ハイデガー哲学における歴史と真実(3)――「日本会議研究会」のために
- 2018年 12月 24日
- スタディルーム
- ちきゅう座会員・哲学研究野上俊明
<前回のおさらいー映画「ゲッペルと私」をみて>
ポムゼルは、中学卒という低い学歴でありながら、チャンスを得て時代の寵児である宣伝省大臣ゲッペルスの秘書団の一人となりました。彼女の経歴のハンディキャップは、他の知識人女性秘書とちがって、彼女の描くゲッペルスの人間像―非の打ちどころのないダンディズムの人―がいかにも表面的で底が浅いところに表れています。戦後の結果解釈かも知れませんが、他の秘書たちは、ゲッペルスについて自分をもたない「ヒトラーのマリオネット」にしかすぎず、言動がどこか芝居じみていて、心を許して語り合える友人を一人も持たない孤独な人であったと批判的に語っています。
脇道に逸れますが、ゲッペルスの人となりということで、丸山眞男がかつて紹介した、H・ラスウェル「権力と人格」(創元新社 1942年)を思い出しました。ラスウェルの分析する権力と人格の関係性は、シニカルで狂気じみたヒトラーやゲッペルスなどのナチ指導者の多くに当てはまります。ラスウェルは、自我が(青少年期にーN)蒙った何らかのdeprivation(価値剥奪、価値損失)に対する補完として、破壊的人格や暴君的性格が形成されるとしたのです。たしかにヒトラーもゲッペルスも青年期に大いなる挫折と屈辱を味わい、社会への怨恨と復讐心を募らせたにちがいありません。かれらにとって極右的民族主義運動はそうした復讐心を満足させ、同時に権力への階段を昇る政治手段でした。まさに個人的な怨嗟をナチ運動を通じて見事なまでに社会化するのに成功するのです。その結果、第一次大戦の戦勝国にして、屈辱的なヴェルサイユ条約を押し付けた英仏らに対する国民的な規模での復讐心と相乗して、権力的自我は肥大化して世界戦争の野望へと拡大していったのです。
しかしこのことは権力をめぐるエリート状況だけでなく、人間関係一般に当てはまるでしょう。とりわけ経済的不平等と差別・貧困が拡大し、優勝劣敗の支配イデオロギーに押されて人権意識が後退しつつある現代社会においては、個人の自尊の念やアイデンティティは著しく傷つけられて伸びやかな自我形成は困難になっています。受動性の強い性格であれば、孤立感や無力感、諦めから引き籠りという防御反応にでるでしょうし、能動的な自我であれば、ラスウェルいうところの人格性の補完原理からいじめや暴力行為にのめり込み、かくして極端な権力への志向性を抱くにいたるのです。標準社会ではアウトローやギャングの世界に局地化されていた現象が、社会的格差や希望のなさを培養土にしてあまねく一般社会にも広がって行っているのです。
ラスウェルは大衆的合意形成を条件とする民主主義こそが、人格の破壊性の抑制を可能にするとしています。しかし歯止めとなるべきその当の民主主義がいま危機にあるのです。もちろん悲観的になる必要はないのですが、現代は破壊的権力関係の増大とそれに対抗する民主主義とのつばぜり合いのただなかにあるとみる認識は不可欠でしょう。特に民主主義の根幹中の根幹といえる表現の自由が、そして表現の自由の前提となる知る権利がいたるところで侵されています。詳しくは述べませんが、機敏で効果的な反撃が必要なことはいうまでもありません。
独裁への歯止めとなる大衆的合意形成ということでは、過去の教訓が生かされるべきです。フランスの政治学者トクヴィルが観察した19世紀初頭のアメリカの民主主義のエッセンスは、アメリカ人が問題に応じて至るところで自由に組織(アソシエーション)をつくり、自由活発に議論し解決を図るということでした。つまり一国の民主主義の強靭さは、市民社会内おいて中間団体がいかに多様に無数に組織されているかにかかっているということでした。いや、トクヴィルの分析は古典的リベラリズムの時代に属するもので、そのビジョンは今日では当てはまらないという向きには、別の例をあげましょう。二十世紀資本主義が生みだした組織化された市場経済、巨大な官僚機構を擁する権力国家、大衆化社会-大衆民主主義という新たな社会的条件の下で、ナチズムは抬頭しました。そのナチがドイツを席巻した時代に書かれた、H・プレンナーの「ドイツロマン主義とナチズム」(1935年、講談社学術文庫 1995年)にも、じつは同様のことが述べられているのです。
