4/27 第311回 現代史研究会(レジュメ:改元・改憲・廃絶を考える―拙著『三島由紀夫と天皇』を手掛りに)
- 2019年 4月 21日
- スタディルーム
- 菅孝行
- 1868年の「明治維新」は武士階級内部の政権奪取によって遂行された。②それ自体はブルジョワ革命ではない。③しかし、
- 入省先 法務省⇒○大蔵省
- 202頁3行目:飯島勲⇒○飯沼勲 (小泉内閣秘書官との混同)
- 204頁2行目:三歳の透に⇒○十六歳の透に(三つの黒子はいつも間にか、三歳に化けた)
- 232頁9行目:暁の寺⇒○奔馬(二部と三部の単純な勘違い)
- 真崎甚五郎⇒真崎甚三郎187頁(他、もう一カ所)
現代史研究会 改元・改憲・廃絶を考える―拙著『三島由紀夫と天皇』を手掛りに
(三島の地平との関わりで)
Ⅰ.『三島由紀夫と天皇』(平凡新書)の問題意識
○作家論として
仮説①三島由紀夫の創作モチーフは戦後天皇制と欺瞞に対する強い違和感・内的葛藤の(憎悪と恋闕)アンビバレンス
作品の内部で処理しきれなくなって「蹶起」へ
仮説②①を導いたより基底的な契機がある 重要な事柄からの決定的な疎外 自分には、大切な事柄には触れることがで
ない、それなくしては生きることの意味さえ見出だし難い事柄の実在を確かめることさえできない。=決定的な「孤絶」 を逃れられない。(中条省平 反近代文学史)⇒救済としての天皇への恋闕
・②の心象の<証明>:『天人五衰』の終景 本多繁邦 輪廻転生のはじまりであるはずの松枝清顕という人物など、存在しな
いと、清顕の恋人であった綾倉総子(天人五衰では月修寺門跡)証言する。本多の構想する世界の根底が否定される。
―これと『花盛りの森』の終景が酷似。(奥野健男『三島由紀夫伝説』)⇒絶対的な孤独からの救済を天皇への恋闕に求めた。
⇒その恋闕が、裕仁の二二六蹶起将校徹底殲滅と敗戦処理(人間宣言)で破られた。
⇒戦後の三島は、憎悪と恋闕の狭間に身を置くしかなかった。⇒次第に憎悪の感情に身を委ねてゆく。その果てが「蹶起」。
○天皇制認識の問題として
―左翼の戦後天皇制認識 共産党(解放軍⇒反米愛国) 新左翼(権力一般の打倒)=感度の欠如
―先駆的例外 亀井文夫 『日本の悲劇』 軍服の天皇から背広の天皇への衣替えで、戦争責任が封印された。
『日本の悲劇』は占領軍によってフィルム没収。廃棄。(のち残存ポジから復元)
―保守派・右翼の天皇制認識 戦後の天皇制はアメリカの作った天皇制であるがゆえに反米の旗を掲げられない。
⇒反米右翼の激減。
⇒戦後の右翼は親米(赤尾敏が先駆。現在の主流派は日本会議派―安倍一派)
⇒アメリカに迎合する「国粋主義」という矛盾を逃れられない。
―先駆的例外 三島由紀夫 マッカーサー天皇会談の写真を見て「なぜ、衣冠束帯ではないのか」(三谷信『級友三島由紀夫』)
Ⅱ.作家三島の軌跡の概観
・家庭環境 ナルシシズム 性的少数性(野坂『赫奕たる逆光』) 若書きの「酸模」にはじまる(中条)
・夭折幻想 恩寵の中の三島 『花盛りの森』でデビュー
・受忍の時代としての戦後(4~50年代) 孤独な作家 名声の高まり
『岬にての物語』/『仮面の告白』『禁色』・『金閣寺』(古典主義の時代)『青の時代』・『鍵のかかる部屋』・『鏡子の部屋』
∟長期の受忍不可の苦痛 ∟森鴎外・トーマス・マンの方法の模倣(「私の遍歴時代」)
・(50~62)『近代能楽集』の方法:作中に作家が出てこない。作品世界と作家の切断。戯曲というジャンルの性格を活用。
・60年代 破局の方へ
山口二矢 肉体・集団・「同苦」の発見 サド評伝 磯部浅一の手記発見 楯の会 68年10・21 69年 70年 蹶起
↓ ↓↑ ↓ ↓ ↓ (文化防衛論)
『憂国』 『太陽と鉄』連載開始 『サド侯爵夫人』『英霊の声』・『朱雀家の滅亡』『豊饒の海』執筆開始(暁の寺・天人五衰)
