ドイツ通信第132号 ブラジルの選挙と極右ファシスト――スポーツの祭典の後に
- 2018年 10月 15日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
トルコからは、インフレの情報が絶えません。9月の段階でインフレ率は約25%に上昇し、15年以来の水準だといわれます。しかも対ドルのリラ貨幣価値は今年に入って40%も減少し、インフレの勢いは止まりません。1990年代には84%の経験がありますから、どこまで上昇していくのかは、エルドアン政権が対策なしの状態では、〈神のみぞ知る〉の境地に入ってきました。
そこでエルドアンは、企業、経営関係者、製造者に「消費者への価格上昇を控えるように」という通達を出します。それは〈自由市場への介入ではなく(インフレからもたらされる―筆者)不公正を是正するための措置〉だというのを聞けば、経済政策ではなくどこか〈神の通達〉のように聞こえ、ロシアのソヴィエト共産主義の前例が思い浮かべられてなりません。自由が剥奪された全体主義に共通する終末を見る思いで、トルコ経済の倒壊を告げているようです。
そんな折、今度はブラジルから極右ファシストの選挙勝利の情報が入ってきました。トランプ――エルドアン――ブラジルの極右ファシストへと連なる政治の流れは、間違いなく世界のファシズム化が進んでいることの証明でしょう。
そのニュースを耳にしたとき、2017年秋のリオ滞在についてもう一度振り返る機会になりました。2016年の末から2017年の初めにかけて私たちは、フォルタレザ(Fortaleza)からサン・ルイス(São Luis)一帯のブラジル北東海岸の町々を回っていました。
その時、サッカーのワールドカップ(2014年)、夏のオリンピック(2016年)のスポーツの祭典に沸いた後のリオの変わり様をもう一度見てみたいという願いが強くなってきました。それほどに1992年2カ月間滞在した時の印象が強かったからです。
25年という歳月は、子供が大人に成長していく時間に等しいですから、町が、国が変わらないほうがおかしいのですが、しかしそこにある文化、人間生活、街並み、自然が、時間とともにどのように変化してきたのかを、自分の目で確かめたかったのです。
ロリンピック直前には、リオの街――ブラジルは、炎と煙に包まれデモ隊と警察官が衝突する街頭闘争がメディアで報じられていただけに、〈あのイパネマ〉に何が起こっているのか自分で確かめる必要がありました。時間、経費の関係で、それがいつ実現できるのかは、確かな手ごたえがなかったのですが、いつものごとく偶然が重なり、「この機会を逃さず、行こう!」となった次第です。
そのときの印象が、どうしても整理して納得のいくような説明がつけられず、今日まで来てしまいました。リオで目にしたものの全体的な関連性が、自分たちでは説明がつけられないのです。マリアンネと一つひとつの場面を想定しながら、「こうだ、ああだ」と話し合うのが精いっぱいで、社会的なそして政治的な結節点が見つけられないできました。
そして、先週日曜日(10月7日)の選挙結果です。ここでその結節点が見つけられた思いがして、これを書いています。
まず、2017年秋に滞在したときの印象と様子を書いてみます。滞在は秋休みの2週間でした。宿泊はいうまでもなく、イパネマです。アパートを探していて、イパネマの海岸に近いところを見つけたのはいいですが、よくよく調べてみれば、1992年に2カ月間借りた同じアパートです。奇遇といえば奇遇で、そのアパートの建物には全部で200、あるいはそれ以上の住居が入っていると思われますが、地元住人が何%なのかはわからないほど、観光客用に提供されている部屋が多いように思われました。いわゆるAirB&Bに貸し出されているのです。住居費が高騰し、一般市民には高嶺の花になっているからです。周りを見渡しながら、当時はここがどうの、あそこがどうのと、ノスタルジーに浸っていました。
建物の敷地に沿って周りを囲むように鉄柵が打ち込まれています。犯罪から守るための安全柵です。警備員が常駐し、人の出入りはチェックされます。確かに92年当時、高級な住宅街の建物は、すでにこのように鉄柵の安全措置が取られていました。しかし、私たちのアパートはオープンになっていたはずです。犯罪の多発で、街全体が鉄柵で囲まれてきているのがわかります。いちいちチェックを受け、扉を開け閉めしてもらって外出入しなければならないのは、〈監獄〉そのものです。イパネマ―リオが、こうして監獄化されているのを見て、ショックを受けました。
今回は、前回と違ってマリアンネの医学研修はありませんでしたから、十分時間がありました。あちこちにでかけて、時には値段表を見ながら飲食していました。街並みは整えられ、店舗もおしゃれできれいに整頓されていて、そのぶん値段も高くなっているようです。店員たちは若く、アメリカ訛りの英語でサーヴィスも行き届いています。かと思えば、よくそこに足を運んだ店で、それが20年以上も何一つ変わらない姿で残されていたりして、気持ちが和んだものです。
安全に歩き回れることが、最大の気軽さになりました。「路上少年」たちの姿はどこにも見られません。持ち物の心配をしなくてもよく、神経を使うことがありません。しかし、感じるものが伝わってきません。混沌、犯罪のなかでも、生活する市民の息吹は伝わってくるはずです。それがありません。風が吹き抜けるように、人達が通り過ぎていきます。「なんだ、これは!」と、改めてノスタルジーに取りつかれた視点を変える必要性が出てきました。
イパネマといえば「イパネマの娘(The Girl from Ipanema)」です。それを探すのですが、海岸は言うに及ばず街中にも、見つけられません。パレオ(Pareoタヒチ語です)というのでしょうか、ビキニ姿の上にスカーフを腰に巻き付けて歩いている「イパネマの娘」たちを見るのは稀になりました。海岸にはレンタルのイスが並べられ、それに座って日光浴です。この違いは大きいように思います。
