ロヒンギャ危機―民主化運動の危機と潜在的なる政府危機
- 2018年 11月 27日
- 評論・紹介・意見
- ちきゅう座会員・哲学研究野上俊明
先日11/23、英紙「ガーディアン」の東南アジア特派員の個人論説が載りました。題して「平和の偶像からパリアへーアウンサン・スーチーの失墜」。パリアとは、もともとはインドの最下級貧民pariahを指すことばです。軍政時代、西側メディアはミャンマーをパリア国家(鼻つまみ国家)と呼んでいました。人民抑圧と国軍の私腹肥やしをもっぱらとし、国際社会常識の通じない最低の国という意味をこめていたのです。ちなみに作家のG・オーウェルはビルマに多い野良犬をさすのに嫌悪感をこめて使いましたが(pariah dog)、いずれにしてもかなり強烈な侮蔑用語です。どんなに愚昧にみえようとも、その国民が選んだ指導者に対してそうした形容をするのは適切かどうかの問題は残りますが、ほぼ最後通牒に等しいもので、西側世論がスーチー氏を見限りつつあるということでしょう。
さらにそれから数日しての本日11/26、今度は読売新聞に「ロヒンギャ問題 スー・チー氏は責任を果たせ」と題する社説が載りました。安倍内閣の広報紙と揶揄される読売にしては、めずらしくやや踏み込んだ内容でした。
「・・・国連人権理事会の独立国際調査団は8月の報告書で、ロヒンギャに対する無差別殺人や性暴力、焼き打ちなどは「民族虐殺」にあたると認定し、ミャンマー軍幹部の訴追を求めた。・・・スー・チー氏についても『国のリーダーとしての立場を生かしていない』と指摘した。・・・安倍首相は、ミャンマーが国際機関の関与を受け入れ、難民の帰還に向けた環境整備を加速すべきだ、と強調する。日本はスー・チー氏に理解を示すだけでなく、行動を強く促さねばならない」
先般丸山ミャンマー大使は、西側の制裁発動を含めた対ミャンマー強硬政策を批判し、ミャンマー政府とスーチー氏に対し建設的関与を行なうべきだと述べました。しかし今回の読売社説は、ロヒンギャ問題での安倍内閣の関与の仕方が手緩いという批判を含んでいます。ミャンマーの事情をいくらかでも深く知るものにとっては、丸山大使の発言はロヒンギャ危機解決についてあまりに楽観的という印象をもちました―ーというか、楽観的な振りをしているという印象をもちました。つまり解決が困難であることを隠し、西側の投資の障碍になる様なことはないと平静を装い、スーチー政権は現状のままで行けるという印象操作を図ったのです。しかし現実は厳しいものでした。この11月二千数百人を予定していた帰還事業に応じたロヒンギャは、ゼロ人でした。それはまったく当たり前のことでした。ロヒンギャ難民の総意は、帰還後の安全が保障され、国籍=市民権が授与されて、生活再建の見込みがたたないかぎり、帰還は拒否するというものです。したがって国軍に対し大甘な態度しかとれないスーチー氏の現在の姿勢では、解決はほぼ不可能です。対国軍、対国内世論に対しスーチー政権が毅然とした態度を取り、政権に協力してもらえなければ、内閣総辞職もありうるという瀬戸際政策を取るくらいの積りでなければ、現状は打開できないのです。
話がガーディアン紙に戻りますが、当該論説はスーチー氏の人となりからくる政治手法の問題性に切り込んでいます。そのほとんどは、私がここ数年行なってきたスーチー氏についての分析とぴったり一致しています。ただこれでミャンマー政治のすべてが尽くされるわけではないので、他の側面―例えば、市民社会の民主化運動の現状、政党状況、宗教状況、少数民族状況等―も合わせて理解する必要があります。
以下、論説の主要部分を引用しましょう。
――しかし、メディアに描かれた神話と現実のアウンサン・スーチーの間には常に距離があった。彼女の国のために彼女の人生と家族を犠牲にした、明快で優雅な平和と民主主義のチャンピオンというイメージ。もう一人のアウンサン・スーチーがいた。そのリーダーシップのスタイルは、閉ざされたドアの向こうでは常に権威主義者に近かった。彼女は、最初からごく些細な仕事をすら他人に任せることを拒否し、どの会議でもどのメッセージでも意のままにすることにこだわり 、純粋にイデオロギーによってではなく、現代のミャンマーの父として知られている父親アウンサン将軍の遺産を継承するという王朝的決意によって動く人であった。(私、野上は当初よりスーチー氏を支えている矜持は、民主主義的信念というより、貴族的なNoblesse oblige<ノブレス・オブリージ 高貴な身分に要求される徳義>からきているという仮説を立てていました)
