「米・中」が2大不人気! なぜ?
- 2018年 12月 25日
- 時代をみる
- アメリカ中国田畑光永
年末雑記 1
驚いた、米・中2国がそんなに不人気とは・・・。
私が購読している新聞(『毎日』)の読書欄で、書評を担当している執筆者が年末に「今年の3冊」を推薦する毎年恒例の記事で、今年は米・中の2国を扱った本をどなたも取り上げていないのだ。18人が3冊ずつ挙げているので、計54冊の中に、である。
私は一応、中国を見てきたつもりだから、毎年、たくさん出る中国を扱った本のうち、どれが書評担当の執筆者のおめがねにかなって、「今年の3冊」に取り上げられるかを楽しみにしている。
中国を見てきたといったところで、出る新刊のうち実際に読めるのはほんのわずかだから、自分の知らない本が取り上げられていれば、自らの不明を恥じるし、知っていて読まなかった本が取り上げられていれば、その本のどこがよいのかを知りたくなるし、たまに読んだ本が取り上げられていれば、「ふむふむ、この人もなかなかいいところに目をつけているではないか」などと悦に入る、という具合に、そのリストを眺めるのは年末の楽しみの1つなのだ。
ところが今年は中国関連が1冊もなかった。不思議だ。なぜなら今年は春の全国人民代表大会という国会みたいなところで、今、習近平氏が座っている国家主席という役職の任期(これまでは1期5年で、2期まで)を憲法の規定からなくして、昔の共産主義国家のように、終身元首への道が開かれたり、春以降は米のトランプ大統領との殴り合いのように制裁関税をかけあう「米中新冷戦」が始まったりと、ニュースには事欠かなかった。一般の関心もそれなりに高かったはずだ。
現に書店の棚にはこれでもか、といわんばかりに中国を扱った新刊が並んでいる。それなのに、これは読むに値すると書評を担当する人の目にとまる本が1冊もなかったとはどういうことなのか。
と、不思議に思いながら、ふと気が付いてアメリカはどうかと探してみると、なんとこれまた皆無だった。
アメリカの1年を振り返ってみると、前半はトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長のシンガポール会談が大きなニュースとなり、後半は中国との貿易戦争とこちらも話題には事欠かなかったはずだ。
となると、なんだかそこには共通の理由があるような気がしてきた。あれやこれや思いめぐらして、ようやくこれかとなった結論は、両国とも話題には事欠かなかったが、両国のトップが他国から見て好ましい印象をほとんど与えなかったからではないか、ということだ。
習近平については、自らの権力を強めることに異常に執心している印象がまず先に立つ。この時代に自分の手で自分の任期を無制限にするというのは、世界の常識に逆行する異常な振る舞いとしか言いようがない。そればかりでなく、話題の「華為」(ファーウェイ)はともかく、防犯カメラの世界の2大メーカーが中国企業だというのも、別に悪事を働こうとは思わない国民にとってもうれしくない話だろうし、現に中国がジョージ・オーウェルの小説、「1984年」まがいの監視国家になりつつあることは事実である。
したがって、学術書は別にして巷にあふれる一般の中国本は、まず中国に好意的でない。他人の悪口というのは、面白くないことはないにしても、それを真正面から取り上げて論評するのはいささか気がさすものだ。
アメリカについても事情は似たようなものだ。いちいち紹介しなくても、現大統領の発言、振る舞いは大国のトップを務める人間についての常識的な姿からはみ出る部分が大きい。現に次から次へと要職の人間がやめていくのはこの人物の周辺がよほど異常な空気であることを物語っている。おそらくアメリカ国民はいつエンジンが暴発するか、いつブレーキがこわれるかわからない車に乗り合わせてしまったような気分ではないか。
となると、こちらもなかなか書評の対象とはなりにくいのかもしれない。しかし、書評の問題はさておき、習近平、トランプの2人が正面から角突き合わせている現状は、考えてみれば深刻な事態だ。つまり、2人に共通する点は、自分の力を過信し周囲の助言を受け付けない、というか、もっと言えば助言をはねつけることで権力を誇示したいという性癖だ。
もしも、その2人が・・・と考えると、いや、考えることはやめておこう。
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