どこの国の国民であろうと、国連が提案している核兵器禁止条約への各国の署名、批准に賛同しようではないか
- 2018年 9月 19日
- 評論・紹介・意見
- 岡本磐男核核兵器
今日の私達人間は、1発の核爆弾の投下が一人の核保有国の為政者の命令によって100万人もの人間が殺戮されるというきわめて不条理な世界に生存している。こんなことが起こりうるかというのが一問題ではある。だが現実はそうなのである。
今年8月6日における広島の松井市長の平和式典での平和宣言と9日における長崎の田上市長の平和式典での平和宣言には、例年のそれとは異なった特別な主張がもりこまれていた。それは昨年度採択へ向けて制定した核兵器禁止条約に日本政府も参加してほしいというものだった。大部分の非核保有国が参加を表明しているにも拘わらず唯一の被爆国たる日本政府はこれに参加を表明していないためである。例えば長崎市長はいう。昨年、大量破壊兵器の廃絶の「決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多くの人々の努力が実り国連で核兵器禁止条約が採択されました。・・・・・そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が1日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めて下さい。」と。これに対して日本政府として安倍政権は、この条約には参加しないとしているが、その理由としては、核廃絶のためには、核保有国と非核保有国との間の調整が必要であるが、日本がその調整役を引き受けるのにふさわしい立場にあるためだ等と勝手な理くつをつけている。決して核廃絶のための先頭に立つという姿勢を示していないのである。
73年前の米軍によるヒロシマ・ナガサキへの原子爆弾投下という惨劇についてくり返し伝えようとは思わないが、なぜ日本政府は
戦勝国米国への追従の姿勢ばかりを示し、原子爆弾(核)を投下された唯一の被爆国としての積極的姿勢を示さないのだろうか。その点は全く理解に苦しむところである。世界では、一方では広島、長崎の市長の平和宣言にもられているような核廃絶へ向かう気運がある半面、他方では核保有国の側では核兵器を現実に使用可能な兵器へと改良しようとするような危険な動きも見受けられるのである。
新聞報道(朝日新聞2018年8月10日)によれば、核兵器廃絶をめざす運動は1950年代半ばより原水爆禁止日本協議会(原水協-共産党系)と原水爆禁止日本国民会議(原水禁-社会党系)の二つに分裂し展開されてきたが、その両者が今年からは統合し一体化する兆候をみせはじめたということである。これはきわめて好ましい傾向であると思う。核廃絶のような困難ではあっても単純な問題についても、さまざまな見解の対立から政治的に対立することがあるということは、そこには二つの組織的運動において大変なご苦労があったと思われるが、それが統合されるということは、運動が強化されるという意味でまことにめでたい限りであると思う。次第にこうした流れが垣根をこえて強められることを期待したいものである。
私は広島平和公園に建てられた原爆慰霊碑にきざまれた文言、すなわち「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」という言葉に出会うと、日本人とは何と心の優しい民族なのか、という思いを深くする。この言葉は広島の被爆者達の意見を聞きながら当局者がきざんだものであろうが、生き残った被爆者達は原爆投下によって健康面での被害をうけたばかりではなく、就職や結婚等の人生の重大事においても運命を狂わされてきた人達であろう。その人達が原爆に対して報復はしないときっぱりと宣言しているのである。何と立派な態度ではないか。もっともこの言葉には主語がない、等の批判もあったことは承知しているがその点はここでは不問にふしたい。もっともここで日本人だからこのように言ったのであって欧米人だったら何といっただろうか、等の疑問もわくであろう。だが私は欧米人であったとしても、一般に庶民だとしたら人類に共通なこうした優しい気持はもっているのではないかと思っている。現在から40年以上前に私は妻と子供2人の家族と共にロンドンに1年間滞在していたことがあるが、そのさい毎週日曜日にイエス・キリストの教会に通っていた。日本人の家族が珍しかったせいか、牧師さんや教会員の方々が屡々わが家を訪れてくれた。日本という国がどんな国か、南半球にあるのか北半球にあるのかさえ明白には知らなかった彼等だが、ヒロシマという都市とナガサキという都市に第2次世界大戦末期に原子爆弾という非人道的な残虐な爆弾を投下されたことだけは知っていた。この爆弾について種々の質問を受け、また被爆者の健康を気遣ってくれたことを思い出す。
