新宿農場 「越後いろりん村」から初めて米が届くよ~
- 2018年 10月 6日
- 評論・紹介・意見
- ちきゅう座会員村尾知恵子
毎週日曜日、午後4時頃になると、都庁横に、路上の仲間に届けるおにぎりが到着する。新宿連絡会(新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議)の高田馬場事務所で作られて、運転手くまさん(ニックネーム)たちが運んでくれる。
今日のおにぎりメニューは何かな、路上の仲間もおにぎりの具材を楽しみにしてくれている。おにぎりのそれぞれに小さな色のシールを貼って分かり易くして、手渡す時には梅、コンブ、肉、魚、野菜などなど伝えられる。野菜は「いろりん村」の漬物もありそうだ。とてもありがたい。
先日、いつも頭にタオルを巻いて作業着姿のくまさんが、「10月8日はいろりん村で稲刈りをする予定だよ~」と得意げにさらりと口にした。くまさんは北海道出身で、小さい頃には炭焼きもしていたという。いろりん村にも小さな炭焼きかまども作っていたが、出来具合はいまひとつで、焼肉屋はまだまだこれからと笑う。農業は得意だ。
今年の夏の猛烈な暑さの連続は特別であったが、越後いろりん村の田んぼや畑では作物が順調に育っていっているとは聞いていた。毎月一回数人の仲間が数日間、いろりん村で農作業をする。モロッコいんげん、トマト、茄子、ピーマン、パプリカと収穫のお裾分けもしてもらった。プリプリ、ジューとおいしかった。そして今年は初めての稲刈りをする。やった~!
いろりん村があるのは、新潟県十日町市浦田。十日町市の中でも奥の奥、雪深い村、多い年には積雪が4mを超えることがあるという。
都会から移り住んだ木暮さん夫婦が、茅葺屋根の古民家を修復し、農業は初めてだから、見よう見まねで米を作って暮らしてきた。映画「風の波紋」(小林茂監督、2015年)で紹介された夫婦だ。風が教えてくれたこと―命と暮らす、命を食べる。
木暮さんの周りには不思議と個性豊かな仲間が集まり、90年代初頭の新宿ダンボール村を共に関わった新宿連絡会の仲間が加わり、集落の一角に「越後いろりん村」が作られた。小さな茅葺屋根の小屋に、炭焼き小屋と野天風呂ではあるが、ゆるやかなつながりは個性的な仲間を気持ちよく包み込んで協働作業が継続している。
まだ始まったばかりだけど、働きと生活を組み立てる場として何かの希望が感じ取れるような気がする。別掲の「いろりん村七カ条」には、私たちの共有したい夢が伝わってくる。
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最後に、昨年9月の「新宿連絡会News」から、木暮さんのいろりん村便りを紹介しておきたい。
2017/9/3
夏のない夏が終わった。東京も雨の多い夏だったようだけど、いろりん村も雨ばっかりで気温が上がらない日が多かった。野宿の方々にも辛い夏だったかと思うけど、百姓もそうだ。何といってもお天気してくれないと野菜の出来も悪いし、お米も不作になってしまう。
昔から「百姓殺すに刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい」なんて言われたもんだし、「百姓」を「土方」に置き換えたりもしてた。太陽が出れば汗だくで、雨が降ればずぶ濡れで、その点ホワイトカラーと呼ばれた会社員の皆様は羨ましい。いつの間にやら泥にまみれて日に焼かれての仕事は蔑まれることになった。でもね、俺たちには自然に近いところに生きている楽しさがあるんだよな。
いろりん村では日が出たら働いて、日が沈んだら寝てられる。季節に撚り添いながらの作業をこなして、正月にはモチ食って夏の朝にはもぎたてトマトをかじって、旬の物を食べて暮らす幸福感がある。とは言っても、今年の野菜のできはまるでだめだ。やっぱりお天道さまに活躍して頂かないと、人間なんて小さなもんだ。併せて今年の夏は茅葺き工事にばかり集中して畑がおろそかになった。近所の年寄りは、農作物には何と言っても人の手が大切なのだという。つまり、自然と人間のコラボレーション、共生関係が大切だ。小さな小屋は大きな茅葺屋根ができてかなりグレードアップした。「農場」としてはなかなか成果が出せないいろりん村だが、着々と整いつつある。乞うご期待ってところだ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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