――ドイツにはオランダやアングロサクソンの自由教会におけるような、小規模で多数の信仰団体に欠けている。前者では、議論を排除せず、信仰告白や確信という問題に粘り強く対処するよう信者を教育する。ところがドイツでは、(ルター派教会が国家と癒着する一方)家と国家、家庭と教会の中間に位置する教育の場が欠けている(P.113)。
つまり一国の民主化という視点から、市民社会における中間団体とその社会教育機能の必要性を指摘しているのです。それ自体は体制の構造的な危機を解決するものではないにせよ、政治・社会の独裁支配への傾斜に歯止めをかけ、民主主義的多元的要素を守り抜くには力を発揮するということでしょう。
こうした経験にかんがみれば、政党の形成や再編成という国家と政治の領域における努力だけでは、民主主義は守りきれないということにあります。市民社会内において市民から公民へと陶冶する自己教育の場である、自由で活発な活動空間を多様に繰り広げていくことが、戦略化されるべきなのです。もちろん今日のグローバリズムの下では、かつてのように市民社会は一国的枠内でのみで発想されてならず、国際的な市民社会の連携と形成がますます必要です。ただそうした上で思うのは、資本主義の体制的危機の徴候そのものである新自由主義の暴走への対応を、かつての社会主義の理念のようなグランド・デザインなしで、ひとり民主主義だけにその責任を負わせるのは酷ではないかということです。やはり体制危機を乗り越えるには、リベラル・デモクラシーをバックアップする、より「大きな物語」の復活、つまり大きな政治的理念と展望の構築がどうしても必要なのではないでしょうか。
風呂敷を広げすぎました、話を本題にもどしましょう。ポムゼルはキャリア・ウーマンの先駆といっていいのですが、その昇進の歩みはナチの抬頭と総力戦に伴う軍事官僚機構の膨張と結びついていました。彼女は思いもかけず二階級特進でナチ体制の受益者となったのです。マージナルマンから新エリートへと飛躍したアイヒマンの場合ほどではないにせよ、ナチの「社会革命」の下剋上によって新エリートの地位にありついたひとりであったといえます。したがってナチ・イデオロギーや政策にはさほど共感を覚えずとも、ナチ体制での居心地の良さを感じていたはずであり、ナチ体制の受動的な支持者だったはずです。そして消極的順応者の処世術として、自分の見たくないもの、聞きたくないものは極力無視して勤務に励んだのでしょう。その意味で、多くの国民同様「悪」の凡庸な共同関与者でした。知らなかったので罪はないとする主張は、世界の状況に目をつぶって狭い自己利益だけに自分を限る生き方をしてきたことからくる自己正当化でしょう。ただ彼女の場合、ソ連の捕虜生活を生き延びたのち、西独に帰還してから戦後ラジオ局の幹部にまで昇進したところを見ると、まじめで自己欺瞞的要素の少ない人柄だったのかもしれません。
ポムゼルのことばで我々が教訓とすべきは、「一端体制が出来上がれば、抵抗は不可能」※という一点でしょう。そのことで私は、ルター派教会の牧師であり、反ナチ運動を指導したマルティン・ニーメラーの戦後人口に膾炙した言葉を思い出しました。
「ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであった」
