農業の崩壊、それとどう闘うか
- 2019年 4月 19日
- 評論・紹介・意見
- 農業阿部治平
――八ヶ岳山麓から(280)――
2017年夏、わが村の野菜栽培を揺るがすニュースが流れた。一部の畑でブロッコリーが黄色くなって枯れ、商品として市場に出せなくなったのである。原因は作物に寄生するテンサイ・シスト線虫である。
さらに2018年夏、標高のやや低い畑のセロリーやブロッコリーが発育不全のため、商品にならなくなったことが問題となった。この原因は夏の高温障害と見られた。
私の村は、水田と畑が相半ばする。農業総生産額は41.9億円だが、野菜が29.4億円で70%をしめ、花卉5.3億円がこれに次ぎ、かつて生産額のほとんどを占めたコメは5億円である。野菜の中心は夏場の生産全国一のセロリー、さらにブロッコリー、ホウレンソウである。というわけだから野菜栽培が農家経済を左右する。
まず線虫の話から
土壌にはさまざまな線虫が棲息する。ジャガイモの根に寄生し、生育不良を起こすものがジャガイモシスト線虫である。戦後北海道の一部地域がこれに汚染されていることがわかった。もともとアンデス山脈地域が「原産地」で、それがオランダ・フランスの一部に伝染したのだが、北海道への伝染ルートはわからない。雄雌別体で、メスが死んでも卵は丸い包嚢つまりシスト(cyst)に包まれて長年生き、それが孵化するとまたジャガイモの根に寄生する。包嚢状態では駆除が難しい。
わが村では、一部の畑でブロッコリーのできが悪いのが2,3年続いた。途中経過は省略するが、2017年9月最終的に植物検疫官が現地調査をし、日本では未発生のテンサイシスト線虫(Heterodera schachtii)であることを確認した。キャベツ・レタス・ブロッコリー・カリフラワーなどのアブラナ属、テンサイ(甜菜)などのフダンソウ属が宿主である。昨年末にはトマト(ナス属)も宿主植物とされた
(http://www.maff.go.jp/pps/j/information/kinkyuboujo/hs.html)。
いま畑34ヘクタールがこのシスト線虫に汚染されている。どういう経路でいつ入ってきたのかわからない。これは耕土について移動するから、汚染畑に人や農機を入れることはできない。
2018年の1年間、私は現役の農家ではないものだから、シスト線虫発生のニュースを聞いても、ただただ県や国当局の対策を見ていただけだった。村当局も長野県と農水省の専門家を頼りにした。農水省が県当局と協力してとった蔓延防止策は、土壌の移動防止措置の実施・発生畑における宿主植物の植栽の自粛・土壌消毒の実施などだった。
海外ではシスト線虫退治には農薬が用いられているが、日本ではこれがまだ厚労省に認可されていないから使えない。対抗作物として野生トマトの一種が有効らしいが、まだ導入されていない。とりあえずは土壌燻蒸剤 のDD剤を使用して除去しているが、完全に駆除できるわけではない。だが、完全でなくても線虫の生育密度が減少すれば、その害も減少するから作物ができないわけではない。
昨年末、専門家が生育密度を検査した結果、基準値以上の9ヶ所の畑は2019年度も防除を継続することとし、そのほかの基準値以下の畑は、耕土の洗浄を続けながら、アブラナ属など宿主植物の作付けも可能となった。もちろん以前の生産を取りもどすことはできない。
この災難は、本当は個人の問題ではないが、個人情報保護という理由で汚染畑は公表されていない。農家としても自分の畑にわけのわからない疫病神が住み着いたなんて、誰にも知られたくはない。当局からの情報も該当農家に通知されるだけである。
村の中には、まだ汚染が拡大していない耕地のサンプリング調査をした方がよいとの意見もあったが、昨年村当局は作物に異常があったときは「役場に連絡をください」というにとどめた。今まで農家から連絡があったとは聞いていない。
