上滑りする日本の世論
- 2019年 4月 12日
- 時代をみる
- 政治盛田常夫
外国に居て日本のニュースに接するたびに、日本の政治家の意見や世論があまりに上滑りしているのが気になる。政治家が未来社会の方向性を示すのではなく、次の選挙の人気取りのために、あらゆる問題や機会を自らの知名度の向上のために利用しているとしか思われない。世論もまた、そのような俗な政治家と同じレベルで、短期的な利益を追い求め、複雑な問題の理解に努力しようとしない。その場しのぎの場当たり的な政治と世論が、日本社会の土台を劣化させているように思える。
問題の根源を知ろうとしない
消費税であれ沖縄の基地問題であれ元号であれ、人々は問題の根源を知ろうとせず、政治家の浅薄な言動を鵜呑みにしている。
なにゆえに税収を上げなければならないのか。20年分近い税収を前借している日本の予算はいつまでもつのか。税収を上げなければ日本の将来はどうなるのか。
これらの問題を深く考えることなく、多くの国民は国が何とかしてくれるはずという根拠のない淡い期待を抱き、政治家の言動に一喜一憂している。政治家はポイント還元や軽減税率など基本問題の周辺の事柄に人々の眼を向けさせ、いったい何のための増税なのかを丁寧に説明しない。「経済学者」と称するいかさま「学者」は、国債が国内で消化されている限り財政破たんは起きないとか、政府の債務は日銀の債権だから、相殺されて債務がチャラになるとか、とても学者とは言えないような馬鹿な言動を吐いても、世の中で食っていける。「経済学者」ほど、いかさまな職業はない。それもこれも、現代の「経済学」はイデオロギーの域を超えていないからである。アベノヨイショの「経済学者」ほど、インチキ学者が多い。
国債が国内で消化されている場合には最終的な債務は国民が負い、国債の多くが国外の投資家・投機家の手にある場合には最終的な債務はそれらの投資家が負うという違いがあるだけだ。後者の場合には、投資家は利益確保のために、投機的な動きを繰り返すから、そのたびに、国民経済が国外の投機に晒される影響を受けるが。
当たり前のことだが、永遠に国家債務を積み上げることはできない。やがて政府の首が回らなくなり、債務を減らすために、借金棒引き政策を実行せざるを得なくなる。その時に、国債所有者がすべての債権を失うだけでなく、普通の銀行預金ですら、預金封鎖にともなうハイパーインフレよって無に帰す。すべての近代国家は戦争の度に、国家債務のリセットを行ってきたし、社会主義体制崩壊はハイパーインフレで債務債権を帳消しにして、新しい社会構築の出発点を形成した。
日本の場合、南海トラフ地震や根室沖地震が同時に発生、あるいはそれに原発事故が重なる場合には、戦争と同程度の被害をもたらす。政府は国家再建のために財政を捻出しなければならない。少なくとも債務の軽減を図り、過去の債務から解放されないと、思い切った手が打てない。そのための手っ取り早い方法が預金封鎖であり、封鎖の間にハイパーインフレが債権・債務を帳消しにする。この結末に政治家も「経済学学者」も責任を取らないし、取れない。「あとは野となれ山となれ」という政治家や「学者」を甘やかしてきたのが国民だから、国民が最終的な責任を負うということである。浅薄な安倍政治が続くのも民意だとすれば、国民はその結果も甘受しなければならない。
こういう深刻な問題を回避するために、税収の前借りを続けてはいけないのだ。しかし、政治家も国民も、当座のことしか考えない。こういう上滑りの政治が蔓延している限り、日本の将来はきわめて危ない。上滑りの浅薄な宰相や政治家が日本を動かしている限り、日本の未来は明るくない。
沖縄基地問題と元号
象徴天皇制になってから天皇の実質的な地位は変化しており、国家形態からは立憲王政だが、実態上は議会制民主主義と王政の残骸の混合形態である。王政の下で発案された元号を有難がるのは、日本国民の民主主義の民度が低いことの表れにほかならない。王政の残滓である元号を使いたい人は使えばよいが、日常的には無用の長物である。それを政府が強制するのは王政の残滓を国民に強要することに他ならない。
こういう問題を考えることなしに、新元号に沸き立つ世論は悲しい。元号を文化というなら使いたい人が使えばよい。しかし、民主主義国家なら公文書で強制するのは間違っている。
安倍首相は東京五輪招致に際の演説で、「原発問題はすべてコントロールされている」と平気で嘘をついたが、沖縄辺野古基地建設でも「サンゴはすべて移植されている」と、出まかせの嘘をついている。こういう誠実さに欠ける政治家は信用ができない。自らの権力の維持と人気取りのために、あらゆることを利用しているだけだ。リオ五輪の閉幕式でも、自らがスーパーマリオに変身する人気取りの演出で、国家予算から10億円を超えるお金が支出された。こういう宰相の低能さや不誠実さを見抜けない国民は、いずれ自らの身にその付けが回ってくること知らなければならない。
ネット右翼は沖縄基地を日米同盟の維持・発展から不可欠だと主張しているが、日本とアメリカとの間の軍事関係は誰が見ても「同盟」などというものではなく、戦後占領が延長された「軍事従属」である。アメリカに従属していることを認めたくない右翼が、真の民族主義者であるはずがない。アメリカに身をゆだねる政治姿勢が民族主義であるはずがない。それこそ彼らが好んで使う「売国奴」だろう。昔から、日本の右翼や保守政治家はアメリカへの従属から目をそらし、「従属」を合理化するために、「同盟」という用語を使うようになったが、言葉の問題ではないのだ。
平成時代に戦争はなかったというが、湾岸戦争やイラク戦争に出撃するアメリカ軍を支援してきたことを忘れている。戦後最大の戦争犯罪であるヴェトナム戦争で、日本のアメリカ軍基地、とくに沖縄の基地はフル稼働で利用された。他民族の殺戮に日本の米軍基地が使われたことについて、日本人はきわめて鈍感だ。アメリカに従属しているから、自分たちは関係ない、知らなくて済むということではあるまい。しかし、「民族的な自立や主権」を意識することのない日本人には、こういう問題に思いをはせることが難しい。
ふるさと納税の返礼品も同じである。事の本質から逸脱して、いつの間にか返礼品競争を行うようになっている。税処理の担当職員だけでなく、返礼品の仕入れ・発送を担当する職員を配置しなければならない。それは皆、コストである。大きな都市の場合にはその経費は相対的に小さいかもしれないが、小さな町では経費負担が重いはずである。そうなると、何のための「ふるさと納税」が分からない。
消費税、元号、沖縄基地、ふるさと納税も、皆、根本問題を避けて上滑りしている。何が真の問題なのかに関心をもつことなく、目先の利益に一喜一憂して、浅薄な政治家の罠に落ちている。何とも情けない。
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