澤藤先生,少し力み過ぎでは?
- 2019年 4月 16日
- 交流の広場
- 箒川兵庫助
昔,関西に遊んだことがある。万葉集に関する本を購入したことがある。それが中西進先生のご本であるか記憶にないのだが,故郷に持ち帰って本棚に飾っておいた。積読。定年退職したらゆっくり読もうと。ところがフクシマ原発のメルトダウン事故によって我が家は放射能汚染。本も例外ではなかった。そこでやむを得ず,本を裁断してフォルダーに保存。たくさんの写真があったと記憶している。
しかしなぜ本職以外の専門書の,『万葉集』を買ったかと言えば,故加藤周一が『日本文学史序説』で本書をとり上げていたからである。万葉集について加藤は,何よりも『恋の歌』であると主張していた。また中国の漢詩には政治問題を扱った詩が出てくるが,万葉集には出てこない,ともいう。また仏教の影響もないと断言している。聖武天皇だったかは,全国に五重塔をたくさん作ったのに万葉集には仏教の影響がない。万葉仮名を良く知らず,加藤の説に何となく納得していた。
ところで30年前,義母たちと台湾に行ったことがある。若い女性たちと一緒のグループになった。そのときの日本語ガイド氏はIBMに勤められ,高校教師をなされて退職された方であったが,故宮を案内しているときに女性たちに「『唐宋八大家文』を読んだことがありますか」と尋ねた。理系の方が『唐宋八大家文』??高校時代に読んだ漢文の一つを咄嗟に思い出したが,当然,若い世代は読んでいない。特にゆとり教育以後の世代は読んでいない。反語表現など知らないだろう。
高校時代,日本語文章より,漢籍の方が好きになった。日本語はやたら難しい漢字が出て来て理解しにくあったが,漢文は慣れてくれば耳に心地よい。蘭亭記や帰田賦は読まなかったが,帰去来の辞とか楚辞を読んだ記憶がある。特に屈原の楚辞は今でも読み返す。都の政治・生活に嫌気を感じ,田舎に帰り暮らすという筋である。
中西進先生は有名な万葉学者であるらしいが,小生は加藤周一の研究者の端くれを任じるから,万葉集を「恋の歌」あるいは「政治臭があるかないか」といった観点から山辺赤人や大友家持などを読み直す(保存したファイルは今どこにあるか不明)。
加藤を研究するには,日本語の書籍はもちろん洋漢の書を読まねばならないから,年号を西暦で統一した方が便利である。だから新元号を使わないと,澤藤先生の新元号不使用宣言の驥尾に付して,小生も誓った。ところが澤藤先生は,新元号を宣言後も使われている。これはちょっとした矛盾ではないでしょうか。
山本太郎参議院議員は新党名を「れいわ新選組」としたようだが,皮肉たっぱりの命名である。新元号を使っていない。
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