5・11ポスト資本主義研究会公開講座――権威主義的支配体制との葛藤と離脱(1905年前後のドイツ帝国)
- 2019年 4月 21日
- 催し物案内
- 松田健二
日時:5月11日(土)13時30分~17時
会場:本郷会館洋室B(東京都文京区本郷、丸の内線本郷三丁目下車)
講師:五十嵐一郎(歴史学研究)
会費:500円
プラハ大学教授アルフレート・ヴェーバーは、ドイツの企業内労使関係について、1905年は決定的な年とした。労働者が組織化を進めて労働争議を有利に展開した1890年以降の情勢に対して、1905年以降は企業側が「黄色い労働組合」や「就労希望者」を組織化した結果、企業側優位の新たな段階になったというのである。1905年の社会政策学会マンハイム大会において学会左派のマックス・ヴェーバーらは、職員層の急増という新しい状況にふまえた社会政策の新しい行き方を求め、激しい論争を交わした。
プラハ大学で学んだフランツ・カフカは、その新しい状況の中で、「職員層」に仲間入りする。退職した1922年には上級書記官のポストにあった。250人以上いた職員中でユダヤ系は三人だけのアリバイ的存在であった。ドイツ系が業務運営を握り、大半の職員がチェコ語を話す職場のなかで、彼は営業部長代理を務めるほど有能な官吏であった。
カフカが自らのユダヤ性を意識し始めた契機は、1911年にイディシュ語(東欧ユダヤ語)劇団のプラハ公演であった。毎日のようにカフェを訪れて公演を見ただけでなくイディシュ語の勉強を始めた。カフカの最後の長編小説『城』は「権威主義的国民国家」の支配構造のモデルを描いた小説である。民衆が統治者の価値観を内面化し、自らの欲望を長城建設に投影させているからこそ、王朝の統治は永遠に続くというメカニズムは、既に『万里の長城』で把握されていた。この鋭い社会科学的分析をカフカはどこから得たのであろうか。
参考文献:五十嵐一郎著『ドイツ帝国時代を読む――権威主義的国民国家の岩盤とその揺らぎ』(2018、社会評論社)
問合せ先:matsuda@shahyo.com 電話090-4592-2845(松田)
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