沖縄への旅
- 2018年 12月 5日
- 評論・紹介・意見
- 湯上三衛
2005年より毎年、沖縄県名護市辺野古への旅を続けています。今年は2018年なので、2005年から数えると14年目になります。最初の10年は辺野古の港の場所に辺野古新基地建設反対のテントを張っていました。
2014年になって、いよいよ辺野古の海を埋め立てて新基地を作るという工事が始まることになりました。
それに対し、生物多様性の宝庫、世界に誇るべき豊な辺野古の海を埋め立てて戦争をするための新基地は許せないという闘いが米軍基地キャンプ・シュワブ・ゲート前での座り込みとして始まりました。その闘いは、海を埋めるための工事車両や岩石や砂を積んだダンプカー、生コン車などが基地内に入ることを阻止する闘いです。
闘いは、非暴力・不服従・直接行動というガンジー主義によって徹底して貫かれています。
戦争反対・平和のための闘いと、環境(自然)破壊に反対する闘いが、思想的にも合流・融合したものとなっています。
座りこみ参加者は9割以上沖縄の人々ですが、本土からの人々もはせ参じています。北海道、関東地方、京都、大阪、福岡、四国地方など、全国に及びます、また、日本国内だけでなく、韓国、台湾、香港、グアム島などからの座り込み参加者もいます。
自分は台湾から参加しに来た林(リン)さんと一緒に座り込みました。
意外だったのは、アメリカの女子学生(大学院生)が、時を変えて何人もキャンプ・シュワブ・ゲート前に来て座り込みをしていたことです。
シールズ(「SEALDs」)のリーダー格だった奥田愛基くんも一カ月ほどテントに泊まって座り込みをしていました。自分が座り込みをしていた数日の間、本土からの大学生が訪れていました。立命館大、高知大、長崎大などです。時に高校生が姿を見せることがあります。
2017年に88歳になられた島袋文子さん。彼女は太平洋戦争、沖縄戦を経験し、かろうじて奇跡的に生き延びた伝説の「おばあ」です。三上智恵監督のドキュメンタリー映画「標的の島 風かたか」の主役(もう一人は山城博治)でもあります。その島袋文子さんが座り込みをしている姿を見て、大学生達は「ぜひお会いしたかった」と言って感激していました。そして「沖縄の人々が身体を張って反対しているのに、なぜ建設をやめないのか、やめてほしい」と発言していました。
日曜日は工事車両も基地内に入りません。座り込みも中止。月曜から土曜日までは座り込み続行。
参加人数が少ない時は、沖縄県の機動隊によって、いわゆる「ごぼう抜き」されて、座り込みの場所から別の場所へ強制移動させられます。座り込みの参加者が多い日は、機動隊も排除することをあきらめて出てきません。辺野古の海を埋め立てての新基地建設阻止の闘いは諦めることなく続けられています。
座り込みの抗議行動は、今や1400日連続になろうとしています。
2月4日(日)、辺野古新基地建設に反対の闘いを続けてきた稲嶺進さんが名護市長選で敗北しました。この事のショックは少なくないが、そこで新基地建設反対の闘いが終わってしまうわけではない。
作家の目取間俊は次のように書いている。「辺野古側のリーフ内では護岸工事が進められているが、辺野古新基地建設は深場の大浦湾が難工事であり、そう簡単にできるものでもない。ゲート前に多くの人が集まり、資材の搬入を止めれば、いくらでも阻止できるのである。」
「一人で悩んだり落ち込んだりするのではなく、海とゲート前に来て、頑張っている仲間の姿を見れば元気が出る。寒さは厳しいが、へこたれない人たちの気持ちは熱い。
ぜひ海とゲート前に来て、行動するなかで展望を開いてほしい。」
安倍自民党政府は埋め立てを5年、陸上の工事を5年と言ってきた。既に工事開始から3年半。まだわずかしか埋め立て工事は進んでいない。
現段階の状況をしっかり把握しながら、これからの持久戦を闘っていかなければならない。
