元号を論じる「松尾貴史のちょっと違和感」に、ちょっと違和感。
- 2019年 1月 28日
- 評論・紹介・意見
- 天皇制弁護士澤藤統一郎
毎日新聞日曜版に連載の「松尾貴史のちょっと違和感」。毎回楽しみに目を通している。「ちょっと違和感」とは、政権やこの社会の多数派の俗論へのプロテスト。「断固反対!」ではない「ちょっと違和感」というところがセンスのよさ。論旨明快で文章のリズムもイラストも立派なものだ。
しかし、いつも感心というわけは行かない。本日の「『平成』誕生の公文書公開延期 勝手に起点変えるインチキ」の記事には、「ちょっと違和感」を禁じ得ない。タイトルとなっている「公文書公開要件期間の起点を勝手に変えるインチキ」の指摘には同感で何の違和感もない。問題は元号というものに対する彼の感覚への「ちょっと違和感」である。
元号というものは、「不便・不合理・非効率」なものである。これは誰もが認めざるを得ないところ。時間的にも空間的にも通有性を欠く。グローバルの時代に普遍性がない。西暦との換算の必要は明らかに不要なコストである。元号の本家・中国はこんなものの使用を止めた。同じ分家スジの韓国・朝鮮も止めた。日本でも、かつて元号が廃れそうな時代があった。元号の自然消滅は間もなくかと思われたその時代に、危機感を募らせた右翼の運動が元号法の制定に成功して、この絶滅危惧種を永遠の消滅から救った。ひとえに、天皇制と元号との結び付きがあるからである。
かくも、「不便・不合理・非効率」な元号の使用が法的制度となり、事実上その使用が強制される理由は、天皇制の維持強化に関わっているからにほかならない。だから、国民主権や国民の主権者意識を大切に思う立場からは、元号とは天皇制維持の小道具として有害なものというほかない。松尾貴史氏には、この「有害性」の感覚がない。むしろ、新元号積極的受容の印象さえ受ける。そこが、「ちょっと違和感」なのだ。そもそも、「新元号の制定こそが、時間の起点を勝手に変えるインチキ」ではないか。天皇の都合での改元に大いに違和感あり、ではないか。
まず、書き出しの「巷(ちまた)では、『新元号は何になるのか』と持ちきりである。いや、誰かが情報を持っているわけではないので、持ちきりというほどでもないかもしれないが、とにかく多くの人が気になっているようだ。」は、本当だろうか。少なくとも私の周りでは、「この際、元号廃止になれば良い」「すっぱり元号使用を止める絶好のチャンス」「あらためて元号使用の強制はまっぴら」という声が強い。あるいは、「元号の変更、不便極まりない」「もったいぶるほどの改元か」という冷めた意見。
同氏の「昭和天皇が崩御し、次の元号が『平成』であると当時の小渕恵三官房長官が額装された新元号の書を示して発表した時の厳粛というか、改まったような感覚は訪れるのだろうか。そういう意味での小渕氏の雰囲気というのはなかなかに適任だったのではないか。」という書きぶりのセンスにも驚く。
いうまでもなく、新元号は新天皇の即位と結びついている。時の海部首相は、現天皇(明仁)の就任式(即位礼正殿の儀)で、高御座の天皇を仰ぎ見て、「テンノーヘイカ・バンザイ」とやった。天皇と臣下との関係を可視化して、国民に見せたのだ。もちろん、そうすることが、この国の国民を統御するに有効だとの思惑あっての喜劇である。これをも、同氏のセンスでは「厳粛というか、改まったような感覚」というのだろうか。きっと、安倍と菅もこの「テンノーヘイカ・バンザイ」をやる。海部だったから喜劇だが、安倍と菅だと救いようのない悲劇になる。
同氏の今日のコラムでは、新元号の予想に紙幅が費やされている。これは、安倍政権や官房長官の思惑へのお付き合い。安倍と菅を「不誠実の権化」と考えるセンスの持ち主であれば、新元号など関心をもたずに無視すべきなのだ。
実は、最近になって、みずほ銀行の通帳の表記が、いつの間にか西暦に変わっていることに気が付いた。こちらの方のセンスが良い。
同銀行のホームページを閲覧したところ、次の記事に出会った。
通帳の「お取引内容欄」を見やすくするため、新システム移行時に印字文言を一部変更しています。主な変更点は以下の通りです。
■お取引日付
通帳の取引年月日の表記を和暦から西暦へ変更しています。
なお、西暦は下2桁を表示しています。
(例えば、2018年11月30日の場合、18-11-30と表記)
みずほ銀行の藤原弘治頭取は、いま全銀協の会長である。
昨年5月17日その会長記者会見で、全銀協として改元にどう対応するかという質問に、彼はこう答えている。
全銀協の会長として銀行界の対応について申しあげれば、今、言われたような和暦を使用するような帳票、申込書、契約書、店頭のポスターやパンフレット、これらの差替えの事務やシステムを中心とした対応が出てくるが、これは元号が国民生活に広く浸透していることの表れだと思う。
全銀協としても、旧元号が記載された手形や小切手の、改元以降の取扱いをどうしていくかなど、業界全体で決めることが望ましいルールについてもこれから検討していく。
また、システム面でも、改元の対応に加えて、仮に即位の日である来年5月1日が祝日となった場合、前後を含めて10連休ということになり、その準備も必要になると思っている。全銀システムなど、業界インフラの対応をしっかり行い、会員各行への注意喚起を行うなど万全の対応をして参りたいと思う。
そつのない回答だが、「和暦・西暦の併用は面倒極まるがやむを得ない」と言っているように聞こえる。全銀協会長としては、そうは言いつつも、みずほ銀行では、西暦統一に踏み切ったわけだ。
これまでは、労金や城南信用金庫が西暦派として知られてきた。みずほの西暦派移行は、天皇の生前退位がもたらした、この社会の元号離れを象徴する出来事だろう。警察庁も運転免許証の有効期限表示について、原則を西暦表記とし、元号をかっこ書きとすると発表している。これは今年の3月以後、システム改修を終えた都道府県から順次実施されるという。
また、ある経済ニュースのサイトで、こんな記事を見つけた。「2019年4月30日を越えると、平成を使った和暦の表現が困難になる」ことから、5月期決算企業で財務諸表の日付を和暦から西暦使用に変更した上場企業があるという。
企業社会の合理性は、明らかに西暦使用を必要としている。これに、保守政権や国民の一定部分に根を下ろした権威主義が抵抗している構図だ。政権の思惑や天皇制への郷愁に無批判な議論には「ちょっと違和感」あって、どうしても一言せざるを得ない。
(2019年1月27日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.1.27より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=11987
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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