私の桜物語
- 2019年 4月 7日
- 評論・紹介・意見
- 小原 紘桜韓国
韓国通信NO595
例年になく日本列島は桜の話題で大騒ぎだ。「花見酒の経済」で浮かれた30年以上前のバブル経済を思いだす。行きどころを失ったカネが土地と株に向い、投機がさらに投機を呼んだ落ち着かない時代だった。今年の春の話題は、桜と天皇と来年に控えたオリンピックの話ばかり。「世も末」などと嘆くまい。
8年前の春は悲しみの桜だった。今年は、辺野古の海が潰されていく春。故郷を失った福島の人たちの怒りが花に沈む。
人体冷えて 東北 白い花盛り 金子兜太
私の部屋は0.11μ㏜/h 24×365=1m㏜を下らない。
「平成最後」という枕詞が至る所につく今年の春は不気味でもある。
<喜連川の桜>
私の記憶にある桜は静かで希望とつながるものが多い。
なかでも栃木県喜連川(きつれがわ)の桜並木は忘れられない。精神障害者のメンバーたちと前が見えないくらいの桜吹雪の中を歩いた。いつも暗い顔をしている彼らが桜の中で微笑んだ。天使のように輝いていた。希望を見た気がした。私が職場を去ってから、障害者の社会復帰を目指す「希望の施設」は閉鎖され、15年が経つ。満開の桜を見るたびに、喜連川の桜と心の優しい彼らを思いだす。
<冠岳山の桜>
韓国の桜も美しい。全国至る所に桜があって花見を楽しむ人が多い。酒盛りなどはしない静かな花見だ。友人夫妻4人で歩いた汝矣島 (ヨイド)の桜並木も素晴らしかったが、何と言ってもソウルの冠岳山(カナクサン)の麓の桜は特別だ。
留学時代、友人たちと花見にでかけた。林の静寂の中に佇む桜、それは幻想的だった。韓国の人たちが桜を見ながら通りすぎて行くのに、日本人の私たちは大きな桜の木の下で、桜と焼酎に酔いしれた。韓国人から花は静かに見ることを教えられた。
韓国の桜の多くは日本の植民地時代に植えられたという話がある。代表的な例が慶尚南道鎮海の桜だ。毎年行われる「軍港桜まつり」は毎年多くの人で賑わう。かつて日本人が植えた桜を韓国人が楽しむという構図。日本が「鉄道を敷いた」、「学校を作った」という話に通じる。韓国人が日本の軍都だった鎮海の歴史を知らないはずはない。花の美しさには日本人も韓国人もない。
<千葉の桜>
今年の千葉県はウサンクサイ桜が注目の的だ。桜田義孝氏である。地元住民としては迷惑な「桜だ」が満開だ。
彼は従軍慰安婦問題で本音をしゃべって文科副大臣を棒に振った。その後初入閣を果たして、「失言」「撤回」「謝罪」を繰り返して「時の人」になった。これだけ笑いものになったら辞職してもよさそうだが、地元では意気軒高として八選を目指す不滅の散らない桜だ。
安倍首相とは日本会議、ブルーリボン着用のお友だち。大臣としての資格が問われても首相も本人も「職責を全うする」と強気だ。「虚偽(フェイク)」発言が常習化した首相、麻生大臣という「本丸」が平然としている以上、桜田氏も安泰というわけ。
彼のポスターに取り囲まれて暮らす住民の一人としては実に不愉快だが、桜田氏は「とかげのシッポ」のように切り捨てるのはもったいない人物だ。ボロはいくらでも出てくる。安倍政権崩壊に貢献するに違いない。マスコミも「言い間違い」を笑いものにせず、積極的にインタビュー取材をして、政権の中に蔓延する「ウソ」と「時代錯誤」「ファッショ体質」を明らかにしたらどうか。「桜田叩き」くらいで政権批判をしていると錯覚してはいけない。「本丸」の巨悪を叩く意地を見せて欲しい。選挙民としては「落選」運動に挑みたい。
<日韓関係で問われていること>~花見に浮かれている時ではない
最悪といわれる日韓関係を改善するために何が出来るのか。冷静に見て日韓どちらが感情的か。感情的になったら、次は手を振り上げるのが「行動心理学」の定説である。ネットウヨクたちも日本政府も聞く耳を持たない現在、聞く耳を持つ市民の冷静な判断に期待するほかはない。
最近の韓国の新聞「中央日報」と「ハンギョレ新聞」の記事を紹介する。最近、麻生副総理が主張し始めた韓国への経済制裁に対する反論である。