これに対して核保有国の権力者たちや支配層の人達は、核というものの非人道性や残虐性について強調されることは自らの権力の正当性すら疑われかねないので反対の立場にたつであろう。そしてむしろ核兵器をもつことは、戦争に対する抑止力をもつことになり、平和を維持するために必要なのだという議論を展開するであろう。そしてかなり多くの大衆、庶民もこの議論に追従するようになるのである。だがこの議論は本当に正しいのだろうか。私は国際的な紛争や戦争の原因についてより深く知らねばならぬと思っている。最近の数日間にわたる新聞報道においても中東・シリアでは大規模な内戦・戦争が起こりそうだという記事がのっているが、シリアの内戦においては、宗教・民族の問題が絡むので省略し、むしろ現在米国大統領トランプ氏が米国以外の資本主義国(ここでは中国を含む、なぜなら中国は社会主義をめざしている国ではあるが、まだ実体は資本主義に近いからである。)に対立、抗争の姿勢を示す結果となっている貿易戦争にこそ着目したい。実際現在、中国と米国との間で貿易赤字を削減するために相互に関税を引き上げることによって輸入を削減しつつGDPの低下を抑えようとするあの問題である。(米中間の問題は今後より深刻化する傾向があると考える)ここに資本主義体制というシステムは、必ずしも平和なシステムではないことが判る。(だからこそ中国は資本主義ではなく社会主義のシステムをめざしているのである)
だが資本主義体制という経済体制が必ずしも平和を求める体制ではないということは、第2次世界大戦という帝国主義戦争によっても既に明らかなことだったのではなかろうか。その点を最もよく示しているのは、第2次大戦を導いた日中戦争の導火線となった満州事変である。満州事変はなぜ発生したのだろうか。それは一方では日本の昭和初期には、農産物・食糧が農民の手によって過剰に生産されており売ることができる市場がなかった。だから海外に販売市場を求めていた。他方で、財閥企業の資本も過剰となっており利潤率は低下していた。また資金も過剰となっており金利も低下していた。折しも中国領土の一部の満州地方は権力による支配が弱体化しており日本軍によって容易に奪取、植民地化されるような状況にあった。それ故日本の軍の一部としての関東軍が満州へ侵略し、日本の財閥は満州に資本や資金を送り、さらに日本国内であり余っている農産物や食糧を輸出し資本と貿易を黒字化しようとしたのである。そしてGDPを引き上げようとした。まさに「満州は日本国家の生命線である」という情況を創りだしたわけである。
ここで注意すべきは日本の領土が狭いから領土を拡大しようとしたのではなく、市場が狭いから市場を拡大しようとしたのである。だがその後は領土も拡大しようとする傾向が強くなる。これが帝国主義侵略である。だがこうした侵略が生ずれば、侵略された側は当然に反抗する。ここに帝国主義戦争が惹起されるのである。
このような貿易戦争は、次第に軍事力を使う熱い戦争に転化していく可能性があるが初期の段階では明らかに通常兵器で限定された小規模の戦争に止まるかもしれない。だが貿易戦争は経済戦争であり一部の人を貧困に追いこみ、生活を成りたたなくさせていくがその程度がひどくなるにつれてより大規模な戦争もやむなしという観念が生じ、核兵器の使用も仕方がないといった風潮が生ずるかもしれない。だが実は政治家達はそうなる前に何回も国際会議を開いたりしてできるだけ通常兵器の戦争の段階で戦争をくいとめることに腐心せねばならない。そして一般大衆は、平和運動家として最も重要なことは、何としても政治家達に核兵器を使わせないことだと自覚して核の非人道性、および残虐性を訴え続け、そのことを時代の精神としていかねばならぬ。資本主義とは、人間の論理によってではなく、資本の論理によって動く社会である。今後の戦争は支配層の人達が行うのではなく、物としての資本が行うのかもしれないので人間は、立ち上がりこれにうち勝っていくことが重要なのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8012:180919〕
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