映画「生きるのに理由はいるの?」―「津久井やまゆり園事件」を議論するために
- 2019年 2月 26日
- 時代をみる
- 共生型経済推進フォーラム/共同連柏井 宏之
◆なぜ、沈黙し議論が起こらないのか?
2016年7月26日、深夜午前2時に事件は起こった。神奈川県相模原市にある入所者157名が暮らす重度障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者43名、職員3名が刃物で刺された。男性9人、女性10人が死亡し、27人が負傷した。男は植松聖 26歳。その年の2月までやまゆり園で働いていた元職員だった。植松聖は津久井警察署に自首した。何が植松被告にこの様な犯行に走らせたのだろうか?!
映画『生きるのに理由はいるの?-「津久井やまゆり園事件」が問いかけたものは…』(原案/堀 利和)がそのことを追って完成した。年末に収録を終え、この事件の犯人・植松が生まれた日野での2月初めの上映会をキックオフとして、各地で意志あるところて暫時公開されることになった。企画・制作・撮影の澤則雄さんが9稿まで積み上げてきた「津久井やまゆり園事件を映画化する制作集団」の労作である。障がい者とその家族以外、ほとんどこの事件をめぐって市民社会の中に議論が起こらなかったのを憂いて、議論素材を提供する50分の力作である。
植松は東京・日野市生まれ。企画・制作・撮影の澤則雄さんは、その日野市の認定NPO法人やまぼうしの重度障がい者の地域暮らしを支えるため手伝っていた。そして日野市で最初に上映したいとの思いが実現することになった。富山や品川での市民の手による上映も決まった。大阪や京都、北海道でも動きがある。
この映画の意図について澤則雄さんは「少人数で考える場を創りませんか?」と語る。
1年半の駆け足でしたが、皆様のご協力で何とか完成することができました。衝撃的な事件から2年半、まもなく初公判が開かれようとしています。しかし早くも風化を危惧する声があります。
この作品はドキュメンタリー映画ではありません、事件の概要と集会などで読まれた手紙、投稿などをまとめました。10人から30人程の人数で事件を考える会を開き、そこでみんなで考える場を作りませんか。
措置入院、精神保健福祉法改正の問題。被害者の匿名報道。巨大入所施設のあり方、地域移行の問題点。優生思想とは…大きな問題ばかりです。
植松被告個人の何故犯行に至ったのか?の解明と、それとは別にこの事件が示唆した日本社会の問題に向き合って行かなければ!と思います。皆さんで考える場を数多く作りませんか。そのきっかけとして使っていただけたらと思い制作しました。
思えば、1960年、大島渚は『日本の夜と霧』で、安保闘争をめぐる新左翼と日共の対立を徹底したディスカッションドラマとして描き、浅沼社会党委員長が右翼テロによって視察された直後、資本の手によって上映禁止となった事件があった。その再上映運動が全国で展開され、大阪での大阪市大、関西学院大学の学生による運動によって、上六地下劇場で再上映が実現したことがある註1。権力は民衆の議論を嫌がり、議論にふたをする。形は違うが「沈黙し議論が起こらない」今の時代に、この映画はディスカッションを誘発する映画なのである。
◆「日本国と世界の為」と思想的確信犯
植松被告は、犯行にあたって、安倍総理に会おうとして果たせず、衆議院議長に次のような現代日本の「優生思想」の思想的確信犯としての手紙を送っている。
大島衆議院議長への手紙
私は障害者総勢470名を抹殺することができます。常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気に欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしております。保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活が困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを産みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。
障害者は不幸を作ることしかできません。私は大量殺人をしたいという狂気に満ちた発想で今回の作戦を、提案を上げる訳ではありません。全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました。
本当は後2つお願いがございます。医療大麻の導入。精神薬を服用する人は確実に頭がマイナス思考になり、人生に絶望しております。心を壊す毒に頼らずに、地球の奇跡が生んだ大麻の力は必要不可欠だと考えます。私は信頼できる仲間とカジノの建設、過ごすことを目的として歩いています。
日本軍の設立。入れ墨を認め、簡単な筆記試験にする。