高温障害について
長野県でセロリーの主産地は、松本平と諏訪地方の高冷地である。諏訪ではわが村を中心とした八ヶ岳西麓の標高1000m前後の耕地である。わが村の気候は、最寒月の1月の平均気温は氷点下3.2℃、最暖月の8月の平均気温は21.6℃、年降水量1284mmだから亜寒帯湿潤気候といえよう。
セロリーは「諏訪3号」と呼ばれる白い部分の多い、冷涼を好む品種である。寒冷期産地静岡県とのリレー栽培の協定が結ばれ、これによって季節的出荷量のバランスをとり、価格の安定につなげている。
従来からセロリーやブロッコリー栽培地は、温暖化のために少しずつ標高の高い畑へ移動していた。ところが2018年は7月中旬から8月上旬まで最高気温が30℃を超す日が続いたため、セロリーは標高1000m以下の大面積にわたる畑で商品にならなくなった。ブロッコリーも数年前から標高の低い他地区では、生育不全のために畑でひき潰したり、刈取ったりすることがあったが、昨年はわが村でも標高1000m以下では同様の災害が生まれた。
温暖化効果ガスは増加の一途をたどっている。今後も高温障害は避けられないものと考えなければならない。このままでは、夏場の他の作物にも被害が及ぶ危険がある。
考えられる対策は、より冷涼な高地へ耕地を移すか、新品種を導入するか、作物を花卉などに転換するかである。開墾するとすれば、対象は非農業振興地域の山林だからカネと時間がかかる。
新品種については全然見通しがないわけではない。今年になって長野県野菜花卉試験場(塩尻市)が、既存品種より2割ほど収穫量の増加が期待できるセロリーの新品種を開発したと伝えられた(信濃毎日新聞2019・03・14)。これが比較的温暖な気候でも栽培できるのを期待している。とはいえ、実際に商品生産をするまでには、農家が新品種の特徴を知り、栽培技術を習得しなければならないから、2年や3年はかかる。作物転換も新品種の導入と同様の時間とカネがかかる。
迫りくる破局、それとどう戦うか
今年はセロリーもブロッコリーも標高の比較的低い畑では、栽培をあきらめるしかない。現状は破局とは言えないまでも、それが迫っていることは確実である。
私は、以上の災害情報を主に農家2人から得た。その1人はシスト線虫の被害を受けた畑の持主だったが、事実を躊躇することなく語った。私はこの危機的状況を聞きながら、60数年前の桑畑から西洋野菜への転換を思い出した。
明治時代から続いたわが国の養蚕・生糸生産は、1957年ピークを迎えたものの、翌58年には繭値の暴落があって徐々に減少し、69年には中国に追い越された。わが村では60年前後から繭の安値に悩まされた農家が桑畑の桑の根を引抜いて、大根・キャベツ・セロリー・レタスなどの野菜栽培と乳牛飼育に転換した。70年代に牛乳がだめになると、野菜栽培は村全体に拡大した。当時、新作物の導入を主導したのは農協で、現場では県当局と農協の若い技術者が頑張って栽培技術を普及した。
いま、わが村は60数年前と似た状況に直面している。
かつてはコメに頼りながら、養蚕に代わる新しい農作物を導入した。現在は農業以外の収入の方が多い第二種兼業が多くなっているから、養蚕の崩壊期ほどの全面的な農家経済の危機とはなっていない。だが、シスト線虫は駆除方法がかなりわかっているのに対して、温暖化対策は見通しが立ちにくい。障害が続けば野菜栽培をやめるものも出る。
農業で生きてきた村である。生業の荒廃は精神の荒廃に通じるかもしれない。線虫と高温障害のほかにも、後継者問題や小規模耕地・遊休農地の整備、さらには外国人労働者の導入など、課題は山積している。これを何とかしなくてはならないと思うが、自分がすでに年を取り過ぎたのが残念である。
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