「正統派」的マルクス社会主義論者の誠実な自己検討――荒木武司著『マルクス社会主義論の批判的研究』を読む――
- 2019年 2月 9日
- 評論・紹介・意見
- 千葉大学名誉教授岩田昌征
荒木武司著(大阪教育大学名誉教授)『マルクス社会主義論の批判的研究』(文理閣、平成30年・2018年)を読んだ。
本書は二部から構成される。第一部「マルクス社会主義論の批判的再考」。第二部 補論。補論Ⅰ「中国社会主義について」、補論Ⅱ「宗教・国家・貨幣」。以下、第一部についてのみ読後感を述べる。
第一部は全六章。第一章 「実現可能な社会主義」について考える。第二章 マルクスの「社会主義」と「官僚制」。第三章 アソシエイションとマルクス。第四章 マルクスにおける「人間本性」の把握について。第五章 後期マルクスにおける革命戦略の転換<1>。第六章 後期マルクスにおける革命戦略の転換<2>。
荒木氏の全350ページ余にわたる大著のエッセンスは、「序にかえて」(pp.ⅰ-ⅻ)の短い文章が適格に要約している。
しかし、私なりに整理すると、第一章では、旧来の「マルクス社会主義」のユートピア性・実現不可能性と訣別して、「民主主義的社会主義」と「社会主義市場経済」が提起される。
第二章では、マルクスは、共産主義社会についてその労働・生産・管理運営・組織・機構について何も明らかにしておらず、偉大な「ユートピアン」であった、と強調される。
第三章では、20世紀末に全面崩壊した「現存社会主義」をマルクスの「アソシエイション」理念を無視した国家社会主義とみなして、アソシエイション論の復興によって「マルクス社会主義」を救出しようとする最近の諸論潮が詳細に批判される。「それを『真の社会主義』あるいは『マルクス的社会主義』ではないからという居直りや慰めによって、峻厳な歴史的現実から目をそらそうとするのは、およそ説得力をもたない。それこそ恥ずべき思想的理論的怠慢か人間的想像力の欠如というべきであろう。」(p.104)
第四章では、社会科学の根本にある人間論におけるマルクス的一面性が進化生物学の現在的知見とアダム・スミスの「利己性self-love」論をふまえて思弁的にすぎると批判される。そして同時に、生物学の自然選択の原理と市場システムの「相似性」が肯定的に協調される。
第五章と第六章は、マルクス、そしてエンゲルスが『共産党宣言』に表出される革命主義から第一インターナショナル(国際労働者協会、1864-76年)期以降の改良主義の部分的肯定への変化をたどる。しかしながら、その変化は原理的ではなく、あくまで資本主義の革命的変革が両者の思想岩盤であるとする。
第六章の最後に第二次世界大戦後の西欧社会民主主義の思想的基礎となったベルンシュタインが議論され、「賛・否いずれにせよ、……、ベルンシュタインの再検討は欠かすことのできないものであるとおもわれる。現代の先進国革命、漸進的改良路線、民主的社会主義の戦略はその思想・理論を確実に超えたところで、はじめて成就されるであろう。」(p.127)と結ぶ。
言ってみれば、荒木氏の「マルクス社会主義論の批判的再考」は、ベルンシュタインの肯定的克服から再出発しようと言う提言を結語としている。
ソ連東欧社会主義体制の崩壊以前、我国におけるソ連東欧研究は、社会主義経済学会とソ連東欧学会とに二分されていた。前者は容共産主義・親社会主義であるとすれば、後者は反共産主義・疎社会主義であった。私のように両学会の会員であった者は少ない。
体制崩壊の結果、両学会ともに名称を変更し、それぞれ比較経済体制学会とロシア・東欧学会となった。後者の場合、ソ連国家が解体消滅したのであるから、事務的な改名にすぎなかった。しかしながら、前者の場合、思想的苦悩を伴う決断が改名に込められていた。
社会主義経済学会の時代、学会の主要な担い手は、京都大学の木原正雄教授等の下でマルクス学・マルクス社会主義論の体系的教育を受け、育成されて来た研究者グループであった。日本共産党系の人々であった。
東京の社会主義研究の場合、岡稔、佐藤経明、岡田裕之、岩田昌征等々、集団性・一体性に欠け、研究方法論においても個々別々であった。特に私=岩田は当時の標準的規格の外にあった。
本書の著者荒木武司氏は、最近の比較経済体制学会の名簿にないし、社会主義経済学会の会員であったかどうか私の記憶にない。とは言え、社会主義経済研究の京都シューレの一員であるし、あったことは「あとがき」(p.351)からも確実である。
私の手元に『比較経済体制研究』(2017年、第24号)がある。これは、比較経済体制学会の学会誌『比較経済研究』ではない。京都にある比較経済体制研究会の機関誌である。
そこに森岡真史(立命館大学教授)が論文「20世紀社会主義の成功と失敗」を発表している。論文の結論の結論で森岡真史は諸先輩に対してであろうか、敢えて以下の如く言明している。「最後に思想の責任という問題について述べて結びとしたい。マルクス主義はロシア革命によって自らが単なる解釈や批判にとどまらない、文字通りの意味で革命的な変革思想であることを証明した。まさにその変革思想としての比類のない影響力の大きさゆえに、マルクス主義は、20世紀社会主義体制で生じた諸々の事象への思想的責任を免れない。この責任は、ソ連やその他の社会主義諸国の指導者だけでなく、ソ連の存続期間にマルクス主義を信奉していた全ての人々が自覚すべきものであろう。」(p.22、強調は原文)