作戦を実行するに私からいくつかのご要望がございます。逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせてください。心身喪失による無罪。新しい名前、本籍、運転免許証などの生活に必要な書類、美容整形による一般社会への擬態。金銭的支援5億円。日本国と世界平和の為なにとぞよろしくお願い致します。想像を絶する激務の中大変恐縮でございますが、安倍晋三様にご相談いただけることを切に願っております註2。 植松 聖
◆安倍「改憲」に刺激された〈強い日本〉への共鳴
この文書からみえるのは、「優生思想」の立場にたって「もっとも弱い立場にある重復障がい者」を抹殺することを「日本国と世界の為」と言い切り、安倍首相や大島衆議院議長に誇示する態度であり、事件後も殺した重度障がい者への反省は今に至るもみじんもないことである。特に安倍首相の「憲法改正」に沿う医療大麻の導入、日本軍の設立という日本の未来のために行動しているとする確信犯的殺人思想の誇示であり、それが超法規的に安倍首相には認められるはずとする想いである。そこにカジノ容認と入れ墨という若者右翼の行動様式からする発言があるがそれは、けして精神病者の発言ではない。
それは、植松が『創』の編集長あてに送った「新日本秩序」と題した7項目の世直しノートを見れば、バブル崩壊後の低迷した社会に育った若者の屈折した思考とその出口がわかる。
1・意思疎通のとれない人間を安楽死させます。
2・大麻は嗜好品として使用を認める。
3・カジノ産業に取り組みます。
4・軍隊を設立します。
5・婚約者以外と性行為をする場合は避妊を義務づける。
6・女性の肥満を治す、また初回の整形手術費を国が負担する。
7・地球温暖化を防ぐ為、遺体を肥料として使用する。
それは、2.26事件の皇道派将校・北一輝の「日本改造法案」や「国体論及び純正社会主義」に比べて比較にならないほど貧弱である。「意思疎通のとれない人間を安楽死させ」るなどの「優生思想」と「軍隊を設立」の右翼的言辞ははっきりしているが、「大麻」や「カジノ」、「女性の肥満」「遺体の肥料」化など社会改造提案は粗雑だ。そこには、戦後民主主義の感覚は何一つなく「強い日本」の「新日本秩序」だけが意識されている。
◆繰り返されたライシャワー事件の回路
1964年、ライシャワー駐米大使を襲った反米右翼の確信犯的テロを自民党内閣は政治問題化するのを避けるため、精神科に通っていたことで慌てて精神病者の事件にしたてた。犯罪を起こす(可能性のある)精神障害者に対する対策が必要だとされ、1965年1月に精神衛生審議会は精神鑑定医・精神障害者の緊急入院・保護拘束制度の創設などを答申。治安・社会防衛の観点を全面化させた。そこから重度障がい者を長期隔離する大型施設がパラダイスのようにうたうコロニー構想として全国的に展開された。
映画では次のように歴史的映像と共に紹介される。
「津久井やまゆり園が出来たのは1964年。当時全国に大規模施設が建設されていった。それはコロニーと呼ばれていた。間も無く入所者達の中から、施設改革改善要求の声が上がった。特に当時東洋一と言われた重度心身障害者の収容施設、府中療育センターでは、都庁前に1年9ヶ月も座り込む闘争が行われた。それは外出、外泊の自由もなく、女性は髪を切られ、入浴や生理の手当ても男性が行うなど、およそ人間的な暮らしとは言えないものだったからだ。この闘争から、障害者の地域での自立生活、そして就労を目指す運動が始まった。「鳥は空に、魚は海に、人は社会に」と訴え続けて来た。少人数のグループホームも各地に作られている」。
また浅野史郎元宮城県知事の証言が鋭い。
浅野は2004年県内でも特に重度の知的障害を持つ人達の為の船形コロニーを解体し入所者全員を地域生活に移行させるという「みやぎ知的障害者施設解体宣言」を発表している。そのインタビューで浅野は「入所施設はおかしいと思った時に浮かんだのは、人権です。知的障害者の人権というのは、生まれてきて良かったなーと感じれる権利だと思ってる。私が厚生省に入った時、多摩ににあった島田療育園を見た。重度心身障害者を初めて見た。廊下にゴロゴロ転がっている、よだれ垂らしてわーと呻いている。凄くショックだった。この人達、何のために生きているんだろうとも思った。でも、その時案内してくれた人が、「この人達何も出来ないと思うでしょう。でも今日出来ない事が、明日出来るようになる」といった。ポイントは進歩です。よだれ垂らして重度の障害者でも進歩がある。進歩が、人間が生きるという本質だ」。
安倍内閣もまた措置入院対象者として「精神障がい」がこの事件の原因として組み変えた。つまり安倍首相の改憲論の強い日本論に刺激されて社会の最も弱い重複障害者への抹殺思想、排外主義に走ったのを精神病としたのだ。
