについては、マルクスの確信──理論的研究は第1巻第7篇「資本の蓄積」で完結するという信念が、大きく影響しているのではないだろうか。第1巻第7篇で近代社会の経済的法則の解明を締め括ったマルクスは、第2巻第3巻の検討の意欲を失うに至ったのではないだろうか。メーリング的に「絶えず新しくますます深くなる研究、長い病気」を挙げるだけでは、第1巻の彫琢と第2巻第3巻の放置を説明することはできないであろう。
確かに、『資本論』が未完成に終わったのは大きな謎である。福留のいうところに従えば、マルクスは『資本論』のこれ以上の研究の意欲を失ったからだということになる。
一方で、伊藤成彦の次のような主張もある(これは2001年5月25日「降旗節雄著作集の刊行を祝う会」での伊藤成彦の発言である)。
マルクスの『資本論』は完成しなかった。しかし、完成できなかったのではない。晩年のマルクスの関心が共同体論に行き、結果としてマルクスは『資本論』を完成させなかったのだ。
共同体論は極めて重要な問題だ。今、ローザ・ルクセンブルグ全集の刊行に取り組んでいる。その過程で、彼女の未発表論文の探索をやった。かなりのものが見つかった。そのなかに、モスクワで発見された「奴隷制論」がある。この冒頭で、彼女はエンゲルス批判を行っている。古代共同体が何故崩壊したかについては、エンゲルスは階級分化による共同体内部からの崩壊を主張したが、ローザは共同体の外側から崩壊を言っている。つまり、共同体は外部に対する戦闘行為を繰り返した。このために、一方で戦闘のための集団の形成が必要となり、他方で、戦闘の結果として、奴隷集団が形成された。この共同体の外部とのかかわりによって形成された二つの集団が共同体を崩壊させたのだ。ローザはそう主張してエンゲルスを批判する。
近いうちに、この論文の公表を考えたい。
伊藤の「この論文」がどういうタイトルのもとで公表されたのか、それとも公表されなかったのか、いずれも知らない。ともかくマルクスの関心が共同体論に向かい、結果として『資本論』が未完成に終わったというのは、興味深い視角である。伊藤の真意を聞きたいところだが、もう伊藤は死んでいる(福留は元気に活躍している。彼に伊藤の発言について意見を聞きたいものだ)。
福留論文に気が付いたのが、論文公刊の30数年後、伊藤発言を思い出したのが、その発言の17年後とあっては、「遅すぎる」と言うしかないが、マルクスはなぜ『資本論』を完成させなかったのか、ということを誰かが研究してくれることを期待したい。
山口重克・平林千牧編『マルクス経済学・方法と理論』(時潮社、1984)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion7978:180909〕
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