AI騒ぎ―素人の疑問
- 2018年 10月 21日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
最近とみにAI云々を耳にするようになった。家電量販店にでもいけば、いやでもAIが目に入る。また時の話題に遅れてしまったのかと、あわてて何がAIなのかと考えているが、どうもよくわからない。もしやと、Googleで「AI家電」と入力してサーチしたら、でてくるでてくる、まさかここまでAI(人工知能)が増殖していたとはしらなかった。確かに区役所にいけば、宇宙人?をイメージしたものなのか、ぬめっとした人形(ひとがた)ロボットらしきものが置いてある。腹のタッチパネルを押せば、定型の案内メッセージを合成語で吐き出してくる。手を出せば握手して、係りの人に聞けば、AIロボットだという。でも、それでAI?、何かおかしい。
経済学者や社会学者に政治学者……の話しにもAIがどうのとでてくる。中国では五万人ものAIの研究者やエンジニアがしのぎを削っているという話を聞くと、何をもってしてAIなのか、どこまでわかってAIといってるのか、と確かめたくなる。訊いたところで何がでてくるわけでもないだろうし、そんなことをすれば、尋問になりかねない。
名のある大学の教授らしいが、セミナーで聞いているかぎりでは、AIもなにもかもが、新聞記事程度の知識のような気さえしてくる。
機械屋崩れの制御屋、アメリカの会社でマーケティングとしてCNC(Computerized Numerical Controller)の開発仕様を細部の細部まで決定したことはあるが、コーディングする立場にいたことはないし、ソフトウェアエンジニアではない。開発現場に足を踏み入れたことはあっても細かなことは知らない。それでも制御が何をしているのか、個々のプロセスの処理の概略ぐらいは知っている。知らなければ、エンジニアリング部隊に整合性のない開発要求を出して、失笑をかうだけではすまなくなる。
巷で言われているAIが、AIを搭載(活用)したといわれだすまでの制御プロセスと何が違うのかわからない。確かにプロセッサは強力になったし、センサーの進歩には目をみはるものがある。メモリもかつてと比べたらタダみたいなコストになった。インターネットなどの通信速度も、サーボシステムが要求するミリ秒を切るアプリケーションでもなければ、人の感覚レベルでみればリアルタイムといってもいい。
プロセスを処理するプラットフォームの能力が格段にあがって、十年前にはまだまだ先の話だと思っていた処理がなんなくできるようになった。なりはしたが、それは処理能力が上がって処理速度が速くなってということで、していることにこれといった違いがあるわけじゃない。どう見ても、考えても従来からの処理プロセスに過ぎないものをAIと呼んでいるとしか思えない。
Python(AIの開発によく使われるプログラミング言語)をつかってAIを実現すべく切磋琢磨している研究者やエンジニアの方々から、素人が何を知っていっているのかとお叱りを受けるのではないか、AIということで禄を食んでいる人たちに余計なことを言うなと怒鳴り込まれるのではないか、と恐る恐る原稿を書いている。こんな出すぎたまねはしたくないのだが、どうも巷のAI騒ぎが気になって、ちょっと整理のお手伝いでもしておこうかという老婆心、無駄でもないだろう。
AIにも何段階かあるという話になっているが、センサーが増えて、参照するデータが多くなって、処理のメニューが広がったという程度でAIといわれると、「それじゃ、AIもどきにもなってませんよ」って言い返したくなる。
研究者やエンジニアがこういう処理をしようと考えて処理プロセス(アルゴリズム)を書く(開発する)。開発されたコンピュータシステムが書かれたプロセスを実行していて、開発時には想像だにしていなかった状況に遭遇して、コンピュータシステムが人の手を借りずに自身で適宜アルゴリズムを書き直してゆくのなら人工知能だが、書かれたままのアルゴリズムを実行しているだけなら、AIと呼ばれる前からのものと何もかわらない。