著者荒木氏は、「二〇歳前にして社会運動に参加し二十代半ばより研究者の道を志し」(p.ⅸ)てソ連東欧のマルクス社会主義体制崩壊に直面してより四半世紀が経過した今日、「マルクス的思想圏の中のマルクス研究においては、目標としてまず、マルクスが存在し、諸他の諸思想・諸理論は、往々そこに至る批判の対象としてしか位置づけられておらず、いわば始めから『結論ありき』の研究方法となる。……。今日なおわれわれの周りに見受けられ、われわれ自身の中にいまなお巣くう硬直的で教条的な『正統派』的研究方法は棄てさられなければならない。」(pp.ⅶ-ⅷ)と自省を込めて、森岡に応答しているかのように見える。
荒木氏は、1944年生れ、京都大学大学院経済学研究科博士課程修了である。森岡氏は、1967年生れ、同大学の経済学修士課程修了である。世代間の立派な見事な学問的交流であろう。
次いで、荒木氏の『マルク社会主義論の批判的研究』第一部「マルクス社会主義論の批判的再考」に関して短い読後感を述べる。
第一に、自己検証の方法について。荒木氏の現在的主張の多くは、ソ連東欧体制の現実的崩壊を見る以前にも到達可能であったと思われる。荒木氏は、自分の過去の方法論に執着して、それによって説明可能なソ連東欧社会主義の現実論(崩壊を含む)とそれによってはどうしても説明不可能な現実論とを明確に区分した上で、後者が圧倒的に優勢であるか否かを確定した後に、自己の過去の研究方法=マルクス的社会主義の否定に踏み込むべきではなかったろうか。
それに欠けているが故に、過去の、あるいは大過去のマルクス批判(日本では社会党右派や民社党の)をほぼ全面的に肯定するに至っただけかのように見える。
第二に、歴史観について。「序にかえて」の最初の文章が荒木氏現在の思想的な白紙状態を示しているように思われる。「人類の歴史には『前史』と『本史』がある(マルクス『経済学批判』「序言」等)わけでなく、われわれが現に生活し連綿と続く一つの生きた歴史があるだけである。」(p.i)これはA=Aであると語るに等しい絶対の真理であろう。
しかしながら、社会を考える、歴史を考える、生活を考えるとは、このレベルの真理にとどまることに耐えられないからである。かくして、社会科学者は、歴史学者は、のっぺらぼうの時間の流れに自足せず、たとえば、前史と本史、近代以前と近代以後、資本主義以前と、資本主義以後、そして各種各様の歴史段階論・歴史区分論を提起せざるを得ない。マルクスの段階論を否定して、ロストウの段階論を提案すると言うのであれば、それはそれで一つの社会思想的営みであろう。「連綿と続く一つの生きた歴史」と言う表現を自己の大著『批判的研究』序の始言とするとは?!批判不足であろう。
第三に、市場観について。上記と同様な批判不足が第四章に具体的に出て来る。そこでは、生物学の自然選択原理と経済学の市場システムの「相似性」が協調される。たしかに、有限な資源条件下、生物界における生存競争と経済社会における経済競争を対応させ、前者における自然選択の原理と後者における市場選択のシステムを対応させる事は出来る。しかしながら、相似性や対応性や類比性はあくまで分析や論証への導入言語的レトリックであって、それ以上それ以下のものではないはずである。荒木氏にあっても、「とはいえ、眼前の資本主義経済とその基礎にある市場システムに限界があることは誰の眼にも明らかである。」(p.143)と言明するに至って、その相似性は完全に破綻する。数十億年の昔、生物が発生して以来一貫して作用すると想定される自然選択の原理「に限界があることは誰の眼にも明らかである」とは全く言えない。
結局、第二と第三の具体的弱点の指摘は、第一の問題性に帰着する。
昭和19年(1944年)生れのマルクス社会主義研究者が新著『マルクス社会主義論の批判的研究』を平成30年(2018年)に出版して、森岡世代への回答としたのに対して、昭和13年(1938年)生れのマルクス社会主義研究者=岩田は、処女作『比較社会主義経済論』(日本評論社、昭和46年(1971年)1月31日)の無改訂増補版を平成5年(1993年)6月15日に再版していた。但し、書名は、『現代社会主義 形成と崩壊の論理』に変更してある。自分の研究方法が「硬直的で教条的で『正統派』的」でないだけでなく、勝利した資本主義に擦り寄る質のものでない事に自負があったからである。荒木氏は、私の『比較社会主義経済論』における社会主義商品論についてたった一個所で注記しているが(p.118)、私の方法論=「社会主義経済研究の諸視座」については全く論究していない。残念である。
去年の下半期、高知大学名誉教授T.H氏から部厚なコピーが何の前触れもなく突如送られて来た。荒木氏の著作第一部230ページである。学問上も実生活上も親友の間柄にある荒木氏に是非私=岩田の論評を読ませたいと添え書きが同封されていた。荒木氏は病床にあると言う。T.H氏の手紙に漱石と子規の間にあった明治の友情に似た何かを感じた。時間が出来た今になって、短い読後感を書き上げた。この文章では、「故」を付けていないが、実は昨年12月末に荒木氏は亡くなっておられた。ご冥福を祈る。
平成31年2月5日(火)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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