立ち上がる夜と黄色いベスト運動
- 2019年 1月 17日
- 評論・紹介・意見
- 髭 郁彦
0.はじめに
政治学者でも社会学者でも経済学者でもジャーナリストでもない私が、立ち上がる夜や黄色いベスト運動について、政治的、経済的、歴史的視点から的確にコメントすることは不可能である。しかしながら、現代フランスで起きた(黄色いベスト運動は今も継続しているが)この二つの重要な社会運動の関係性について日本で言及しているテクストは今のところ皆無に等しい。それゆえ、ここではこの二つの運動に対する考察を行い、現代フランス社会が抱える多くの問題点について論述していこうと思う。そのために、ここでは最初に立ち上がる夜についての検討を行い、続いて黄色ベスト運動についての検討を行い、それを比較していく。さらに、この二つの運動を記号学的視点から分析し、またフランスの社会運動と日本の社会運動との差異について分析し、その考察をこの拙論の結論にしようと思う。
1.「立ち上がる夜」について
(1)運動の背景
立ち上がる夜(nuitdebout) に関しては、村上良太の『立ち上がる夜:<フランス左翼>探検記』というこの運動に加わった多数の参加者へのインタビューを中心とした非常に興味深い本が昨年発刊されている。それゆえこのセクションではこの本に基づきながら、立ち上がる夜について検討していこうと思う。インンタビューを読むと、2016年、フランスにはあまりにも多くの社会・政治・経済問題が存在していたことが理解できる。2015年1月に起きたシャルリ・エブド事件、同年11月に起きたパリ同時多発テロ事件によって、未解決のまま残されていた民族・宗教問題の矛盾が一挙に噴き出した形となり、国家が大きく揺らいでいただけではなく、失業率は相変わらず10%を超えていた。労働環境が厳しい状況にあるにも拘わらず、当時のオランド政権は労働者の解雇が容易になり、残業や休日労働の報酬が大幅に減少する労働法改正を実施しようとした。さらに、パリの家賃は高騰し続け、ミッテラン政権の終わりに比べて三倍以上に跳ね上がっていた。民衆のための政治を行うはずの社会党政権が右派政権とまったく違いのない新自由主義的政策を押し進め、貧富の差は拡大していた。貧困問題は民族・宗教問題とも絡み合いフランス社会は混迷の様相を呈していた。社会党の変節、新自由主義的弱者切り捨て政策への舵取り、イスラム原理主義の台頭とテロリズムなど数々の問題を抱えたフランス社会(以上の点については資料1を参考にして欲しい)。こうした状況の下、パリで起きた大規模な社会運動が立ち上がる夜であった。それゆえこの運動はフランスにおいて衝撃的に大きな意味があったのである。
この本のインタビューに登場する経済学者・哲学学者のフレデリック・ロルドン、ジャーナリストのフランソワ・リュファン、放送ジャーナリストのアリーヌ・パイエ、哲学者のパトリス・マニグリエといった人物達が何故この運動に参加したのかという理由は様々であった。だが、彼らに共通する参加理由が何点かある。それは大きく分けて以下の三つの点に要約できる。①現在の政治体制への不信と不満、②新自由主義システムによる労働条件の悪化と貧富の差の拡大に対する怒り、③頻発するテロによって起きた民族・宗教・文化的対立への不安。これらの点は現代フランスが持つ社会的断層を構成する主要要因でもあるが、この三点を巡る問題は複雑に絡み合い、容易に解決できない状況であるからこそ、立ち上がる夜という運動が誕生していったと断言してもよいであろう。
(2)運動の進展と終息
2016年3月31日の夜、パリ、レピュブリック広場。多くの人々が集まり、夜を徹しての討論会が開かれる。この討論会は日を追うごとに参加者の人数が増え、広場を埋め尽くすまでになる。立ち上がる夜はこのようにして生まれた。この運動は最初、労働条件の改正を目指すエルコムリ法 (loi El Khomri) に反対することを主要目的としたが、参加者が議論しようと望む問題は労働問題だけではなく、住宅問題、LGBT問題、医療問題、教育問題など多種多様なものであった。そのためテーマごとに車座になって討論が行われた。その横では音楽を奏でる集団、ダンスをする集団もいた。