事件のあくる日、塩崎厚労相大臣が記者会見し、三日後には、安倍総理は関係閣僚会議を開いて、措置入院のあり方を指示した。2017年には、「精神福祉法」の改悪が画策され、4月の参議院の大臣の「趣旨説明」の冒頭には「相模原市の障害者施設の事件では、犯罪予告通りに実施され、多くの犠牲者を出す惨事になった」と発言した。法案改悪のポイントは、措置入院患者の退院後に自立支援計画を策定する際に、①警察行政の関与、②計画策定に本人又は家族の参画を認めず、それを送付するだけ、という人権無視の内容である。改憲と警察国家の相乗化が意図されている。先の衆議院解散で廃案にはなったが、その後の通常国会に再提出され、継続審議のままで止まっている。
堀利和元参議院議員は、この手紙を「やまゆり園」に直接もっていけば脅迫罪、また経緯からいっても威力業務妨害罪、少なくとも偽計業務妨害罪で刑法の対象であったはずである。それが措置入院対象者にさせられてしまった」と述べ続けている註3。
◆バザーリアの精神病院解体、ニィリエのノーマライゼーション
この映画では、植松がやまゆり園の母体社会福祉法人かながわ共同会に面接、2012年12月に非常勤職員となり、翌年4月には常勤職員となったことが紹介されている。当初は好青年と思われていて「明るく意欲がある」と判断され、その会報には「1年後には仕事を任すことの出来る職員を目指して日々頑張っていきます」と書いている。ところが 勤務し始めて2年後には刺青を入れている事が分かり、ドラッグの使用も濃厚になるだけでなく「障害者は皆殺しにすべきです」 の発言を繰り返すように性格が急激に変わっていく。植松が体験した事では、浴室で溺れかけた入所者を救命した際、家族はそれを喜ばなかったといっている。
そこには、大型の重度障がい者施設の「強制隔離」への植松の絶望が感じられる。それが制度変革に向かうのか、人に向かうのか。この時、植松がバザーリア医師の「自由こそ治療だ!」とした考えやニィリエの知的障がい者の入所施設における構造的論理を破壊した「ノーマライゼーションの原理」に触れ得ていたとしたらあのような悲惨な行為には発展しなかったのではないか。
イタリア映画『輝ける青春』は、精神病院の解体・開放に至るみずみずしい社会運動の形成期を描いた作品がある。つまり世界が精神病院の縮小・解体に向かう時代が20世紀末には到来しているにもかかわらず、21世紀の10年代に入っても日本では、その情報は植松には遮断されていた。その結果、最初、当事者に同情していた植松は、日本の大型精神病院の地獄に絶望し、急激にそれが最も弱いところに暴力が向いていったのは明らかだ。
◆50年以上入院する患者数1773人
その実情を最近の衝撃的な報道から拾ってみよう。
一つは「毎日」。昨年8月、精神病床のある全国の病院で50年以上入院する精神疾患の患者数が、2017年6月末時点で少なくとも1773人に達することをスクープした。精神病床のある全国1625病院のうち1610病院から任意で情報提供を受けた。センターによると、入院患者は計28万4172人。入院期間が20年以上の患者については集計しており、2万5932人だった註4。
もう一つは「東京」。2月13日のトップで「精神科調査 非開示相次ぐ 患者の在院日数 隔離・拘束情報」を報じた。市民団体「精神科医療の身体拘束を考える会」の調べで、「厚生労働省が毎年6月ごろ、都道府県を通じて精神科の医療機関の実態を把握する目的で実施してきた調査「精神保健福祉資料(630調査)」について、都道府県に対して情報公開請求したところ、個人情報保護を理由に非開示とされるケースが続出している」というもの。「従来は開示され、患者が病院を選ぶ判断材料としてきただけに、関係者からは「患者の医療選択権に関わる実態」と疑問の声が上がっている」としている。そして「毎日新聞が同調査などを基にしたとみられるデータから「精神疾患で50年以上入院している人が少なくとも1773人に上がる」と報道。これに対し、日本精神科病院協会の山﨑学会長が同10月、「患者の個人情報が流出する懸念」があると問題視し、「調査の協力について再検討せざるを得ない」との声明文を発表していた。考える会では、こうした経緯が非開示決定の背景にあるとみている」と報じた。
◆明治150年と「私宅監置」と「大型施設」
日本には、家族が精神病者を自宅の座敷牢に閉じ込める「私宅監置」=監禁を行なっていた過去がある。昨年10月、きょうされんは、東京・中野で「私宅監置と日本の精神医療史展」を開くとともに映画『夜明け前-呉秀三と無名の精神障害者の100年』(今井友樹監督)を上映した。藤井きょうされん専務理事は、「明治維新から150周年といわれるが呉秀三が座敷牢を調査して100周年。歴史は繰り返すといわれるが、大阪の寝屋川や兵庫県三田市のように、精神障がいや発達障がいであるとされる人が自宅内の檻で生活し、命さえ奪われる現状が続いている。そして精神病院は現在の座敷牢、人間の尊厳を考え直そう」と訴えていた。
呉秀三は、「座敷牢」に押し込まれる実情を憂い、その解決のために奔走した。そして報告書『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』を1918年に提起した。「我が国十何万の精神障害者は実にこの病を受けたるの不幸の外に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」という言葉を残した。それはそのまま「津久井やまゆり園事件」の死傷した当事者の不幸に重なる。
