新元号を考えるーー惜しかった!
- 2019年 4月 2日
- 時代をみる
- 元号田畑光永
私は昨年12月28日の本欄に「年末雑記 2」として「あらためて聞きたい、『元号』は必要ですか」という一文を載せた。その趣旨は、「国際性を持たない元号は今やほとんど実用性はない。その証拠には旅券にすら西暦年号しか記載されていない。したがって元号はもはや不要ではないか」というものであった。そして、どうしても皇室ゆかりの言葉である時代を表現したいとすれば、ヨーロッパの「○○何世の時代」というふうに天皇陛下の名前をその在位時代を示す言葉とすればいいではないか、とも提案した。
しかし、なぜか社会一般には新元号を待ち望む空気が広がり、ついに昨日、「令和」という新元号が決まったことが発表された。実用性はないのだから、どう決まってもいいようなものだが、報道でみるかぎりこの新元号が結構評判がいいようなので、へそ曲がりとしてはまずこの新元号について、一言疑問を呈しておきたい。
「令和」の典拠として菅官房長官は記者会見で、「万葉集」の詠梅32首の序文にある「初春の令月(れいげつ)にして、気淑く風和(やわら)ぎ・・・」から「令」と「和」の2文字を組み合わせたと説明した。それで美しい平和ということらしいが、この解釈は私には無理があるように感じられる。
問題は「令」である。この字からはまず「命令」「軍令」「条令」といった使われ方が思い浮かぶだろう。人に行動を促したり、逆に規制したりする言葉である。次は昔の中国の「県令」「中書令」といった官職の位を示す。辞書ではこうした使い方の次に「美しい」「良い」という字義が登場する。だからこの字を「美しい」という意味に使うことは間違いとは言えないのだが、用例をよく見ると、この字は普通に美しいという意味ではなくて、ある用法で美しさを言う場合が多いことに気が付く。
その用法とは同じ「美しい」にしても、この字は一般には「褒め言葉」の場合に使われるのだ。と言えば、「令夫人」「ご令息」「ご令名」に思い当たるだろう。『辞海』という中国の辞書には「令兄」、「令弟」、「令尊」(相手の父親)、「令堂」(相手の母親)、さらには「令終」(名声を保ったままの死)などが並ぶ。
それでは「令月」はどうか。これはどうやら「月」の場合の特殊な用例らしい。新聞に載った専門家の解説によると、「令月吉日」という形で使われることがあり、その場合、「令」は「吉と通じめでたい意味がある」そうだ。(東大東洋文化研究所・大木康教授。『日経』1日夕刊)
とすれば、普通の形容詞としてほかの言葉(この場合は「和」)につけて「美しい」の意味に使うのは誤用ということになる。まあ「平成」の場合もそうだったが、原文で離れている漢字を勝手につなげて、都合のいい意味の言葉にするのが、元号の正体ということなら、それはそれでいい。私には「令和」は、「仲直りしろ」という命令にしか見えない。
しかし、今度の新元号で私ががっかりしたのは、この「令和」ではない。このところ巷では新元号は「安永」「永安」「安久」といったものになるのではないかという声が囁かれていた。いくらなんでも、権力欲だか名誉欲だか知らないが、それほどあからさまに我欲を押し通すことはあるまいと思いつつも、ひょっとしたらあの男ととりまきの忖度プロたちならやりかねないという気もしていた。そしてじつは私はそれを強く望んだ。ぜひそうなってくれと。
なぜか。もしあの男とその取り巻きたちがそこまでやったら、いくらお人よしの日本国民もさすがに目が覚めるだろうと期待したからだ。モリカケでは財務省に膨大な公文書の偽造と役人に大勢の健忘症患者を生み、プーチンには四島返還どころか、「1956年の日ソ共同宣言には歯舞、色丹の主権まで返すとは書いてない」などと、やくざも顔負けの言いがかりをつけられても、ろくに反論もせず、一方では世界の嫌われ者になりつつあるトランプとの友情を誇る。どうしてこの男が安穏と総理の座に座っていられるのか、そればかりか四選などという言葉までちらつかせるとは、どこまで国民を馬鹿にしているのか。
ということは、馬鹿にされるほうが悪いのだ。それが誰の目にも見えたはずなのが「安永」もしくは類似の元号だったのに。敵もさるものだ、惜しかった!
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