立ち上がる夜という総合大衆運動が突如出現した印象を多くの人が持ち、驚きの言葉を発した。立ち上がる夜が、今迄の大衆運動と異なる点は運動の中心となるリーダーを持たないこと、スローガンを持たないことであった。参加者各人がテーマごとに分かれた討論に参加し、意見交換をすることによって社会を変えようとした点が重要であったのだ。「毎晩、数千人の老若男女がパリ市内の共和国広場に集まり、今の生きづらい社会をどう変えるか、民意を裏切る政治をどう考えるべきか、そんな硬派なテーマを初対面の人同士で車座になって議論を重ね、新しい社会のあり方を模索し始めたのだ」と村上は書いているが、均質化されない現代社会であるからこそ、問題は多様であり、議論すべき問題は多数あった。そうした問題を顔の見えないインターネットによる意見交換ではなく、実際に顔と顔とを突き合わせて対話することが重視された運動が立ち上がる夜であった。「開かれた対話」、それがこの運動の中核となったものであり、それは直接参加型の民主主義の一つの方向性を示すものでもあった。
その後、立ち上がる夜は2017年の大統領選挙前までは大きなうねりを見せた。だが、大統領選で左派の候補は破れ去り、新自由主義者のマクロンが新しい大統領となり、その数ヵ月後の国民議会選挙でも社会党は惨敗を喫し、運動自身も選挙前には完全に消滅していった。こうした流れを見ていくと、この運動は完全に失敗に終わったように思われる。だが果たしてそう言い切れるものだろうか。村上は彼の本の終わり間近で、「(…)「立ち上がる夜」は単なる一過性の理想主義の産物として消え去っていく運命なのだろうか。僕はどこかでそんなに簡単にこの運動は消えないだろう、という気がする。というのは「立ち上がる夜」が垣間見せた民主主義の可能性が、たとえわずか数週間であったとしても、人々の心に希望を灯したと思うからだ」と述べている。
2.黄色いベスト運動
(1)運動の背景と目的
参加者の多くが蛍光色の黄色いベストを身につけて行った抗議運動であるために黄色ベスト運動 (Mouvement des Gilets jaunes) と呼ばれたマクロン政権への反対行動は、2018年の11月中旬から始まった。国民が前年に大統領として選んだマクロンの政策に強く反発するこの運動は、マクロンを大統領にした多くのフランス国民が、マクロン支持が間違っていたと考え、彼の政策に激しく抗議するものとして大きな意味がある。運動の引き金となったものは、マクロン政権による自動車燃料税の増税であるが、ウィキペディアのフランス語サイトの「黄色いベスト運動」という項目によれば、参加者は①税制の変革、②下層階級並びに中流階級市民の生活水準の改善、③直接民主制、④マクロンの退陣を要求している。マクロンの政治が目指すものは新自由主義的と呼ばれるが、その理由としては挙げられるのは以下の点である。EU規約にある財政赤字をGDPの3%以下に抑えることを早急に実現しようとしている点 (フランスの財政赤字の変化は資料2に示している)。さらに、フランスの国際競争力維持のために企業への課税は軽減される一方で、その負担が国民全体に及び、とくに、貧困層の負担の増大は大きく、生活水準の現状維持が困難な状況になっている点である。富裕層だけが優遇されて貧困層は生活がますます苦しくなっているのである。マクロンは自動車燃料税の導入目的を地球温暖化抑制と述べているが、この増税で今苦しむのは庶民であり、富裕層に影響はない。そのため、運動参加者の多くは富裕税 (ISF:impôt de solidarité sur la fortune) の復活 (2013年に導入されたが2018年にマクロンが廃止) を求めた。さらに、学生によるマクロン政権の教育改革への反発もこの運動を後押ししている。大学入試制度改革 (Parcoursup) はバカロレアを取れば大学などの高等教育機関に全員入学できるという平等の原則がある現在の制度(APB[Admission Post-Bac]制度)とは異なり、高校の成績などの内申書が重視され、入学希望優先順位は考慮されず、志望者の多い大学では志願者の居住地は考慮されない。こうした政府の方針に多くの学生は激しく反発している。
(2)運動の経緯と特徴
昨年の11月17日、フランス全土でマクロンの政策に反対する抗議者がバリケードを築き道路を封鎖、一部の抗議者は燃料貯蔵施設なども封鎖し、警察と激しくぶつかった。フランス全土で287710人がこの抗議運動に参加、2034カ所が占拠され、死者1名、負傷者409名、117名以上が逮捕された。その後も激しい抗議運動は続き、他のヨーロッパ諸国、とくに、ベルギーにも飛び火し、国政に対する大きな反対運動が起こった。そのため首相のフィリップは12月4日に自動車燃料税の導入の6ヵ月間延期を発表、大統領のマクロンは12月10日にテレビ演説をし、最低賃金の増加、定年退職者への増税策の大部分を撤回するなどを約束するが、抗議者の多くが望んでいる富裕税の再導入は拒否した。しかし運動は継続。12月20日までにフランス全土での抗議者の負傷者1850名、警官隊の負傷者1050名、死者10名に上っている。抗議行動は終息する気配もあるが、今度の状況次第で再び激しくなる可能性もある。