無人軍用機や戦車がデジタルカメラで取り込んだ画像データから、敵や障害物を判断して、人の手を借りることなく敵や障害物を破壊する。人ごみのなかから人々の顔をWebカメラで取り込んで、容疑者を探査する。医療データをデータベースに蓄積して、CTスキャナの画像を蓄積されたデータベースと比較して医療診断。自動車の無人自動運転もどれもこれも、改めて取り込んだ(画像)データをデータベースに蓄積した(画像)データと「データのパターンマッチング」をしているだけで、基本的なアルゴリズムは数十年前に開発されていて、民生の生産ラインに実用化されて久しい。
従来からの処理との違いといえば、遠隔地のデータセンターにインターネットでアクセスして、統計処理や多変量解析をすすめて、あるいは半導体センサーの進歩で取り込めるデータの種類や量が多くなったぐらいなものだろう。なにが従来までの処理と違うのか。
何をもってしてAIなのかWebで調べてみたが、いまいちはっきりしない。研究者や学者先生も軍事関係者もAIと銘打ったほうが科研費を申請しやすいからということのような気がしてならない。家庭電化製品にいたっては、AIといったほうが消費者の受けがいいからということみたいだし、マスコミは流れてくるプレスリリースにはそう書いてあるし、そういったほうが読者の関心を引くだろうという、その程度のことでAIという言葉が先行しているだけにしかみえない。素人の近視と乱視のせいでもないと思っている。
つい五、六年ほど前には、あっちにもこっちにもスマートがついていた。スマートメータやスマートグリッドまではいいとしても、新聞社が主催する展示会を「スマート植物工場」といってきたときには驚いた。自社で作った植物工場を稼動できずに苦しんでいた。まともに稼動しっこないものの販売にまで関係していた。植物工場なるものがなんなのかぐらいわかっている。機械屋崩れの制御屋の目には、どこをどう見てもスマートの「ス」の字もない。
新聞社から諮問委員として呼ばれた。そんなところに出たくないから辞退したが、是非ということでのこのこ出ていった。どうでもいい話を我慢して聞き流していたが、なにがスマートなのか気になってしょうがない。おおかた話も終わったところで聞いた。「ところで、なにがスマートなんですか」
ご列席先生方や関係業界の重鎮が「えっ、」という顔をして見合わせていた。たぶんスマートがなんなのか考えたこともないのだろう。聞いていた話からは、ご本人たちのオツムにもスマートの「ス」の字があったとは思わない。
新聞社の展示会担当者から、するっと「スマートなんですよ」という答えが返ってきた。
素朴な質問のおかげで、二回目から会議のお声はかからなくなった。スマートと銘打つのは詐欺のようなもので、そんな展示会、かかわることもなくなってほっとした。
似たようなことが起きているような気がしてならない。今、「そのおっしゃってるAI、従来からのデータ処理となにが違うんですか?」と聞かれて、これこれこれで、コンピュータシステムが当初搭載されていたアルゴリズムをこういうふうに改版していくんですよ。だからAIなんですという説明を聞けるとは思えない。
仮に聞けたとして、ではコンピュータシステムが勝手?に改版した新しいアルゴリズムで障害――人身事故が起きたら、誰が保障するのかという問題がでてくる。ソフトウェアには最善を尽くしてもバグがつきもので、それはAIだからバグフリーで、障害や事故など起きない?それこそありえない。
AI、AIと騒ぐのは勝手だが、何をもってしてAIなのかという最低限の知識もなしでとなるとちょっと話が違う。そんなことをしていたら、気がつかないうちに、だれかの都合で吐き出されたプロパガンダのお先棒を担いでいることになりかねない。それで禄を食んでいるのならいざ知らず、見識のある(はずの)先生方や良識のある(はずの)研究者がすることでもないだろう。
もしAIが実現されたら、コンピュータシステムのほうが(はずの)先生や研究者より優れていることだけは間違いなさそうだが、そんなもの、寿命のあるうちにはできっこないから、ご心配にはおよばない、と余計な一言をいいたくなる。
「IT」を「イット」と読んだ首相がいたぐらいだから、そのうち「AI」を「愛」と読み違えて、「美しい国」の焼き直しぐらいあってもよさそうなものなのだが、人工知能に漫才はむずかしい。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8096:181021〕
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