ハンギョレ新聞が3月14日付電子版の社説で、麻生副総理の経済制裁発言を紹介し、「事実上の脅迫に近い」「植民地時代の過ちを反省する態度がひとかけらも見えない」と批判した。日本では「解決済み」一本やり、韓国最高裁判決を撤回しろと主張するが、ハンギョレは「当時の強制徴用が違法だったから、請求権協定の対象にならないという判決は正当」。まして「裁判当初から弁論に参加していながら敗訴すると、承服できない」というのでは納得し難いと主張した。
興味を引くのは、経済制裁の急先鋒となっている麻生副総理の父親が多数の朝鮮人を強制労働させた麻生炭鉱の社長だったことにふれて、その息子が徴用工問題で「報復」を口にするのは理解しがたいと指摘したことだ。麻生氏の言動が韓日関係をさらに落ち込ませ、日本側に修復する意思が見えないと報じた。
また中央日報は3月7日付電子版で二回に分けて筑豊の田川の取材を「麻生炭鉱徴用残酷史」として掲載した。
取材班は、石炭事業から撤退し現在は麻生セメントとして操業を続ける麻生産業と、かつて炭鉱で命を落とした朝鮮人の納骨堂を訪れた。彼らは慰霊碑に「朝鮮人」の説明がないことに気づき、朝鮮人の受難の歴史を隠していることに衝撃を受ける。
更にレポートを読み進めてみよう。
「朝鮮人労働者はダイナマイト爆破など危険な仕事に従事させられ、毎日1~2名が亡くなった」。
「朝鮮人の寮は自由のない収容所だった」。「賃金はまともに支払われず、暴力が支配する職場だった」。「1944年に福岡県が作成した資料では麻生鉱業の労働者7996人のうち4919人が逃走した」。
太平洋戦争末期、労働力不足を補うために朝鮮に「国民徴用令」を適用し、日本国内の鉱山、建設現場に多くの労働者が投入された。筑豊地帯では、3万人あまりが労働に従事させられた(日本石炭統制会資料)。
以上が「中央日報」の記事からの抜粋だが、朝鮮人たちの徴用の実態を知る日本人は少ない。
筑豊でも麻生鉱業は群を抜く恐怖の現場だったというのは有名な話だ。麻生副総理に父親の会社のことを聞いてみたい気がする。「息子の私には関係ネェー」と言いそうだ。彼は「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と、日韓併合は相手が望んだと言わんばかりの発言を公然とする人間でもある。
二つの新聞記事は麻生副総理に関するものだが、韓国では以前から麻生元首相と東条内閣の閣僚として戦犯に問われた岸信介の孫である安倍首相に特別の関心を寄せてきた。
侵略に対する反省を拒み、祖父の宿願だった自主憲法制定に執念を燃やす安倍首相と、朝鮮人労働者を酷使した炭鉱経営者麻生太賀吉の息子である麻生副総理のコンビが韓国人の目にどのように映っているかは想像に難くない。
安倍、麻生の両氏が日韓の理解と和解の前に立ちふさがっているという韓国側の指摘。私たち日本人はどう説明したらよいのか。
<あとがき>
「通信」NO595号を書き終え、コンビニに出かけた帰り道、保母さんに連れられて散歩している保育園児たちと一緒になった。桜並木にさしかかると子どもたちから歓声があがった。「サクラだ、サクラだ!」。見上げて指さす姿。私も一緒に立ち止まって見上げた。
青い空に子どもたちの声が吸い込まれていった。
何だか嬉しくなって、子どもたちに声をかけて僕も一緒に歩いた。すると向い側からまたもや同じくらいの年齢の子どもたちの一団が現れた。そしてまたもや桜を見て声をあげた。
「桜のトンネルを歩きましょう」という保母さんが言うと、子どもたちは「サクラのトンネル」と叫んだ。通りかかった大人たちから「カワイイ」という声があがった。桜並木が途切れると、次はチューリップ畑。生垣にはユキヤナギとレンギョウが白と黄色のコントラストを見せている。
偶然に出会った「凄い光景」を見て胸がいっぱいになった。理屈抜きの幸せな気分。子どもたちの喜ぶ顔って、なんて素敵なんだろう。千葉にも本当の桜が咲いた。
数年前の春。二月の那覇の与儀公園。やはり保母さんに連れられて満開の桜の下で遊ぶ子どもたちを飽かずながめ続けた。これも私の大切なお花見の記憶だ。
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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