東北「復興」は被災地の実情と先人の知恵を踏まえ、若者たちの希望を汲んで! 原発情報は「原子力村」やマスコミに頼らず、ウェブを駆使して脱原発・エネルギー転換へ!
- 2011年 5月 3日
- 時代をみる
- 3.11加藤哲郎原子力情報戦
2011.5.1 世界を揺るがした3・11から50日、東日本大震災の 12都道県1万4662人、警察に届け出のあった行方不明者1万1019人(4月30日午後4時現在)のいのちは、ふだんなら家族・親族・友人に見送られ、しめやかな葬儀を経て天国に向かうところを、家族や近親者・隣人の多くも被災者で避難所暮らしのため、当座の仮設住宅も生活費も位牌もままならず、多くは祈りと心づくしの花のみで飾られただけで旅立つ、厳しい49日を迎えました。いたましいことです。外国人犠牲者は23人の死亡が確認されていますが、いまなお消息が求められています。身元の判明した死亡者の国籍は、韓国・朝鮮10人、中国8人、米国2人、カナダ、パキスタン、フィリピン各1人ですが、中国人約40人が消息不明、外国人180人が安否不明と言う情報もあります。天国には国境はありません。数十万人が「ホームレス」です。震災後の避難先での病死や自殺も相次いでいます。いまなお「震災孤児」の正確な数は把握されていません。
政府の救援・支援は、遅すぎます。地域社会や自治体が、壊滅したところがあります。着の身着のままで、いのちだけが助かった被災者が、ほとんどです。もともと過疎化と高齢化が進んでいました。病院も老人ホームも被災し、寒風にさらされたのです。瓦礫の山は、まだまだ続きます。仮設住宅が足りません。仕事がありません。「生き残ること」から「生き続けること」への転換の道を助けるのは、政府と政治の責任です。東北の海岸線は広く長く、地域のあり方は多様です。神戸大震災のような都市型再建の経験と教訓が生かせるのは、ほんのわずかです。岩手・宮城の海辺の多くの町は、漁業・水産加工業と農業、それに観光で成り立っていました。「復興」プランは、何よりも、地元の若者たちの意見と希望を、汲んだものであってほしいものです。また、幾度も地震や津波を経験し、そのつど立ち直り、コミュニティを再建してきた、地域の先人の知恵と教訓を、組み込んでほしいものです。
福島県民は、地震・津波の天災に加えて、福島原発水素爆発・放射線汚染による強制移住=「原発難民」化を強いられています。初動における政府と東京電力の全電源喪失・制御不能の結果であり、重大な責任を伴う人災です。歴史的に見ると、冷戦初期に遡る米国核戦略「Atoms for Peace」に乗り、保守政治家、電力業界など財界、経済産業省・財務省、それに文部科学省の科学技術政策と原子力研究者、大手マスコミを含むコングロマリットが合作してきた、エネルギー政策と「原発安全神話」の帰結です。はじめは核兵器保持の潜在的可能性をめざして、CIAエージェント正力松太郎や中曽根康弘らが暗躍しました。40年の寿命や使用済み燃料の廃棄方法も定まらないまま、この地震・津波大国に、原発が次々とたてられました。アメリカもヨーロッパ諸国も政策を転換し、代替エネルギーの開発を始めた1980年代になっても、スリーマイル島やチェルノブイリの悲劇を経た後にも、この国は、「脱原発」に踏み出せませんでした。東京・大阪など大都市の近くには建設できず、過疎の海辺に原発立地を押し付けてきました。その後ろめたさを、膨大な補助金と地元有力者への利権で、補ってきました。それでも疑問を持つ住民や、原発の危険を指摘した研究者には、警察・司法権力まで動員されました。政治家には政治資金を、官僚には天下り先を、マスコミには広告料を、御用学者には研究費をばらまいて、学校副読本や原発イベントを使った「事故隠し」と「安全神話」確立をはかってきました。「唯一の被ばく国」といわれたこの国は、3・11の「神話」崩壊まで、世界に冠たる「原発大国」でもありました。それが、FUKUSHIMA CRISISによって、「核汚染大国」になりつつあります。
4月29日午後、幾度か私自身も講演したことのある現代史研究会が、「終焉に向かう原子力」という講演会を開き、京都大学原子炉研究所の小出裕章さんと作家の広瀬隆さんが話をするというので、明治大学に出かけました。ちきゅう座の催し物案内で会場が変更され、どうやら多くの市民が集まりそうだと見当をつけて、10分前には会場に着きましたが、1000人収容の会場はすでに満杯で、通路にさらに200人を入れても1000人以上が入れない盛況、講演を聞くことは、できませんでした。主催者側が、急きょ小出裕章さんのトークを、入りきれなかった1000人のために用意し、長いこと現発の危険を訴えつづけ、それゆえに学会やマスコミから排除されてきた原子力学者小出さんの肉声を、ようやく聞くことができました。