まだ民主主義が栄えていた頃の米国と後藤謙次氏の「気骨ある発言」
- 2019年 2月 24日
- 交流の広場
- 箒川兵庫助
後藤謙次氏という名前を知ったのがTBS夕方の番組報道特集だったと記憶している。政府寄りの,あまりの酷い解説に抗議のメールを送ったことがある。結果的に彼は番組を降ろされたが,TV朝日の番組で復活した。もうその頃からTV朝日を見ないことにしていたが,今回の醍醐聡先生の文章を読んで目を見張った;『質問制限どころか「弁士中止」の再来』(2019年 2月 22)。後藤氏の報道の自由を守ろうとする「気骨ある発言」に小生も驚いたのである。
なぜ記者クラブは一致団結して報道の 自由を守ろうとしないのであろうか。と同時に思い出したのが米国の事例:『報道三題』加藤周一著『夕陽妄語』Ⅷ 朝日新聞社)である。
ときは七十年代の米国。副大統領(収賄・脱税疑惑)と有力な新聞との間の対立が深まり,その行方に全米の注目が集まっていた。しかしあるとき,「報道の自由に対する政治的圧力が一線を越えたとき,すなわち報道機関の「存在理由」そのものが脅かされたと感じたとき,またそのときにのみ,彼らは結束して起ち,徹底的に抵抗した」という。彼らのとは米国の主要な新聞すべてである。
加藤周一は主要新聞が団結したのは,「報道の自由をアメリカの文化的伝統の欠くことができない一部分と考える国民があったからである」と推測する。しかるに日本にはないのだろうか。茶道や華道や相撲にしか伝統はないのであろうか。
二・二六事件以後真珠湾まで,東京ではどういう圧力や取引や「自己規制」が言論機関に作用していたのか,と加藤は自問自答する。そうして結論付ける: 言論の自由は,そしてあらゆる批判精神は,指の間から漏れる 白砂のように,静かに,音もなく,しかし確実に,失われつつあったのである。その結果がどこへ行き着いたかは,いうまでもない(『夕陽妄語』Ⅷ 86-92頁)。
小生は醍醐先生の『質問制限どころか「弁士中止」の再来』」を拝読して,また後藤氏の今回の発言を知って,まだ民主主義が栄えていた頃の米国の話(報道三題)を思い出した。感謝。
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