雍正の『大義覚迷録』
- 2019年 2月 23日
- 交流の広場
- 中野@札幌
ナントカ・カントカ教」を国体とする某開発独裁大国では、今その国体に違反する思想を取り締まる「国体明徴運動」が流行っているらしい。
しかし、ただ弾圧するだけじゃ芸がなさすぎる。実はもっと巧妙な方法があったのだ。それは300年前の清朝皇帝雍正帝が実施した方法である。
雍正は『大義覚迷録』という著作を書いたことがある。「華夷の別」を主張する漢族の儒学者たちに、「お前たちが夷狄と呼ぶ我々満州族もちゃんと学習すれば、聖人の道が理解できる」と反論をした著作である。
皇帝自ら本を書くというのもたいしたことであるが、雍正のやったことはそれに止まるものではなかった。
曾静という漢族の学者がこの『大義覚迷録』に対して、「聖人の教えは、世界の民を指導する漢民族にしか理解できない」と反批判をしたのである。天子のお言葉を真正面から批判する―これだけでも斬首になって当然なのだが、雍正は曾静を牢獄に入れるどころか、彼を朝廷に招いたのである。
その目的は、自分の度量の大きさを人々に知らせるためだけではなく、批判的批判にさらに批判することにもあった。つまり、議論には力ではなく議論で応えたわけである。曾静は釈放されたが、結局皇帝に論破されてしまったとのことである。
某開発独裁大国の指導者さん。「ナントカ・カントカ教」が正しいものなら、この雍正に学んで反対者たちを「ナントカ・カントカ教」の正しさを説得したらどうだろうか?
もっとも、その「ナントカ・カントカ教」がどうしょうもないドグマだったら、「説得」は無理だろうが。
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