※その不可能な抵抗を試みた「白バラ」運動をみてください。――独映画Sophie Scholl:The Final Days<full film>2005年 「ゾフィー・ショル、最期の日々」英語字幕付きYouTubeでの無料鑑賞可。
ゾフィーの実物写真
最後にナチに関連して、もう一点述べておきます。ナチの総力戦という時流に掉さし、それを出世のためのチャンスとして利用してホロコーストという人道に反する大罪を犯したアイヒマンでしたが、いま政治・社会の右傾化の流れの強まりで多くのエピゴーネンを生みだしつつあります。
アイヒマン的生き方の復活を、我々は杉田水脈なる人物に見出します、右派潮流の潮目を機敏に読み取り、世論の右傾化に貢献することによって反動的な支配層からの評価を勝ち得、国会議員の地位を獲得するまでに至りました。二世三世議員の多い保守政党のなか、ダーティな仕事を引き受け、世論に突出する突撃隊的役割をこの種の「日本会議」関連の新興グループは引き受けているのです。我々はこうしたファシズムの露払い的行動を厳しく監視し、反撃する必要があるでしょう。
<ハイデガーをどう読むのか>
答えなしの問題提起だけで恐縮ですが、日本人になにゆえハイデガー好きが多いのかの解明の糸口になるかもしれませんので
19世紀における普遍的な理性の体系としてのヘーゲル哲学解体以後、あるいは哲学による諸学の統一といったフンボルト的教養理念以後、哲学から実証的専門科学が次つぎ独立し、哲学は固有の基盤を失なったようにみえます。哲学は弁証法(論理学および認識論)が残るのみだろうとした、エンゲルスの予言もあります。
ハイデガーの時代――哲学に対する世界観的要求と科学への要求の相克と分裂。(古在由重「現代哲学」1937年)。
世界観・価値の要求―非合理主義的なロマン主義、生の哲学や実存主義的流れ
科学性・客観性への要求―新カント派や論理実証主義の流れ
スターリン主義(マルクス・レーニン主義)や西欧マルクス主義(批判理論等)の流れ
当時マルクス主義は自己を科学的な世界観として両者をアウフヘーベンするものとみなしました。しかしスターリン主義的な正統派解釈においては、世界観的側面と科学的側面はともにスコラ的教条哲学に堕し、フルシチョフ時代にはアメリカとの生産力競争をバックアップするイデオロギーとして科学技術主義(科学技術革命論)への傾斜が顕著となりました。
――→アーレント=大衆化社会における大衆の根無し草化と孤立化、労働と消費の単なるプロセスに満足を見出す人間類型の勝利を現代の普遍的な社会現象として描いています。マルクス主義はこうした流れを促進する労働(labour)の哲学でしかないと批判するのです(「人間の条件」1958年 ちくま学芸文庫、1994年)。アーレントの議論は、ハイデガーのボリシェビズム批判を踏まえているようにみえますが、マルクスの理論が、そもそも科学技術至上主義的な側面を有しているのかどうかについては議論のあるところです。(アメリカのマルクス主義経済学者であったスィージーPaul Sweezyの遺したMonthly Review誌上に載った、「エコ社会主義」の議論はなかなか興味ある論点を含んでいます。詳しくは後日紹介したします)
十九世紀的な哲学観からみれば、二十世紀は認識論(科学論)や論理学に活路をもとめる、ある意味で哲学不在の時代といえます。だからこそハイデガーの実存論的存在論に哲学への郷愁を満たすものを感じ取る知識人が多かったのでしょう。くわえてハイデガー世代は、死が身近な出来事でした。死を覚悟した戦場体験、身近な人々が戦死した経験から、「不安「と「死への存在」の自覚を哲学的ゲートウェイとする内容が受けたのでしょう。「存在の探求」とは、つまるところ現存在=自己の存在の意味や価値の探求と考えていいでしょう。この場合、存在の意味は与えられるものではなく、意味を創りだす行為が生きることそのものであるとする無神論的自律的な考え方もあるし、存在は無意味であるとするニヒリズムの立場もありえます。ただ後者の立場は生きている以上は徹底は難しい。むしろキリスト教世界の伝統のあるところでは、超越的普遍的な価値や道徳律の源として存在を探求する傾きが強いといえます。ハイデガー哲学の背後にはキリスト教的な終末論―存在の喪失と再生・復活―の影がちらつくことに気付かされます。