Ⅲ.象徴天皇制の起源 アメリカの天皇制 買弁天皇制 無意識の天皇制
・「日本計画」と「近衛上奏文」の内容的呼応関係
・敗戦・占領(マッカーサー天皇会見) 天皇制存置 武装解除 主権への権能の剥奪 極東軍事裁判 天皇不訴追
・47占領政策の転換 反共主義 米軍と裕仁の共鳴 国政の権能なき天皇の国政 沖縄メッセージ 50天皇・ダレス会談
・54藤田省三 「買弁天皇制」(「天皇制国家の支配原理」) 61丸山真男『日本の思想』
・50朝鮮戦争 50年代末 戦後補償過程 賠償円払い⇒再度のアジア進出
・天皇像の希薄化 60日米安保改訂 65日韓基本条約 ヴェトナム戦争 経済高度成長 (70三島蹶起)
・70年代 集合的無意識 空虚な中心 延命する国家神道 無反省
戦後天皇制は「象徴天皇制」を「条文」化する過程において、史上最高度の発展段階にある天皇制として自己を開示する端緒を開いたのである。……天皇制の最高形態とは、決して天皇親政を必要条件とするものではない。……天皇制はたしかに政治的な制度であると同時に、精神的な権威の機軸を持続的に保証するところの内面化された「制度」でもあるが、だからといって、つねに価値の中枢たる天皇が末端にまで顕在化された意識として喚起されていることをもって高度であるといいうるものではない。むしろ、このすぐれて人工的な出自を持つ制度が、あたかも自然であるかのごとく、どれほど内面化されているか、このすぐれて非身体的な作為の所産が、それほどあたかも有機的身体の如くに機能しうるかが問題であろう。 (「天皇制の最高形態とは何か」初出『情況』一九七三年十一~十二月合併号)
・外部の目 戦前と変わらぬ帝国主義国家 華青闘 東アジアのジャーナリズム(反日) 東アジア反日武装戦線
・中曽根の登場 国鉄分割民営化を基軸とする行革 戦後政治の総決算 天皇再浮上
・平成の護憲天皇 政府の改憲との「確執」(象徴天皇制―元首天皇制 「一見平和主義」天皇制―強権の道具の天皇制)
好感度史上最高76% 裕仁時代40%台(個人の人格への共感と制度が区分できない。反対派が天皇個人を憎悪しても制度は
倒せない。それが象徴天皇制である。制度と個人は別に扱え。)
Ⅳ.裕仁と明仁にとっての象徴天皇 三島由紀夫と天皇明仁
○裕仁にとっての象徴天皇制 国体護持の方便 占領下では権力行使 独立とともに後景へ
憲法三原則もまた便法 国民の多数の意識と呼応 戦争責任は「文学方面」 被爆は戦時下だからやむを得ない
○明仁 理念としての象徴天皇 憲法三原則の国民統合の象徴を重視
桓武天皇の母は朝鮮から渡来 国旗国歌強制の窘める サイパン慰霊 災害慰問 政府の改憲姿勢への反措定
天皇制であることを主権者に忘却させる天皇制(民主主義)
政府の改憲論で矛盾が激化した 1章死守のために前文 9条 14条 20条 99条 改憲の政府―護憲の天皇
○三島と明仁の政権批判
・三島の戦後観=売国天皇制打倒:「国体」の価値の根源たるべき天皇が、アメリカに身を売って「国体」を保全して貰った。
自衛隊はアメリカの傭兵となる。これは承服しがたいから、自らの死と引き換えに「天皇霊」を掠取する。=蹶起
(三島は、戦後天皇制だけでなく、明治憲法の西欧模倣の近代天皇制も忌避していた)
・明仁の「平成」観=護憲天皇制死守 政府の改憲阻止
やむを得ざる敗戦処理の盟約を経て成立した憲法上の天皇の役割を果たしてきたが、政府が盟約破棄に動いている。これは
承服しがたい。国政の権能は持たないが、護憲平和のための違憲はやむを得ない。国民に現体制の再考を促す=生前退位
(明仁への共感は、戦後天皇制への共感に過ぎない。14条と天皇の存在は絶対矛盾であることにこそ留意すべき)
○政府・日本会議勢力の対応