フランスでこうした政府に対する大規模な抗議運動が行われることは珍しいことではない。だが、この運動には従来の抗議運動と比べた場合に以下の三つの特異点がある。①運動を指導するリーダーの不在、②左右党派を問わない抗議行動、③暴力性の存在である。①については、運動を指導する根本原理も指導者も存在していずSNSなどで抗議運動の呼びかけが拡散したことによってこの運動に加わったという参加者が殆どである点は大きな意味を持つ。指導者の不在が運動を大きくしたという面がある一方で、一部の参加者の暴力行為による過激化の原因の一つにもなったと考えられる。②については、運動参加者には極左や極右支持者もいるという点は注記する必要があるだろう。党派性を超えた抵抗運動という見方もできる一方で、こうした参加者は運動が過激になる一つの要因になったとも考えられる。③については、今も指摘したが一部の参加者は暴力行為に走り、通りに停まっていた車を炎上させたり、建物の破壊行為を行ったり、警官隊に対する暴力的抵抗などを行った。そのため多くの負傷者や死者も出た。こうしたラディカルさは対話的であるよりも暴力的であるこの運動の一つの特徴を示しているが、昨年12月12日のグローガー理恵のちきゅう座への投稿記事の中に書かれたこの運動に参加したある女性看護師の以下の発言は示唆に富んでいる。「わたしたちの生活は苦しいです。ひどいことを言うようですが、わたしはこう考えるのです。デモ参加者の中で暴動を起こした人がいますよね。わたしは、もしそういったことがなかったら誰もわたしたちの抗議運動に注目してくれなかったのではないかと思うのです。暴徒がいなかったら、みんな、さっさとこの抗議行動を忘れてしまいますよ。暴動があったからわたしたちの抗議行動が注目されるようになったのだと思います。」
3.二つの運動の比較
この二つの運動の最も異なる点は、両方の運動共に指導者を欠き、様々な階層、職業、異なるイデオロギーを持つ人々が参加し、運動が拡大していったにも拘わらず、立ち上がる夜が直接民主主義的で非暴力的であるのに対して、黄色いベスト運動が暴力的である点である。立ち上がる夜は対話性を重視した。様々な政治、経済、社会、民族、文化問題を参加者の直接的な対話を通してよりよい方向に導いていこうという参加者の希望があった。その運動が終わった後、マクロン政権が誕生したが、マクロンは選挙期間中、自分は右でも左でもないと主張した。しかしながらその政策はEU改革によるヨーロッパの統一の強化を唱えてはいるが、実際の中身は新自由主義的なもので富裕層のみに有利なものである。こうした状況に多くのフランス国民は怒り、直接行動に出た。それが黄色ベスト運動である。それゆえ、そこにはマクロンに裏切られたという怒り、恨みや、憎しみが存在している (コスロカヴァールが言うように憎しみは過激な政治運動を生む)。それゆえ、この運動は最初から暴力性を内包させていたと言うことも可能であるように思われる。
二つの運動が世界やフランスの現状に対して大きな変化をもたらすことができるかどうかは疑問である。だが2015年以降、フランスは大きく揺れ動いている。この動きは暴力的、平和的という大きな波が交互に起きていることに起因している。資料1に示したように、2015年1月のシャルリ・エブド事件の後、暴力に抗議する平和デモがフランス全土で行われたが、同年11月にパリ同時多発テロが起きる。2016年には立ち上がる夜が起き、多種多様な社会問題の解決を対話によって行おうという方向性があった。翌年の大統領選。フランス国民は右でも左でもないと主張したマクロンを大統領に選ぶが、マクロンは新自由主義政策強化による政治的暴力によって国民を苦しめる。それに対して昨年黄色いベスト運動が起きる。この平和的話し合いと暴力的実力行使との波の揺れ動きは今後も続く可能性は高いと思われるが、最終的にフランスがどのような道を選ぶか私には予想がつかない。
4.記号学的視点から
最後に私の専門である記号学という視点から二つの運動について一言述べておきたい。ここで注目したい点は都市の持つ広場という多義的な (polysémique) 問題である。広場は古代ギリシャにおいてアゴラと呼ばれ、市場が開かれる経済的な空間であるだけではなく、市民が政治的な議論を行う政治的な空間でもあった。そして、広場は市の中心にあることも忘れてはならない。都市において広場は政治、経済的に重要な役割を担ったのである。また、フランス革命が起きたのはバスティーユ広場であるし、ルイ16世やマリー・アントワネットはコンコルド広場で処刑された。広場はそうした暴力性も内包している。さらに、ワイマール共和国期のベルリンを舞台としたデーブリーンの小説『ベルリン・アレクサンダー広場』において、遊歩人 (flâneur) が近代的なビルディングがどんどんと建造されていくアレクサンダー広場をあてどなく彷徨っている様子が数多く描写されているが、近代以降広場は退廃した文化の象徴的な場でもあった。このように広場は正の側面を持つ一方で、負の側面も持つ空間である。広場は歴史的に大きな出来事が起きる特別な場所でもあるのだ。