いずれにせよ、第一次大戦後没落を余儀なくされた中間層としてのインテリゲンチャアの多くが、人間存在の基盤喪失(ニヒリズム)からの脱出を目指す試みとしてハイデガー哲学を高く評価したのです。しかし多くの場合、英仏流の啓蒙主義的理性・普遍的人間性への不信と反撥から、ニヒリズムからの脱出口を民族、血縁共同体という前近代的非合理的な普遍性を見出し、そこへ一大決断をし身をゆだねることによって、ナチズムに合流するに至ったのです。――1930年代以前―不安の哲学、死の哲学/1933年以後―民族と意志の哲学という総括 (池田浩士「ファシズムと文学」白水叢書 1978年P.143)
K・レーヴィットは、資本主義世界の歴史がもたらす解決困難な問題性を黙示録風な物言いでまとめています。レーヴィットにおいては、マルクス経済学の最重要概念である「搾取」が抜け落ちていて、経済的な問題が精神的な上部構造に逆還元されています。
――→マルクスー物象化と疎外 ウェーバー――合理化と官僚制化(魔術からの解放と再魔術化)
ただH・プレスナーによれば、存在基盤の喪失という自己意識はインテリゲンチャアに限らず、①確固たる国民国家的な存立基盤に欠けていたこと、②戦後の経済的困難による失業、インフレなどによる見通しのなさ、③西欧的啓蒙的価値に反撥しつつも、自前の確たる価値観をもたなかったこと、④大衆社会化状況が、アイデンティティの危機と自己喪失感を強めた、といった諸相において、国民全体に広がったのです。
さて、翻って二十一世紀資本主義は、全地球的規模の生態学的危機の渦中にあります。それは進歩してやまないinnovative科学技術に支えられた諸産業の巨魔的な生産力の所産であり、解決の処方箋が描けないがゆえに下手をすると人類共倒れの危険に陥るとさえいっていいのです。二十世紀に我々人類はドイツ人の教養の高さや優れた科学技術力が、民主主義の死によって総破滅へと暴走する様を目撃ました。それはギリシア神話のイカロスの失墜を地で行くようなものでした。高度な科学技術と産業能力を真にコントロールし、自然と人間との、また人間同士での共生と共存するための新しい哲学が要請されているのですが、くどいようですが民主主義はそれの不可欠の構成要素であるのです。
今回の私のレポートは、ハイデガー哲学というより、ハイデガー哲学的状況に注意を向け、第一次大戦前後のドイツの精神状況の文脈の中にハイデガー哲学おいて解読することに主眼を置きました(知識社会学的解読)。今後はそのことを踏まえ、ヘイデガー哲学がどこまで普遍性を持つ内容が含まれているのか検証するという作業になるでしょう。ただその場合でも前回述べたように、「ファリアス以後」という留保なしでのハイデガー再評価は危険であることを改めて強調しておきたいと思います。二十一世紀に入っての世界の状況には、1930年代の再来を思わせる様々な兆候がみえることを、多くの識者が指摘しています。
H・プレスナーは、前掲書「1959年まえがき」(P.33)において、次のような警告を発していますが、その内容はますますもって今日の状況に当てはまるようです。
「かつて国家社会主義(ナチス)の理念の精神的温床となったし、今後もなおそうなるであろう—経済の構造が本質的には変わっていないのだから―基盤への批判がわが国でこれまで真剣になされたことがあったろうか?」(太字は筆者)
今日がいかなる時代なのか、それを闡明にするためには過去との比較が一助になるでしょう。最後になりますが、ドイツの良心のひとりであったトーマス・マンの時代証言から引用をしておきます。
