内田 弘専修大学名誉教授への御答え
- 2018年 11月 13日
- 評論・紹介・意見
- 熊王信之
私のちきゅう座投稿への御批判を内田 弘専修大学名誉教授から頂きました。 私は、先生の御論稿は未読であり、出版されている数点の著書とネットでの擁護論を読み、かねてよりの持論を開陳しました処ですので、聊か狼狽した処です。
私の専門は法律でありましたし、絵画には趣味も無く、ただ、軍事関連には長年の興味があり聊か薀蓄を傾け、戦時中の国論喚起の手法をも調べたこともありますので、絵画等を利用した軍部の策動を調べた経過から小文を投稿したものです。
さて、先生は、まず批判対象者を御自身の範疇区分に従い定義されます。 私を「写実対象愛前提論」者と規定されるのです。 御勝手に規定されて批判される手法は嘗て跳梁跋扈した手法ですが、時代錯誤でしょうし、それは違います。
猫は警戒心の強い動物であり、その姿・形を描く場合には、猫の有する本来の姿態を出来るだけ表出した処を見分し、己が絵画描出の手立てとするのが宜しかろう、との思いからです。 自己の思念のみで絵画の対象を描くのならば、モデルも何も必要がありません。 或は、猫も猫の姿・形を描く必要も無いことになりますし、であるならば抽象絵画とされるのが良いでしょう。
単純に藤田嗣治の描く猫の絵に感心しなかったのみです。 好みでは無いだけです。 猫好きの戯れ事なのです。 いくら絵画の描き方に手練手管を駆使したものであっても自身が好みで無ければ賛美出来得ないのです。 であるからこそ、蛇足としたのです。 蛇足から本論に遡られるのは聊か不本意です。
次に、重要な参考掲記先についての誤解です。 「誘導」とまで決めつけられる手法も嘗て見られた論難の手法ですが、それこそ「誘導」と思われます。
何故かならば、“Aftermath of Japanese Banzai charge on Saipan, Mariana Islands during WWII HD Stock Footage”と掲記しましたものは、CriticalPastのYou-Tube内の記録映像であり、当該映像映写後のものは、You-Tubeが連続映写をする設定になっているので映写されるものであり、私が誘導するものではありません。 私は、掲記の記録映像を限定して挙げております。
サイパン島等での無駄な戦闘を美化し、戦略的にも戦術的にも破綻した無駄な抵抗の下での死を兵士と臣民に強いるべく宣伝にこれ努めるべく描かれた絵画の実態を知るには「玉砕」の真実を知るのが一番です。
何しろ、藤田嗣治の描く玉砕画は、「その玉砕画を観る者たちも、思わず合掌した。」とのものであり、軍部にとっては利用価値が高い代物であった訳です。 画材に始まり、あらゆる便宜を図りつつ大本営発表に則った絵画を量産されたのは当然の成り行きであったのです。
次に、「熊王氏に欠如しているのは、肝心の藤田玉砕画そのものの作品論である。」と言われるのは、作品論無き者には、批判は許さず、との専門家、美術家専横論との疑心を持たざるを得ません。
私にとっては、街の看板描きもパリに学んだ画家も、戦争宣伝をすれば同等なのです。 当時の軍部にとっても、ただ、出す金の額が相違したのみです。
「藤田嗣治『アッツ島玉砕』『サイパン島同胞臣節を全うす』は、陰惨で戦争殉教画であるとの評価も受けている。軍部が厭戦画(反戦画)であるとの烙印を押したという伝説まである。しかし、戦争殉教は、死ぬまで戦う、降伏し捕虜にならないという徹底抗戦、民間人も含めた一億総特攻の戦略には、整合的である。玉砕戦を英雄譚、英雄叙事詩とすることこそ軍の要請であった。実際には、捕虜や投降者も少なからずいた『敗戦』を『玉砕』とするために、悲劇的な戦争画は国民の士気を高めるのに有益であった。玉砕を描いた戦争画は、戦陣訓の『生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ』という敢闘精神、最後まで降伏せずに命を捧げて戦う忠誠心を具現するものであって、戦争賛美、戦争協力画の典型といえる。」
引用先 ◆戦争画 藤田嗣治のアッツ島玉砕とサイパン島玉砕◇ War Pictures鳥飼行博研究室Torikai Lab Network http://www.geocities.jp/torikai007/war/bunkajin-picture.html
私は、この鳥飼行博研究室の御意見に完全に同意しております。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8151:181113〕
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