両方の運動ともに中心がないと言われるが、立ち上がる夜においてレピュブリック広場は正の側面が反映した中心的空間として位置づけられる。直接民主主義的討論が行われ、それも様々な職業、年齢、階層の人々が様々なテーマの対話を夜通し行った。そこには自分たちの未来を他者との対話によって改善していこうという意志があった。それに対して、黄色いベスト運動の一つの大きな中心であったシャンゼリゼ大通りからコンコルド広場を占拠した参加者の行動は暴力的な色彩を帯び、広場に集結し、警官隊と激しく争った。それは広場の持つ負の側面を反映していると述べ得る。広場に集まる人々の運動にもこのような二つの側面が内在している。二つの運動はその二面性をよく表している。
最後にフランスと日本との比較を行いたい。ロラン・バルトが『表徴の帝国』の中で書いているように東京の中心は空虚な場所である。そこには皇居という特殊な人間だけに開かれてはいるが国民にとってはゼロである空間である場所が存在している。人々はそこに集合し、民主主義を語ることも、権力への抗議の声を上げることも、抵抗のための激しい行動を展開することもできない。そこは虚空。日本人が政治的反対運動を行おうとするならば国会議事堂前に行くだろう。皇居はより宗教的な場であり、経済的には豊洲などの場所に、文化的には渋谷などに人々は集まるだろう。東京は政治、経済、文化を一つにまとめことができる広場が存在していないのだ。それゆえ、われわれはフランス人よりも抗議行動を行う力を弱められているのではないだろうか。直接的な行動を行い得る空間を有しない日本の民主主義の弱さは首都である東京における大衆運動を実施するための中心となり得る可能性を秘めた広場の不在と深く関係しているように私には思われる。
主要参考文献
アルフレート・デーブリーン、『ベルリン・アレクサンダー広場』上下巻、早崎守俊訳、河出書房新書、1971.
エマニュエル・トッド、『シャルリとは誰か?―人種差別と没落する西欧』、堀茂樹訳、文藝春秋社、2016.
グローガー理恵、「フランス:マクロン大統領が恐れる黄色いベスト (gilets jaunes) の抗議運動」、ちきゅう座、2018年12月12日掲載.
グローガー理恵、「「黄色いベスト運動」についての見解:メルケル独首相とパメラ・アンダーソンの違い」、ちきゅう座、2018年12月19日掲載.
ジャック・アタリ、『21世紀の歴史―未来の人類から見た世界』、林昌宏訳、作品社、2008.
髭郁彦、「閉ざされた正義論―トッド理論の暗点について」、ちきゅう座、2016年5月13日掲載.
髭郁彦、「二項対立図式の罠」in ちきゅう座、2016年7月7日掲載.
髭郁彦、「希望の光はもう消えたのだろうか―『立ち上がる夜:‹フランス左翼› 探検記』を読む」、ちきゅう座、2018年8月1日掲載.
ファラド・コスロカヴァール、『世界はなぜ過激化(ラディカリザシオン)するか?―歴史・現在・未来』、池村俊郎訳、藤原書店、2016.
フレデリック・ロルドン、『私たちの“感情”と“欲望”は、いかに資本主義に偽造されているか?:新自由主義』、杉村昌昭訳、作品社、2016.
ミシェル・ウェルベック、『服従』、大塚桃訳、河出書房新社、2015.
村上良太、「空気を醸成するメディアの選挙報道 フランスと日本」、ちきゅう座、2017年7月2日掲載.
村上良太、『立ち上がる夜:<フランス左翼>探検記』、社会評論社、2018.
村上良太、「「黄色いベスト」運動を私はこう見る ルイーズ・ムーラン氏 (「立ち上がる夜」の参加者 デザイナー)」、ちきゅう座、2018年12月14日掲載.
ロラン・バルト、『表徴の帝国』、宗佐近訳、筑摩書房、1996.
(この拙論は2019年1月12日に行われたポスト資本主義研究会における村上良太氏の発表へのコメントに加筆・修正を加えたものである。村上氏にはちきゅう座への投稿に関して快く承諾していただいたことに対し深く謝意を表したい)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8312:190117〕
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