<T・マン 講演「理性に訴える」(1930年)>
国家社会主義運動の抬頭は反ベルサイユ的大衆感情を捉えたからだが、それをバックアップした思潮がもともとあったとして、ドイツ・ロマン主義的伝統を指摘します。
「中産階級の経済的没落と結びついたのは、知的予言及び時代批判としてこの没落に先行した一つの感情でありました。すなわち、フランス革命に始まった市民時代とその理念の世界は終焉を告げており、今は時代の転換期であるという感情であります。市民的精神状況とその諸原則、すなわち自由、公正、教養、楽天主義、進歩への信仰などとはもはや無縁のものとなるはずの、新たな人類の精神状況が告知され、これが芸術的には表現主義の魂の叫びの中に、哲学的には理性信仰からの離脱、過去数十年間の機械論的であると同時にイデオロギー的な各種の世界観からの離脱という形で表現されました。すなわち、それは生の概念を思考の中心に据える非合理主義的反動であって、無意識なもの、ダイナミックなもの、暗く創造的なものの力を、唯一それのみが生命を賦与する力であるとして高く看板に掲げ、精神を単に知的なものと解して、これを生命を殺すものとして忌避し、このような精神に対抗して魂の暗部を、母性的で地底の冥府に通じるようなものを、神聖にして多産な地下の世界を、生命の真実として称賛したのです」(P.117~118)
マンはこのあと現代の状況と見紛うばかりの描写を行なっています。
「(国家社会主義という原始的衆愚政治的な粗暴さが巨大な波のうねりとなって人々に襲いかかる)多くの成功や破局を伴う技術の異常なまでの発展、スポーツの記録が巻き起こす騒ぎやセンセーション、大衆を魅惑するスターの過大評価と狂ったような過大な収入、膨大な観衆の前で展開される、何百万もの報酬が乱れ飛ぶボクシング試合、こうしたもの或いはこれに類したものが、文化、精神、芸術、理念などのような教訓的で激しい概念の衰退、消滅とあいまって、今日の時代像を規定しているのです」(p.120)
我々はドイツにおいてファシズムの前駆的な社会現象がどのようなものであったか、しっかりと見ておかなければならないでしょう。
<補遺>日本人にハイデガーファンが多いことの理由解明の糸口?
ハイデガーや京都学派に共通するのは、後発資本主義国であり、市民革命が未達成であったという歴史的社会的条件(ドイツ=1848年革命の挫折、日本=自由民権運動の敗北)を背負った知識人階級出身であるということ。したがって近代国家としての指標である、国民国家の成立、産業立国、市民社会形成という三側面において未熟さ、不十分さを免れません。日本もドイツも産業立国に成功しつつも、内実は軍事化の強い傾向を帯びていたこと。市民社会の未成熟、すなわちリベラリズムの弱さは、啓蒙思想や自然法思想の一面性を批判しつつも、それに代わる理念提示しえず、最も保守反動的な「民族」概念に拠りどころを求めざるを得なかったことなど、共通性がみてとれます。
ただ昭和11年から15年まで東北大学で教鞭をとったK・レーヴィットは、「ヨーロッパのニヒリズム-日本の読者に寄せる後記」のなかで、日本人の外来思想の受容の仕方を厳しく批判しています。つまり日本人は総じて外来思想に対し自身の自我と正面から渡り合い格闘することなく、表面的に受け流す傾向が強いとしています。ハイデガーの弟子たるレーヴィットからしてみても、ドイツと日本人はその共通性よりも、日本人の思想的主体性のなさという差異の方が際立っていたのでしょう。
2018年12月22日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔study1011:181224〕
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