「東大闘争」から50年経つ/教育は変わったのか?
- 2018年 12月 29日
- 評論・紹介・意見
- 合澤清
「東大闘争」から50年経つ/教育は変わったのか?
紹介:『東大闘争総括 戦後責任・ヴェーバー研究・現場実践』折原 浩著(未来社)
定価:本体2,800円+税
発行日:2019年1月18日(初版第一刷発行)/書店には既に並んでいる
来年(2019年)1月18-19日は、「東大闘争」(安田砦陥落)から50年の節目に当たる。
この日、東大本郷キャンパスには、大学当局の要請によって導入された数千人の警視庁機動隊が、空(ヘリコプターによる催涙液攻撃)と地上(催涙弾と高圧催涙液攻撃)から、安田講堂(「解放講堂」)他、いくつかの建物にたてこもる全共闘の学生に向けた掃討作戦を開始した。
権力によって操作されたマスコミや世論は、この闘いを「暴力学生」「ゲバ学生」から大学の秩序を守る「正当な権力行使」であるかのように、つまり「事件」として扱い、なぜこのような闘いが起きたのか、その根幹の問題は何なのか、を一切問おうとしなかった。
また、東京大学当局、及び日頃「学問の自由」「大学の自治」を声高に唱える教官たちも(一部のいわゆる「造反教官」を除き)、学生たちとのまっとうな話し合いを拒否し、ひたすら大学防衛、引いては自己の地位の防衛に汲々とする有様であった。
その結果が、今日見られる大学の衰退であり、政財界とその飼い犬と化した観のある大学当局による教員(その教育内容)や学生に対する徹底した管理・監視化に他ならない。
3.11福島原発事故後の大学や教官の卑劣な対応、産・軍・学一体化構想(産・軍への協力なしには十分な研究資金はもらえないとの縛り)、一切の自治会活動(つまり、学生の自主的な活動)を認めず、すべて大学当局の許可制=管理下に置く、あるいは明治学院大学で現に起きた「大学当局による授業の盗聴と録音による監視」、当該教授の解雇処分、等々。
大学をめぐる世相はますますひどく、厳しくなっているとしか思えない。
東大闘争は未解決の問題である。「解放講堂」からの最後の放送が伝えたごとく、「われわれの戦いは継続する、しかし、残念ながらこの解放講堂からの放送を一時中断します」・・・つまり、まだ続いているのだ。
本書の著者である折原浩は、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーの研究者として高名である。その業績についてはこの論稿の末尾に掲載する。
この書は、その折原が実際に東大闘争に向き合い、身体を張って真摯にそれとかかわった記録である。さすがに一流の学者によるものだけあり、綿密な資料の精査、また許される限りでの現場接点ときちんとした観察が行き届いている。また、当時の関係者が実名で登場しているのも臨場感にあふれている。
折原浩の考え方(マックス・ヴェーバーの複眼=多元史観)に必ずしも一致しなくても、この書の説得力には脱帽する以外ない。
この本の帯には、これが「渾身の書き下ろし」とある。折原はここ数年、重大な病気を抱えて闘病生活を余儀なくされていたはずである。全く恐れ入った話である。
是非これを手にとって、現今の教育行政のあり方、政治や社会の動向をじっくり考えなおして頂きたいと思う。
[主要目次]
プロローグ
第I部 軍国少年・理科少年・野球少年から戦後思想の渦中へ(§1-5)
第II部 マックス・ヴェーバーとの出会い(§6-10)
第III部 思想形成途上の諸問題――実存主義とマルクス主義の対抗的相補性とヴェーバー
1 木を見て森を見ない実存主義(§11-12)
2 森を見て木を見ないマルクス主義(§13-16)
3 マルクス主義との両義的対決(§17-20)
4 木も森も見るヴェーバー――マルクス以後の実存思想家(§21-24)
第IV部 東大闘争前史
1 一九六〇年「安保闘争」(§25-27)
2 一九六二―六三年「大管法闘争」(§28-32)
3 一九六四年「ヴェーバー生誕百年記念シンポジウム」(§33-41)
4 一九六五―六七年「学問の季節」における日常の取り組み(§42-45)
第V部 東大闘争