――「彼女は外国人嫌い(ゼノフォビア)だとは思わないが、おそらくイスラム教に非常に敵対なビルマ内の圧倒的な世論のために、彼女はただそれに同調しただけなのだ」と、スーチー氏の伝記を二冊著したピーター・ポーパムは語った。「そして、2015年の選挙では、NLDがあらゆる分野の有能なイスラム教徒を候補者リストからはずしたという事実は、すでにこの問題での彼女の大変困った弱点を表している」
――誰もが彼女を怖れるあまり、何かをしたり、イニシアチブをとったりはしなかったし、彼女の方もどんな分野やどんな問題でも誰にも任せず、いかなる政策についても明確な説明がなかった。 当時もあらゆる種類のイデオロギーの欠如があり、すべてがスーチー氏の個人任せになっていることが懸念された。・・・
彼女が自宅軟禁から解放されると、事態は悪化しただけであった。 英国大使館に促され、彼女は自宅敷地内にNLDのオフィスとは別に自分の個人的事務所を設置したが、彼女の支持者であった多数のNLDの主要人物を遠ざけるようになった。 ミャンマーの民主化団体の巨額資金提供者だった投資家で慈善家ジョージ・ソロス氏すらもが、彼女と面会するのに苦労した。
――「当時、私たちは皆、彼女はミャンマーの民主化の壮大な変化をもたらすリーダーであると信じていました」と、ミャンマーの政治アナリスト、ヤン・ミオ・ティンは述べている。「しかし、彼女は、少数民族の指導者を含めて、元同志たちや同僚たちを無視し脇に置き始めた。 彼女は良い話し手ですが、良いリスナーではありませんでした」
――議会での多数派を占めることで党は立法権を得たにもかかわらず、民主主義の進展を進める政策は3年間で実現していない。スーチーは国家顧問の肩書きだけでなく、教育大臣と大統領府の大臣も兼ね、引き続き人任せを拒否する。 大小問わずほとんどの決定は彼女を通過しなければならず、ミャンマー政府は非常に非効率的な運営になってしまっている。
――スーチー氏の名声失墜の決定打となったのは、ロヒンギャ危機とロイター記者の不当逮捕と不当判決である。ロヒンギャは90年代自分たちを救ってくれる人としてスーチー氏と民主化運動支持してきたにもかかわらず、スーチー氏は、軍隊の行動はロヒンギャ民兵蜂起に対する適切な対応であると主張し、ジェノサイドで告発された将軍たちはいい人だと言っている。
――今問題なのは、彼女が後継者をつくろうとしないことである。
いま言えることは、ますますスーチー氏は独裁者に特有な振る舞い方になって来ているということでしょう。そこに植民地支配と軍部独裁支配による徹底した愚民化政策が生み出した負の遺産を、まざまざと見る思いがします。軍政による鎖国と圧政、近代化の失敗は、国民の間に政治経験の決定的欠如と政治に関する近代的合理的知識の不足をもたらしました。仏教はひとたびは世界宗教まで発展しましたが、その後再び民族宗教に回帰し、近代化への民衆の蒙を啓くのに貢献しませんでした。そのために88国民的決起に際して、神輿に乗せた人(国民)と乗せられた人(スーチー氏)双方に錯覚をもたらし、健全な国民運動への発展が妨げられました―もちろん妨げた最大のものは、国軍ですが。双方の錯覚というのは、国民的指導者には豊かな政治経験や政治に対する深い見識、知見が必要であるのに、アウンサン将軍の娘というだけでそれがすでに備わっていると思い込んだことを指しています。スーチー氏の独裁的振る舞いは、権威主義的な風土と政治経験の浅さからくる錯覚である「自己全能感」によるものでしょう。政党組織を育て、国民意識を向上させ、政党政治を切り盛りするには、なによりも理念やイデオロギー、政策綱領を作成する政治能力が必要ですが、スーチー氏にも民主化勢力にも実際にはその用意がほとんどなかったのです。また指導する人と指導される人々との間にコミュニケーションがなく、したがって双方に応答関係が築かれず、指導する人が国民から指導されるというフィードバック機能も欠けているため、政治は進化せず、かえってますますぼろを出す状態になっています。その意味でミャンマー政治の隘路が権威主義にあることは当然です。しかし現下の情勢においては、それよりもなによりも民主化勢力が国軍に対しいかなる態度で臨むのか、またロヒンギャ問題の根源にある人種、民族、宗教的な偏見にどう対処するのかを態度決定することです。この二つの問題を回避して―もちろん柔軟な対応は必要ですが―は、安定した統治と経済発展すら見通せないと覚悟を決める必要があるでしょう。これに失敗すれば、おそらく民主化運動は内部から腐食し、おそらく再建までまた長い年月を待たなければならないでしょう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8180:181127〕
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