以前は青少年、少女たちは、グループになって私たちのアパートの前を通って海岸に行き、腰のスカーフを砂浜に広げて、一日中歓談し、ケラケラ笑い、そしてスポーツに明け暮れていました。それがイスに代わってから、彼女たちのスカーフは必要なくなったのでしょう。アメリカ西海岸風のジーンズを切った短パンになっています。こうして一つの海岸文化、それも世界に知れ渡ったリオの文化が消えていきました。
私たちはレンタルのイスを頑なに拒否し、砂浜でスカーフを広げて横になっていましたが、同じようなスタイルの地元の人たちがいたことに安心して、気持ちが落ち着いたものです。
時として、成人者たちのグループのところからマリワナの匂いを海風が運んできたりしていましたが、そんな、どこかイカガワシイ雰囲気はもはやありません。すべては、クリーンです。
クリーンといえば人間関係もクリーンになっていて、誰も話しかけてはきません。ブラジル語を話さない「日系」の私に、「どこから来たのか」と子供から、また海岸通りでフィットネスに明け暮れるアフリカ系のスポーツ青年からよく質問されたものですが、今回は一度もそんな機会はありませんでした。ブラジル語の響きがきれいで、一番好きだというマリアンネは、そんな話しかけてくる相手も機会もなくゲッソリしていました。
私はリオの犯罪、混沌を軽視するものではありません。実際にマリアンネも危ない局面に遭遇しています。バスに乗れば、武器を手にした恐喝に会い、街中ではひったくり、襲撃は日常茶飯事でした。新聞では、殺害された人の流血にまみれた死体写真が連日一面を飾っていました。通りを歩けば「路上少年」から目が離せません。
そんな社会のなかで、白人系、アフリカ系、そして混血系の青少年、少女、そして成人が海岸で過ごす時間というのは唯一のミーティング・ポイントで、誰彼なしに話し、笑い、歓談し、自分たちの文化をつくり上げ、青春を謳歌していたのは間違いのないように思います。それを見ながら、自分が過ごした少年・青年時代と比較して「羨ましいな」と思っていたものです。
犯罪を取り締まるという目的でクリーンになれば、それまでの人と人を繋げていた粘着力というか、吸引力というようなものまでも失われてしまっているのではないかと思われてなりません。
街中、海岸からは、ファヴェラ少年の姿が消えていました。彼らはアフリカ系です。街の端から山の中腹にかけて町と農村を追われた人たちが非合法に作った住居地域、称してファヴェラ(Favela)の住民で、バスをただ乗りして海岸まで来て、ビーチ・サッカーやサーフィンをしていました。交通機関が整備されてからは、そのただ乗りができなくなったのでしょうか、それとも別の力が働いているからでしょうか。そのサーカスのようなただ乗りの姿も、見ることはできなくなっていました。
元の「路上少年」の危険区に足を運べば、彼らに代わって今では成人、年配者の路上宿泊者の姿が目につきます。
街から色彩が消えて、単色になってしまいました。では色彩がどこに掃き清められてしまったのか、というのが私たちの疑問です。色彩は、しかし同じく活動であり、活気であり、躍動であり、生命力でもあると思います。それが、どこに?
できるだけ時間を見つけて〈監獄〉から脱出し、新鮮な空気を吸い、太陽の光を浴びて、手足を思い切り伸ばしてみたいですから海岸に向かいます。それほど意気消沈していました。
定期的に軍事ヘリコプターが、海岸線上から山岳部をめがけて低空飛行で迂回していきます。ブラジルの難民問題は聞いたことはないですから、「なにか!?」と上空を見上げ、そんなことが、連日、繰り返されていきます。
後に、約1万人の警察、軍隊がリオのファヴェラ鎮圧に向けて投入されているというニュースを聞きました。ファヴェラ(住人)は、こうして軍事的に制圧されてしまいました。街から彼らの姿が消えた理由です。
ワールドカップ、オリンピックの直前にはドイツのメディアで、ファヴェラについて報道されていました。ファヴェラ内にB&Bの施設が作られ、手軽に、かつ安全に宿泊できることが紹介され、それはまた一つの文化活動でもあるような説明の仕方です。見る目には、いかにもブラジルらしい魅力的なプログラムです。
私たちはそれを聞きながら、「大丈夫かな」と今でも信じることはできません。ファヴェラでの様々な文化活動は知っています。また、リオのゲーテ教会でドイツ語の先生をしているマリアンネの友人のお父さんから、わざわざファヴェラを案内してもらいました。「ファヴェラに知り合いがなければ、こうして足を踏み入れるのは危険だ」!と注意されてもいましたから、メディアを信用しようとしながらも、その報道には強い疑問符がつけられました。商業イベントのキャンペーンの一つであったのでしょう。
絶対、多数の観客訪問者が恐喝に会い、金品を盗まれているはずだというのが、私たちの持論です。それに関した報道は、ついに目にすることはできませんでした。
商業化したスポーツの祭典では、「安全」が何よりも大切で、何事もなく事は捗らなければならないからでしょう。その下では、市民、住民の存在は忘れ去られていきます。
2020年には東京オリンピックが開かれます。リオの現状を見ながら、ショ?化したスポーツの前後に何が進むのかに、最大の注意を払う必要があるように思います。
この見せかけが、1936年ベルリン・オリンピックの時もそうでしたが、結局は現実の社会問題から目をそらさせ、一方で市民を、「自由と平和」を謳歌する祭典に惹きつけ、他方でクリーンなナショナリズムとファシズムの道を〈粛々〉と準備するものであることは、今回のブラジル選挙が教えているところだと思います。
次回は、その具体的な経過を書いてみます。
(つづく)
初出:「原発通信」1538号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8081:181015〕
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