1 「紛争」への関与(§46-49)
2 医学部紛争と医学部処分(§50-55)
3 文学部紛争と文学部処分(§56-67)
4 「紛争」関与から現場の闘いへ(§68-74)
5 文処分撤回闘争の継続と帰結(§75-81)
第VI部 「現場の闘い」の持続に向けて
1 「解放連続シンポジウム『闘争と学問』」から(§82-88)
2 ヴェーバー「合理化」論再考(§89-92)
3 大学論・学問論・社会運動論の再構築に寄せて(§93-105)
エピローグ――共に歴史を創ろう――戦後の一時期を生きて、生活史・学問・現場実践の関連を切開し、後続世代の批判的克服にそなえる
折原浩(おりはら・ひろし)
1935年 東京に生まれる。
1958年 東京大学文学部社会学科卒業。
1964年 東京大学文学部助手。
1965年 東京大学教養学部専任講師(社会学担当)。
1966年 東京大学教養学部助教授。
1986年 東京大学教養学部教授。
1996年 東京大学教養学部定年退職。東京大学名誉教授。名古屋大学文学部教授。
1999年 名古屋大学文学部定年退職。椙山女学園大学人間関係学部教授。
2002年 椙山女学園大学人間関係学部退職。
著書――『危機における人間と学問──マージナル・マンの理論とウェーバー像の変貌』(1969年、未來社)、『大学の頽廃の淵にて――東大闘争における一教師の歩み』(1969年、筑摩書房)、『東京大学――近代知性の病像』(1973年、三一書房)、『デュルケームとウェーバー――社会科学の方法』上下(1981年、三一書房)、『学園闘争以後十余年――一現場からの大学―知識人論』(1982年、三一書房)、『マックス・ウェーバー基礎研究序説』(1988年、未來社)、『ヴェーバー「経済と社会」の再構成――トルソの頭』(1996年、東京大学出版会)、『ヴェーバーとともに40年――社会科学の古典を学ぶ』(1996年、弘文堂)、『「経済と社会」再構成論の新展開──ヴェーバー研究の非神話化と「全集」版のゆくえ』(ヴォルフガング・シュルフターと共著、鈴木宗徳、山口宏訳、2000年、未來社)、『ヴェーバー学のすすめ』(2003年、未來社)、『学問の未来――ヴェーバー学における末人跳梁批判』(2005年、未來社)、『ヴェーバー学の未来――「倫理」論文の読解から歴史・社会科学の方法会得へ』(2005年、未來社)、『大衆化する大学院――一個別事例にみる研究指導と学位認定』(2006年、未來社)、『マックス・ヴェーバーにとって社会学とは何か――歴史研究への基礎的予備学』(2007年、勁草書房)、『比較歴史社会学へのいざない――マックス・ヴェーバーを知の交流点として』(小路田泰直編、小路田泰直、水林彪、雀部幸隆、松井克浩、小関素明らと共著、2009年、勁草書房)、『マックス・ヴェーバーとアジア――比較歴史社会学序説』(2010年、平凡社)、『東大闘争と原発事故――廃墟からの問い』(清水靖久、三宅弘、熊本一規と共著、2013年、緑風出版)、『日独ヴェーバー論争――「経済と社会」(旧稿)全篇の読解による比較歴史社会学の再構築に向けて』(2013年、未來社)。
訳書――ラインハルト・ベンディクス『マックス・ウェーバー──その学問の全体像』(1965年、中央公論社)、改訳再版『マックス・ウェーバー──その学問の包括的一肖像』上・下(1987/88年、三一書房)、マックス・ヴェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(冨永祐治・立野保男訳への補訳/解説、1996年、岩波書店)
*ちきゅう座には、2016年11月30日から連続9回にわたり、関連記事が掲載されています。
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〔study789:161130〕
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〔opinion8262:181229〕
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