・明仁の「批判」抑制(八木秀次)、そのための宮内庁制圧(「お言葉」直後の更迭)、一代限り、皇室典範不問。道具としての
天皇制を維持しつつ、必要に応じて改憲(当面元首化は後景。前文、9条、24条、99条=立憲主義破壊)改元は改憲へのス
テップ。)
○われらの進路
・「文化」天皇主義者三島と「護憲」天皇明仁を否定的媒介にして君主制と訣別する⇒(制度があっても)失効⇒(制度的な)廃止
権力の奪取に先立って、国家の統合の規定力を超える隣人相互の信認を組織することが前提。それができていなければ、「幻
想の共同性」の規定力を解体できない。(cf.スターリン、ワイマール共和国)
cf.グラムシ『獄中ノート』石堂清倫『20世紀の意味』ピーター・メイヨ―『グラムシとフレイレ』
・国家幻想(幻想の共同性)の失効 共和制国家にも、共同性への信仰がある(ルナン 日々の国民投票)
・共和制国家の実態は、トランプのアメリカ、プーチンのソ連 ポピュリズムに揺れるEU内共和制国家、新興国の独裁制
(三島の地平の外で)
Ⅴ.日本資本主義と天皇制
近代国民国家の統治形態は、独裁(法的正統性のない実効支配)、立憲君主制、共和制の何れかである。高度に発達した資本制国家では、共和制もしくは立憲君主制の何れかの統治形態が選択されてきた。国連加盟百九十三か国の中、君主制国家は三十か国に過ぎない。しかし、「先進」資本主義国家の中では必ずしも共和制が大多数というわけではない。イギリス、スペイン、北欧諸国、ベネルクス三国、日本などは現在でも立憲君主制である。また、君主あるいは君主に類する独裁的権力を維持している有力な国家がイスラム圏に幾つか散見される。逆に第二次世界大戦以降に独立したいわゆる「新興国」では、実質はどうあれ形式上の統治形態は共和制が主流である。
国民国家の統治形態の「選択」は、その国家の下で資本制を発展させる原動力となった階級ないし社会的勢力の性格によって決まる。他国と戦争し敗れた場合の敗戦国の統治形態は、戦勝国の占領統治の意図によって左右される。
拙著『天皇制と闘うとはどういうことか』(航思社)
・戦前日本の場合
講座派左翼は日本の革命戦略を社会主義革命から絶対主義天皇制打倒へと舵を切ることによって、日本資本主義の封建遺制を過剰に重視するあまり、その高度な発達に目を塞いだ。他方、労農派は、日本資本制の高度な発達に着目した対価として、日本国家の統治形態の、見逃してはならない固有性である天皇制を看過した。ではどのような認識が望ましかったのか。およそ次のように整理できる。
「維新権力」は政権奪取後、一時期はコミンテルンさえもブルジョワジーによる覇権の掌握を認識するまでに資本主義を高度化させた。④それを可能にした統治形態は近代天皇制である。天皇制という統治形態は近代化・資本主義化に向けて国民を総動員する装置であった。⑤しかし、近代天皇制は、天皇の宗教的権威を正当化するために、古代の律令制国家を権威づけていた「信仰」を密輸入した。⑥そのため、高度に発達した資本制の上に成立した国家の統治形態が、封建性を飛び越えて神話によって正当化されるというミスマッチを生んだ。⑦「維新権力」の下での経済発展が、ブルジョワジーの自生的な階級的力量でなされたものではなかったため、欧米のブルジョワ革命のように個人の権利を制度的に保証する志向に欠けた近代国家となった。⑧皮肉にもそれが、暴力的に資本主義を発展させる推進力となった。 同前
・戦後日本の場合
・占領 天皇・マッカーサー会談の作り上げた占領統治のコンテクスト アメリカの政治意思の下で保持された天皇制国家
アメリカの天皇制の成立・安定が統治の課題(保守派は受容):アメリカが必要とする資本制の復活・発展が目指された
Ⅵ.自発的迎合という選択 占領統治の地政学敗戦国ドイツとの復興・発展過程の政治的選択の決定的な差異