さわやかで高潔な、いさぎよい決意表明でした。多くの社会科学者にとって、原発や放射能の問題は、この1か月のにわか勉強でした。政治学者の私だけではありません。憲法学のY教授、経済学のI名誉教授も、市民の一人として会場外に並んでいました。社民党委員長福島瑞穂さんも会場に入れず、近くで小出さんに拍手していました。入場できなかった人には、講演ビデオを動画配信するというので、むしろこんなに多くの人がこの種の集会に集まったのに満足して、会場を離れました。その晩すぐに、小出さんの講演原稿「悲惨を極める原子力発電所事故」が、ちきゅう座ホームページに載りました。5月7日午後には渋谷で、4月10日に高円寺の1万5000人のパレードを成功させた「素人の乱」が、「5・7原発やめろデモ」を行うとのこと、若者たちの行動が楽しみです。
この50日間、日本の大手マスコミには、大変失望しました。ウェブ上の記事を含めて、政府や東京電力の発表をそのまま広報するニュースや解説がほとんどで、外国報道や地方メディア、独立自由メディアにみられるジャーナリスト精神は、感じられませんでした。3月11日から数日間の日本政府や東電の危機管理初動ミスについては、ようやくいくつか批判的検証があらわれ、「脱原発」論者の見解も報道されるようになりましたが、小出さんや広瀬隆さんを登場させたテレビ局には、大スポンサーからの圧力があったようです。総務庁が「ネット上のデマ」削除をプロバイダーに求めたり、日本気象学会が会長名で放射線についての個人的研究成果公表自粛を求めたり、政府・東電・保安院の別々の記者会見を、震災直後なら必要だったデータの統一の名目で、事前登録の共同記者会見にして自由メディアを排除したりーーこの国の「言論の自由」の限界も、あらわになりました。毎日新聞・朝日新聞が、おそるおそるエネルギーの原子力依存に疑問を呈する社説をかかげ始めましたが、「再生エネルギーーー脱原発の国家戦略急げ」と説得的に訴える琉球新報社説のような明解さはありません。政府の放射線規制値引上げに抗議し、内閣参与を辞任した小佐古敏荘東大教授の「辞意表明」全文を読めるのは、NHKの映像によってではなく、NHK「かぶん」ブログという、科学文化部のウェブページです。現場記者たちのささやかな抵抗でしょうが、福島のこどもたちに年間20ミリシーベルトという原発放射線労働者並みの基準を、まともな審議も議事録もなく決めた原子力安全委員会の問題への、つっこんだ報道はありません。その小佐古「辞意表明」で明らかになった「WSPEEDY(第二世代SPEEDY)」については、ウェブの情報を自分で集めるしかありません。
おそらく世界史に残る「事件」になるだろう、東日本大震災・福島原発震災についての情報戦は、新興グローバル・メディアであるウェブ上でこそ、鳥瞰できます。事業家孫正義さんの脱原発・自然エネルギー財団構想や、自民党河野太郎議員のまっとうな少数意見は、インターネットがあるからこそ、即時に耳を傾けることができます。小出裕章さんや広瀬隆さん、石橋克彦さん、後藤政志さんら専門家の発言も、ユーチューブの講演記録で、学ぶことができます。NHKスペシャル「原発導入のシナリオ:冷戦下の対日原子力戦略」ばかりでなく、かつて広瀬隆さんや故高木仁三郎さんらが「原子力村」の推進論者と対決した1988年の「朝まで生テレビ 原発討論」も、映像・音声がそのまま残されています。そこでの原子炉の耐震性、メルトダウンと放射能汚染の危険、「安全神話」をめぐる論点は、現在でも十分通用するものです。映画「東京原発」や故忌野清志郎さんの放送禁止曲、斉藤和義さんの話題の替え歌「ずっと嘘だった」も、映像つきで聞くことができます。3・11以来、私の書き下ろし歴史書執筆の筆は進まず、書きかけのままです。まずは、またとないこの日本史の転換点の意味を理解し考えることに、集中してきました。そこにちょうど、外国の日本研究の友人たちから、英語で読めるJapanese Disaster, Fukushima Crisisについての信頼できる情報はどうしたら得られるかについての問い合わせがきました。その外国人用ポータルサイト構築に専念して、今回の更新は、若干遅れました。英語サイトKATO Tetsuro’s Global Netizen College にとりあえず入れたリンク集をもとに暫定版を掲載し、連休中に増補改訂した日本語版を、IMAGINE! イマジン新版として作りたいと思います。しばらくお待ちください。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1377:110503〕
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