東日本大震災復興構想会議・検討部会を国民に完全公開せよ
- 2011年 4月 25日
- 時代をみる
- 広原盛明東日本大震災復興構想会議
4月20日、東日本大震災の復興ビジョンを策定する復興構想会議の下部組織、検討部会が首相官邸で初会合を開いた。会合後、部会長を務める飯尾潤氏が記者会見を開き、いろんなことはいったが、復興で必要となる財源については「増税を含めた選択肢」を示す考えを述べた。
このところ五百旗頭座長といい飯尾部会長といい、初会合後の記者会見では必ず復興ビジョンの財源問題に触れて、「震災復興税」を含む増税の必要性を強調し、その後、枝野官房長官が別の記者会見で「発言を重く受け止めたい」と呼応するパターンが続いている。
しかし復興構想会議も検討部会も、“復興税”構想会議・検討部会ではないのだから、座長・部会長が議論もしないうちからいきなり増税の必要性を持ち出すのは、いささか「フライング」の感を免れない。首相官邸との「出来レース」だといわれないように、バランスのとれたテーマ設定と公正公開の議事運営が求められる。
東日本復興構想会議は、阪神淡路復興委員会を「モデル」にしたといわれる。だが下河辺委員長のもとでの復興委員会の議論の進め方には、議題が「復興長期ビジョン」に偏ったこと、会議や議事録が公開されなかったこと、という2つの重大な欠陥があった。(詳しくは、拙稿「阪神淡路大震災における震災復興都市計画の検証」、原田純孝編著、『日本の都市法Ⅱ、諸相と動態』、東大出版会、2001年刊行を参考にされたい)
議題の重点を「長期ビジョン」に置くことの問題点については、それが被災者・被災地の生活再建を置き去りにした「大ハコモノ計画」に他ならないことをすでに述べた。しかし今回の復興構想会議や検討部会の冒頭のあいさつで、菅首相や枝野官房長官が「内閣や党派を超えて、わが国の英知をすべて結集して、新しい復興構想をまとめてもらいたい。各委員の専門的な知見と、各地域の思いや絆が合わさった形の復興ビジョンを描いていただきたい」と述べたことがもし真意であるのなら、これからの会議は全て完全公開されることが原則でなければならない。
なぜなら「復興ビジョン」は、ある日突然、天から降ってくるものでもなければ、地から湧いてくるものでもなく、議論のプロセスが国民に逐一公開されないことには、「各委員の専門的な知見と、各地域の思いや絆が合わさった形の復興ビジョン」は描けないからだ。議論のプロセスを公開することによってはじめて、復興ビジョンの内容が国民に理解(批判)され、その過程を通して国民の合意・コンセンサスの形成が可能になるのである。
この点に関しては、最近は政府各省庁の審議会においても情報公開が飛躍的に進んでいる。かってのように審議会メンバーと事務局による密室審議ではなく、毎回の議事録と提出資料がホームページで公開され、関心を持つものならだれでも審議状況を知ることができるようになった。このことは、今回のような国民の一大関心事を扱う会議であれば、なおさら徹底して追及されなければならない。またそうでなければ、政府・官僚・ゼネコンだけの「復興ビジョン」になることは請け合いだろう。
審議会答申や委員会報告がどのような議論を経て作成されたかを知ることは、国民の知る権利を保障する意味でも、答申や報告の内容を正確に理解するうえでも不可欠の要件だ。だが、阪神淡路復興委員会の議事録はこれまでついに公開されることはなかったし、現在に至るも未公開のままだ。
私は、この事態に義憤を感じた関係者から幸いにも全ての議事録を譲り受けることができた。議事録は14回の委員会、2回のヒアリング、計16回分の各委員の正確な発言記録であり、A4ワープロ版の約500頁、段ボール箱1個分に上る膨大な分量のものだ。(この議事録を、東日本大震災復興のための研究や報道に使っていただけるのであれば、いつでも喜んで提供したい)
今回の復興構想会議・検討部会が阪神淡路復興委員会を「モデル」にしたのであれば、政府はまずこの議事録の公開から始めなければならない。阪神淡路復興委員会の経験に学び、その欠陥を是正し、誤りを正すことなしには、東日本大震災の「復興ビジョン」を描くことは不可能だからだ。
地震や津波は「自然現象」だから、人類はこれを免れることはできない。しかし災害は「社会経済現象」だから、事前の準備や対策によって予防することができるし、減じることもできる。この点で今回の東日本大震災とりわけ原発事故は、「想定外」ということで東電が安全対策を怠った典型的な“人災”、すなわち「社会経済現象」だ。
それでは復旧復興計画や復興ビジョンの作成はどんな現象なのか。私は「政治現象」そのものだと思う。政治の力によらなければ被災者・被災地は救えない。財界のように自らの責任は頬かぶりしたまま、国民に対しては「自己責任」「自己決定」を強要するような行動様式では、被災者・被災地は棄てられるほかはない。だから財界の力をはねのけて、政治の力で被災者・被災地を救わなければならないのである。
政府が復興構想会議・検討部会の責任者に、“政治学者”の五百旗頭氏と飯尾氏を選んだのはそのためだろうと思いたい。でも、政治学者にもいろいろいる。いったい五百旗頭氏と飯尾氏はどんな類の政治学者なのか。それを国民が知るうえでも会議の完全公開は必要不可欠なのだ。
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