ドイツ通信第135号 ドイツ政治の行方――2018年10月28日ヘッセン州議会選挙結果から読み取れること
- 2018年 11月 16日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
先日の10月28日(日)、ヘッセン州議会選挙に行ってきました。今回は、その時の報告です。
12時過ぎの投票所には、たちかわり出入する市民の姿が見られます。しかし、想像していたより静かでした。投票用紙をもらって身分証明書を見せようとしたところ、「あなたは何回も見ているので、結構です」と言われ、私の一票を投票箱に入れてきました。
「結果は同じではないか」と思うと、いつも投票所へ運ぶ足は重いのですが、棄権することによる危険性を思えば、市民の政治意見と討論に関与していける最後の繋がりが自分の一票ではないかと考え直して、気力をふりしぼっています。
〈棄権〉というのは、そういう意味で社会生活に絶対に必要な政治意見への繋がりから自ら離脱していくことではないかとの不安心理がいつも働きます。世論調査で30%以上にもおよぶといわれるドイツの選挙棄権者数が、現在の極右派傾向とその暴力的対立の重要な要因になっていることとは、決して無縁ではないだろうと思われます。
選挙戦前から大体の傾向は予想されていましたが、結論を見逃すわけにはいきませんから、18時のTV選挙速報まで時間を持て余していました。
日曜日21時の速報では、
CDU‐27.2%、SPD‐19.8%、緑の党‐19.6%、FDP‐6.7%、AfD‐13.2%
で、これはまだ確定結果ではなく、またTV報道により多少の誤差が生じていますが、大体の傾向が読み取れます。
CDU、SPDが前回(2013年)比、約11%の得票減で、緑の党が倍増、AfDがこれによってドイツの全州議会に議席を確保したことになります。
今後、議論は、ヘッセン州で従来通りCDUと緑の党の連立が継続可能か、あるいはFDPを入れた黒?緑?黄、いわゆる「ジャマイカ連立政権」が成立するかどうかに移っていきますが、他方でそれ以上に重要なことは、この間の動向が示すように、政党および政治システムの転換が緊急の課題に上ってきていることです。
AfDの党代表は、「AfDと緑の党がオルタナティブであることが、これではっきりした」と息巻いています。
諸党派の選挙総括には、一つの例外なくベルリン「(CDU/CSU‐SPD )大連立政権」にその敗北責任も勝利要因も求められていることに共通点があります。大連立の政権党派が壊滅的な得票減で敗北し、それに対して野党が得票率を伸ばしたのは、市民が与党に代わるオルタナティブな要求を野党に求めた結果であることが強調されます。
メルケル批判とともに、一貫した政治路線を打ちだせず、ズルズルとメルケル政治に追従するSPDへの批判です。一言でいえば、市民は「大連立政権」にとっくに愛想をつかし、政党―政権離れが進み、メディアでは「メルケル任期終了のカウント・ダウン!」という表現が読み取れるような状況になっていました。
問題の本質を考察する前に、10月14日に行われたバイエルン州議会選挙結果を見ておきます。
CSU ‐37.2%、緑の党17.5%、自由選挙民(CSUから分かれた政党)‐11.6%、
AfD‐10.2% SPD 9.7% 、FDP‐5.1%
(資料Der Spiegel Nr.43/20.10.2018より)
ここにすでにヘッセン州と同じ傾向が認められます。CSUとSPD が10%強の得票減、緑の党が倍増、そしてAfDの議会進出。
CSUはベルリンの大連立政権に参政しながらも、難民、極右派問題でメルケルに対抗し、徹底的な批判を選挙戦でくり広げ、州の政治課題を争点にすることができず、その結果が、CSUの絶対的使命といわれていた絶対過半数を失うことになりました。この人格的な代表が、ベルリン政府内務大臣ゼーホーファー(CSU Horst Seehofer)でした。
彼およびCSU党指導部が、連立協定を無視してまでも強引に、たとえばオーストリアとのこ国境閉鎖とメルケルの難民政策を批判した背景には、間違いなくメルケルへの退陣要求が隠されていたと、私は判断しています。選挙敗北を、したがってメルケルに押し付けることは、彼らにとっては当然といえば当然の論理です。
このベルリン連立政府の政権運営における混乱、対立、不統一が、ヘッセン州の選挙では、CDUとSPDに破滅的な影響を与えることになります。これが、各党派の選挙総括の決定的なポイントになりました。
CDUとSPDは、ベルリンの連立政権の存続可否を射程に入れながら、「このままでは持ちこたえられない!」と政府内でのCSUへの統制、締め付けを要求してくることは十分に予想されるところすが、ここにいくつかの問題点が浮かび上がってきます。
一つは、内務大臣CSUゼ―ホーファーの辞職要求。しかし、想像するに彼は政治生命をかけてメルケル退陣まで引き下がらないでしょう。それが彼の政治家としての最後の闘争であるように思われます。他方で、メルケルも政治権力を手放すことは考えられません。
そこで、メルケルが強引に内務大臣を解任すれば、CSU全体がどう反応するかということです。ここには読み切れない部分があります。CSU全体がそれに反抗して連立政権から飛び出せば総選挙になり、そうなれば今度は、CDU内でメルケルを首相候補にした選挙戦が可能か、どうか。あまりにも未知数が大きすぎます。あるいは、CSU内ですでにゼーホーファー個人への見切りが準備されているのか。今後こうした駆け引きが、水面下で進められるはずです。
同じことは、実は、SPDにも言えます。党内外からの「連立」批判は、二つの選挙を終えて声高になるばかりです。党代表(Andreas Nahles)は、CDU-メルケルへ共有できる政権運営を確立するための要求を出すといいますが、連邦議会レベルの現在のSPDの支持率は約14%で、総選挙になった時の組織壊滅への危機感がSPDの脳裏をかすめます。そのような状況のなかで、どのような方針が可能かを、はたして明確にすることができるのか。ここにも不確定な要素が交錯してきます。
一つ言えることは、こうした状況にドイツの政治がはまり込んでしまった第一の原因は、メルケルの次の発言にあるということです。
首相4選直後の発言です。
われわれが今、違ったことをしなければならないとは、認められない。
メルケル批判は、そこからこの「今まで通り!」(Weiter so!)発言に焦点が当てられてきました。このメルケル政治に弾劾が下ろされたのが、バイエルンとヘッセンの二つの州選挙であったでしょう。
そこで問題は、選挙敗北をベルリン連立政権に押し付けるだけで、はたして事は済まされるのかということです。
わたしは、ベルリン連立政権が問題噴出の契機になることは確かに認めるとしても、しかし、それは問題の本質的な認識と把握ではないと考えています。
二つの選挙の直後あたりから、メディアでは「国民政党の終わり!」が公然と語られ始めました。問われているのは政党および政治システムの変革です。今のままでは、従来の国民政党といわれた、とりわけその代表格の一翼としてSPDは自己の存在意義を失っていくしかないのです。
ベルリン連立政権の政治的失墜と混乱の根本的な要因は、他ならずCDUとSPDの政治的かつ組織的問題であり、現状はそれを危機的な態様で表現していると見るべきでしょう。
この点に関しては、次回に詳しく整理してみます。
(つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8160:181116〕
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