ベオグラードで『どん底』を観る――社会主義化と資本主義化への幻滅――
- 2018年 11月 27日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
去年の11月29日(水)に東京でゴーリキーの『どん底』を観た。今年の10月29日(月)、丁度一年に一ヶ月足りない日に、ベオグラードの国民劇場で『どん底』を観るチャンスがあった。かなり立派なパンフレットに旧ソ連東欧諸国におけるゴーリキー状況が説明されている。「マキシム・ゴーリキーの作品が学校教材に用いられなくなって久しい。わが国でも旧ソヴェト諸国においてもだ。かつてはどの図書室も彼の著作集であふれていた。ベルリンの壁が崩壊する以前からすでにそうなっていた。社会主義リアリズムのレッテルがゴーリキーにはりついたままだ。ロシア革命運動にささげられた作品は長編小説『母』だけなのに。」
女性演出家アナ・ジョルジェヴィチは、21世紀の今日、『どん底』を復活させる彼女の現代社会認識の一端を次のように記している。要約紹介しよう。「ゴーリキーによれば、彼の時代の一般民衆は社会的不正を洞察する力を身につけていなかった。けれども、今の私達はそれを持っている。その上で、社会的不正の解決策を語る者達は私達に必要とされていない。何故ならば、過去すべての解決行動は失望だけしか残してこなかったからだ。もはや私達はより善き未来を夢見ない。自分のささやかな財産と狭い自己空間を守るために、他者がこおむっている不正も社会大の不正も知っているのに、おたがいに聞かないことにする。共感や愛の不在である。愛は“I love you”と語りかけるネオンの広告画面だけにある。共感は自滅に直通する。」
私=岩田のような伝統的日本人の左翼から見れば、どこかで知っている「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿主義にすぎないとはいえ、旧ユーゴスラヴィアの、セルビアの知識人芸術家にすれば、自主管理社会主義という彼等にとっての拘束着を脱ぎ捨てて、自由民主資本主義の希望と理想に賭けて二十余年、その現実の中で悟った苦い真実を吐露した言葉であろう。
私はここで『朝日新聞』(平成30年2月14日)に載っていたワレサ、自主管理労組「連帯」の輝ける指導者、ノーベル平和賞桂冠者、ポーランド第三共和国初代大統領、そしてポーランド資本主義復活の最大功労英雄の発言を想起する。「自分が最後の偉大な革命家だったのだと思ってきましたが、ポーランドや米国でいま起こっていることを見ると、そうは思えなくなってきています。今日では、聖人のような人が解決策を提案しても誰も耳を傾けないでしょう。今は詐欺師の時代。みな、人を信じなくなっています。」「金のある人はポーランドでは5%だけです。残りは貧乏で何も出来ない。」
セルビアの女性演出家もポーランド共和国の初代大統領も全く同じ悲観的社会認識を吐露している。
そこで、彼女は、20世紀初頭の、ロシア初期資本主義の社会底辺の人間群像劇を21世紀初頭流に復活しようとする。舞台は、観客に向かって四段の、白い、横長の階段状空間から成る。20世紀初頭の臭いのこもった、じめじめした地下室の印象はない。21世紀的無臭の下層社会が現れる。そして、そこに立つ登場人物は12名にしぼられる。原作にあって、新演出で消去された形象は、メドヴェージェフ(地下室木賃宿の亭主の妻の叔父、巡査)、ブブノーフ(帽子屋)、アリョーシカ(靴屋)、クリヴォイ・ゾーブ(荷かつぎ人足)、だったん人(荷かつぎ人足)である。
私=岩田が下斗米法政大学教授著『神と革命 ロシア革命知られざる真実』のゴーリキー論に刺戟されて、『どん底』を読み直し、仮説的にたどり着いた『どん底』解釈とは正反対の方向性をこの消去は指示しているようだ。巡査メドヴェージェフは、ロシア正統派正教会帝国の、分離派=古儀式派が「アンチキリスト」であると憎悪する体制の権力末端の形象である。ゴーリキーは、私が古儀式派の流れであると推測するルカ老人が姿を消した第四幕でだったん人に「マホメット、コーランくれて、こう言った。――これ掟だ。ここに書いてある通りせよ!やがて新しい時代くる、――コーランたりなくなる……その時代、新しい自分の掟つくる……どんな時代でも自分の掟つくる……」と意味深な発言をさせている。そのだったん人が消されていた。「新しい時分の掟」、すなわち女流演出家の胸中では「失望しか残さなかった」「社会的不正の解決策」をイメージ的に示唆する言を吐く登場人物は、21世紀版『どん底』には不要無用と言うことであろう。
私=岩田は、彼女とは違って、21世紀の今日、多文明、多宗教、多権力、多資本主義等が衝突交流する今日、正教会正統派の末端権力、だったん人のイスラム教、ルカ老人の分離派精神等の葛藤を意識した『どん底』の舞台を観たい。
一言付言しておくことがある。ゴーリキー自身がルカ老人をして「イエスさま!」と呼ばせる場面で、正統派正教会のスペリングИИСУС、ІІЅUЅではなく、分離派がこだわる綴りИСУС、ІЅUЅをあえて使用して、ルカ老人の分離派・古儀式派的性格を明記していても、セルビア語では、またセルビア正教会ではもともと「イエス」はИСУС、ІЅUЅであるから、両者の区別はスペリング=綴りに表出されない。従って、セルビア人演出家は、ルカ老人の古儀式派的性格をつかめなかったかも知れない。
最後に、ベオグラードにおける『どん底』公演の歴史を国民劇場のパンフレットに従って記しておこう。
1904年1月29日、セルビア王国国民劇場にて初演。劇評は、「この劇はベオグラードの観客の心にとどかなかった。」1906年2月7日の公演では劇場本部に抗議デモがかけられた。であるが、第一次大戦前に計9回の公演がなされた。
戦間期1930年代、モスクワ芸術座の元座員達がロシア革命を逃れて、一座を結成し、東ヨーロッパ諸国を巡回興行していた。その白系露人一座はベオグラードを二回訪れていた。1930年10月26日と1937年4月1日に『どん底』を初日公演。その時にスタニスラフスキー・システムがセルビア演劇界にもたらされた。
ベオグラード国民劇場における『どん底』最後の公演は、1985年2月17日を初日公演とし、19回、1万人が観たと言う。
2015年10月3日、アナ・ジェルジェヴィチ演出の『どん底』初日公演。私は、それを2018年10月29日に偶然観たわけだ。
平成30年・2018年11月23日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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