◆「われわれはすでに彼らを地域社会から抹殺していた」
堀利和共同連代表は、この事件直後にまとめた共著の「プロローグ 津久井やまゆり園事件と私たちの原点」の中で、このように述べている。
「植松被告は津久井やまゆり園の重度重複知的障害者を殺したが、われわれはすでに彼らを地域社会から抹殺していた。
植松被告は津久井やまゆり園の重度重複知的障害者の命を殺したが、親・兄弟姉妹は彼らの名前を抹消した。
われわれの善意と恥の意識が、津久井やまゆり園の重度重複知的障害者を、被害と加害の関係性の中で殺した。
津久井やまゆり園のこの事件は、殺した者が殺され、殺された者が生き還るという輪廻の世界を打ち立てた」註5。
◆「世間」はあっても「社会」がない日本
この映画は、つめたい「世間」はあっても人権の「社会」がない日本の地域社会の問題についての議論に行きつく。日本社会は明治の「私宅監置」と戦後の新憲法の元で「大型施設」をつくって重度障がい者を隔離してきた。刑余者もシングルマザーも似た境遇にある。
呉秀三の指摘した「この病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたる不幸」とは、健常者だけの「世間」をつくって、さまざまな社会的不幸に見舞われている人と「共に」生きる「社会」をつくってこなかったことにある。障がいがあってもなくても子どもたちが普通学校で共にまなぶことがない。イタリアでは、重度でベットの子どもたちが普通学級にいる時代だ。問われているのは私たちの地域・職場でのあり方である。競争社会の「世間」の壁を取り払う市民運動と市民社会の創りなおしが今、問われている。
「誰も置き去りにしない社会の実現をめざして」という言葉を掲げたSDGsの運動が今、大変注目を浴びている。国連では2015年、「持続可能な開発に関するサミット」を開催し、15年間かけての「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択、2030年に向けて国際社会は合意した。そのために、私たち市民がなすべきことを提起し、達成すべき17目標の(ゴール)と169のターゲットを定めている。そのSDG sの中心に座る言葉が「誰も置き去りにしない社会」である。言葉だけが独り歩きし実態を伴わないのを許してはならない。
◆「第三の働き方-労働統合型社会的事業所」の制度化を
そのためには、今の一般就労と福祉的就労しかない日本の就労の仕組みに「第三の働き方-労働統合型社会的事業所」の制度化が待たれている。「社会的連帯経済」で問われているのは、1970年代に、イタリア社会協同組合B型が切り拓いたさまざまな「社会的に不利な立場の人々」を30%組織したならば、最賃以上の労働条件で職場が提供される仕組みであり、2007年に韓国に生まれた「社会的企業育成法」では「脆弱階層」規定で「労働統合型(WISE)がアジアで生み出されたのだ。日本の介護保険制度の社会サービスはイタリア社会協同組合A型で、健常者がハンディキャップのある当事者を支援する福祉サービスの範疇である。だが社会協同組合B型は支援型ではなく「共に」働く仕組みである。障害者総合福祉法のB型は福祉的就労、賃金と呼ばないで工賃と呼ぶミゼラブルな低価額になっており、その袋小路におちいっている。これでは社会的排除にあっている者は地域に帰れない。そこを変えるのが政治の役割である。
◆「鳥は空に、魚は海に、人は社会に」を!
この映画は、手足の不自由なきいちゃんのお姉さんの結婚式にまつわるエピソードで、この事件にある「世間」、それとの闘いなしには日本の市民社会は育っていかないことが鵜澤夕希子の秀逸な作画と共に描かれる。この映画を地域・職場で上映し、対話を広げよう。その時、半世紀前の重度施設解体のスローガン「鳥は空に、魚は海に、人は社会に」は今こそ私たちの実践理念としてよみがえる。
〈問い合わせ先〉澤則雄のGMAIL <noriosawa73@gmail.com>
註1「大島渚作品批評『発進』-関西自主上映パンフ」(加藤勝美・神村隆志 1963年)
註2 衆議院議長あての植松被告の「手紙」一部カット(出展:ニュース速報JAPAN)
註3「津久井やまゆり園事件と私たち」(『解放新聞埼玉』第1035号 2018.9.15)
註4 精神疾患全国調査(「毎日」2018.8.21)
註5 『私たちの津久井やまゆり園事件-障害者と共に〈共生社会〉の明日へ』(社会評論社2017.9)
2019.2.25
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〔eye4569:190226〕
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