・東アジア:アメリカのほぼ単独占領 影響力が圧倒的に強大 東西冷戦激化 ソ連との緊張高まる 朝鮮半島の緊張に直
結 中国「赤化」の恐怖 直接米ソの国境が接しており、アメリカにとって朝鮮半島情勢への前線基地が日本
・アメリカは米日、(のちには米日韓)の軍事的垂直分業を不可欠と考えた 軍事的垂直関係は政治的関係に投影された
アメリカの占領政策(日本に親米政権を安定的に維持する その条件として急速な経済復興を推進する そのためには軍
事裁判で徹底的に疎水することは回避する)米日韓関係は垂直的提携。日本が帝国主義段階に達しても提携関係は垂直的。
・ヨーロッパ:西独―「連合軍」各国均分の占領統治 ドイツを巡る占領の地政学は、相戦ったドイツとフランスを結びつ
け後のEUの共同の牽引勢力が形成された。東独―ソ連占領 アメリカは地理的に遠かった 敗戦国全体に単独の覇権国家
が圧倒的に影響力を及ぼすことはなかった 占領軍は相互に矛盾を孕みつつ水平的提携関係
・西ドイツ フランスと提携して石炭共同体 EEC ECを形成して、アメリカ、ソ連、中国と対抗する経済圏を形成した。
筵敗戦国西ドイツがけん引した。東ドイツがソ連崩壊で西と統一されると、EUを形成した。帝国主義国家間の水平的提携関係のモデルとなった。 拙著『天皇制と闘うとはどういうことか』(航思社)あとがき参照
・東西冷戦以後、帝国主義国家は必ずしも争闘戦に向かわず、相互に提携する。水平モデルがEU、NATO。垂直モデルが
日米韓安保。(日本の権力は、自発的に従属を選ぶ。これは、選択肢のない植民地支配とは違う)
・占領統治の地政学は第二次世界大戦以降に固有の事態であり帝国主義に関するレーニンの定義の外にあった。
・日本の左翼は反米愛国でも日帝打倒でもなく反米―日帝打倒論を構想すべき。反米と自国帝国主義打倒は矛盾しない。
■『三島由紀夫と天皇』訂正事項
参考文献
拙著『三島由紀夫と天皇』(平凡社新書)
拙著『天皇制と闘うとはどういうことか』(航思社)・・・近々店頭に並ぶと思います 27日の後で読めたら読んで下さい。
拙稿「天皇制と闘うとはどういうことか」(『コモンズ』2018年8月~2019年3月)
拙著『天皇制論集Ⅰ 天皇制と日本精神史』(御茶の水書房)
加藤哲郎『象徴天皇制の起源』(平凡社新書)
島薗進『国家神道と日本人』(岩波新書)
豊下楢彦『昭和天皇と戦後日本』(岩波書店)
松浦玲『日本人にとって天皇とは何であったか』(辺境社)
ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店)
ハーバート・ビックス『昭和天皇』(岩波書店)
日時:4月27日(土) 午後1:00~5:00場所:明治大学・駿河台校舎リバティタワー
13階1135教室
演題:改元・改憲・廃絶―「平成天皇制」のアポリア
講師:菅 孝行
1939年東京生まれ。 学習院初、中、高等科を経て1962年東京大学文学部卒業。同年、東映に入社、京都撮影所で演出助手となる。1964年労働組合支部書記長に。1965年、CM/PR映画制作部門(東映京都製作所、TV制作会社 太秦映像の前身)に配転。1967年退社、上京。以後、文筆業、予備校講師、公共劇場スタッフ、大学特任教授などを生業としてきた。
通信・資料代:500円
参考文献:『三島由紀夫と天皇』(平凡社新書)
現代史研究会顧問:岩田昌征、内田弘、生方卓、岡本磐男、田中正司、西川伸一(廣松渉、栗木安延、岩田弘、塩川喜信)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1035:190421〕
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