現在、自分がテントを張っているところは、本島から西40kmのところにある座間味島。アラスカなど北の海から5000kmもの長い旅をしてザトウクジラが島の近海までやって来ます。ザトウクジラがこの島の近海までやってくるのは、温かく穏やかな海で出産し、子育てするためです。2017年の冬には200頭近く発見。今年は寒いからでしょうか、100頭ぐらいの発見。クジラの個別識別が出来ています。ザトウクジラの大きさは体長15m、体重30トン。3月の末になるとザトウクジラはアラスカの海へと帰って行きます。今年も親子で泳ぐ姿は見れました。しかし期待していたブリーチ(ジャンプ)を見ることは出来ませんでした。
あくまで透き通ったブルーの海は実に美しく静かで平和です。その海をあくことなく見つめていた時、島在住の古老の人が近づいて来ました。「旅の人ですか、沖縄の観光はぜひしてもらいたいんですが、沖縄のこれまでの歴史についても知ってもらいたい。もしよかったら、私がそれらの場所に車で案内しましょう」と言われました。「ぜひともお願いします」ということで連れて行かれたのは、ガマ(自然の洞窟)でした。また、小高い丘の様な所に人間の手によって掘られたとみられる横穴がいくつもありました。70数年前にさかのぼると、沖縄は太平洋戦争で唯一、地上戦が行われたところ。その戦いの中で20万人もの人々が亡くなっています。この座間味島は、アメリカ軍が最初に上陸した島です。座間味島、となりの渡嘉敷島は、アメリカ軍の猛攻にあっています。当時、皇民化・軍国主義教育が徹底していました。住民たちは「生きて虜囚の辱めを受けず」という教えの下で「集団自決」に追い込まれています。集団自決に追い込まれた人は、座間味島178人、渡嘉敷島329人(村発表)。
集団自決に追い込まれた人々を鎮魂、慰霊する碑が両島にたてられています。その場所を訪れ、祈りを捧げます。せめて生花でもと思っていましたが、本島でも離島でも売っていません。線香だけはありましたが。
集団自決の場所は山(低いですが)の奥まった所にあります。毒蛇のハブがいますので、注意しながら写真撮影を続けています(これは怖い)。
撮影が終わったら、もう一度名護市辺野古に戻り、座り込みに参加します。
座間味島では次のような言葉の旗(ノボリ)が風にはためいていました。
「「クジラも恋する海」ヨリ「ジュゴンを育む海」への願い 辺野古新基地建設反対」
もっと沖縄を深く理解するために
島尾敏雄『ヤポネシア序説』創樹社
比嘉康雄『日本の魂の原郷、久高島』集英社
岡本太郎『沖縄文化論』中公文庫
柳田国男『海上の道』角川文庫
吉本隆明『全南島論』作品社
大江健三郎『沖縄ノート』岩波新書
森住 卓『沖縄戦 集団自決を生きる』高文研
番外
空路、那覇に入り、一泊か二泊します。その時、一番最初に頭に思い浮かぶ場所は、古本屋の「ウララ」です。
スペースは約1.5坪、小さく狭い店内に硬軟織り交ぜた「沖縄本」がびっしりと並んでいます。比嘉康雄の『日本の魂の原郷、久高島』や、吉本隆明の『敗北の構造』などの単行本、「新沖縄文学」などの雑誌、写真集、旅行案内など。店主は宇田智子さん(横浜出身)です。本を出版されていて、その本が韓国、台湾で翻訳されましたので、韓国、台湾からの来客が増えているということです。この古本屋が那覇で一番好きな場所です。那覇最大の本屋はジュンク堂です。店内には吉本隆明全集や見田宗介著作集のコーナーがあります。これらの本を置いている沖縄で唯一の本屋だと思う。
名護市内で最も心惹かれる場所は、宮前の御嶽です。ハスノハギリという南方系の樹木に囲まれています。この森の中の御嶽は何とも言えない神秘的な磁力がある。名護市に行くと、必ずこの場所を訪れています。ハスノハギリという葉の大きな樹木そのものが、魅力的です。
自分の足で歩いて、沖縄をもっと深く勉強していきたい。とりわけ、久高島の様な離れ島に渡りたいと思っています。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8201:181205〕
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