選挙における左翼敗退の理由—わが村の場合
- 2019年 4月 25日
- 評論・紹介・意見
- 政治選挙阿部治平
――八ヶ岳山麓から(281)――
地方選挙の都道府県議・政令市議選は、保守派の勝利に終わった。
公明党が343から337と停滞したものの、自民党当選者は前回1459から1485へ増加したからである。立憲・国民両党は合わせても333人にとどまり、旧民主党の391人より大幅減少、共産党も247から214になって敗北、社民は34から26になって風前の灯火。
わが長野県議選でも、自民党は得票と得票率を大幅に伸ばし24人を当選させ、その後の多数派工作によって県議会57議席の過半29を獲得した。「県民クラブ・公明」は9人。改選前14人だった無所属・民進・社民系は新会派「改革・創造みらい」12人をつくった。
阿部守一県政唯一の野党共産党は8人から5人に後退し、交渉会派(所属議員6人以上)の資格を失った。
後半は市町村議選だが、無所属が多く、公明党と共産党、維新だけが党派を名乗るのが通例である。これで政治動向をうんぬんすることは難しい。長野県の場合、34市町村議選の党派別当選者は、共産党が前回選挙より6人減の44人、公明党は1人増の21人、立憲民主党は3人、無所属360人であった(信濃毎日2019・4・23)。
地方議会における保守派の勝利は、リベラル・左翼の自滅がもたらしたものだと私は思う。以下に、その一例として私の村の左翼の滅び方を述べる。
私は、マルクス主義がいうところの社会主義の実現を信じないが、これまでずっと共産党を支援してきた。わが村にはリベラルから左の政党では共産党しかないからである。だが浮世の義理もあった。共産党の地方活動家で親友のNが、生前「共産党を頼むぞよ」といったからである。私はこの遺言を守った。だから共産党の動向にはひとかたならぬ関心を持っている。
私の村は元来農業を主とする8集落であった。ところが経済急成長以後、村を横切る自動車道路よりも標高の高い山林に大都市圏から移住する人が増加した。ここを「みちうえ」といい、もともとの8集落は「みちした」と呼ぶ。共産党の支部はそれぞれにあるらしい。
2007年村会議員定員は11人に減少したが、「みちうえ」は定年退職者が多いので有権者は全村のほぼ25%に達し、村議2、3人を出すようになった。「みちした」は20年くらい前までは、村議は集落代表・名誉職だったが、いまや「やりてえ衆がやりゃいいら」という空気が強くなった。
前回の村議選では、共産党は「みちうえ」現職が再出馬、「みちした」には適当な人がいなかったため、移住して2年半という「みちうえ」の人を担ぎ出した。これで「みちうえ」の女性2人が選挙戦に臨み、274票と224票で当選した。
この選挙のあと、「みちした」の知人が「何もわからねえものを村会議員にして! 共産党は村をバカにしていりゃあしねえか」と私に不満をいった。親戚知人はたいてい私を共産党だと思っているから、こういうことが起きる。私は両村議をしっかりした人だと思ったので、「あの衆もこれから勉強すりゃわかるようになるら」と弁解した。
前回選挙から4年経った今年3月中頃、私は「みちうえ」「みちした」両方の共産党後援会に行った。「みちうえ」の後援会で、見知らぬ男性が「村議選に立候補するからよろしく」と挨拶をした。聞くと、彼は去年9月に移住したばかりで、党員も彼がどんな人かよく知らないというから驚いた。
さらに先に述べた「みちうえ」の現職村議は2人とも今回は立候補しなかった。彼女たちはそれぞれ2期と1期を務めて、ようやく村の様子がわかりかけたときなのになぜなのか、これについては説明すらなかった。
前回に引き続いて、今回も「村をバカにした」所業である。私は「適当な人物がいないなら空白でもしょうがねえ。今後地道に活動して、4年後誰かが立候補すりゃあいいに」と、2,3の党員に話した。これにあえて異論をとなえる人はいなかったが、「もう地区委員会も承認している」とのことだった。
自覚しているかどうかわからないが、「みちうえ」の人は「みちした」に対する優越意識を持っている、と「みちした」の人々は感じ、「みちうえ」の人々の振る舞いをじっと見ている。このことに「みちうえ」の共産党は深く思いを致すべきである。
わが村の共産党はこの4年間、農協前でのスダンディングなどを主導し、国政レベルの課題を叫ぶのに熱心だった。村議会では前・現村長のやり方に反対し、いくつかの課題に取組んだけれども、村人の印象に残ったのは、おもに老人医療費給付金制度の維持と、その改革に反対したことだった(注1)。
「みちした」には農業技術に通じた党員がいるのに、野菜栽培の直面するテンサイシスト線虫や高温障害、さらには農業後継者、休閑地など農業問題への関心はまことに薄かった(注2)。
去年の台風では、私の集落では倒木のため80数時間にわたる停電など深刻な被害が生じたが、党はとくに被害調査をすることもなく、対策を村役場に求めた形跡もなかった。わが友Nだったら、ただちに見舞いに歩き、村役場や中部電力と交渉を始めたはずだ。
(注1)
私の村には、全国唯一の65歳以上の老人の医療費を全額村が負担する制度があった。ところが2015年児童を含めた医療給付金が年1億円をこえた。このままでは制度そのものを維持できないとして、前村長は高齢者の給付年齢を65歳から毎年1歳ずつ延長して、5年後には70歳からとした。老齢化が確実に進む中、給付金が年々増えることは目に見えている。だから村人の多くは制度改革をやむを得ないものと考えている。
共産党は「給付金の額が膨大になったときはどうするのか」という問いに「村の各種基金を取り崩せばよい」と答えた。
(注2)
意外にも共産党本部は、昨年夏テンサイシスト線虫と異常高温の障害を調べるため、わが村に国会議員と職員とを2回も派遣していた。おそらくは危機に直面した「みちした」の農民党員がたまりかねて本部に直訴したものであろう。
だがこのとき、共産党村議が国会議員らの現場視察に同行しないという不可解なことがあった。これを問うと、「みちうえ」の党員は「連絡がなかったから」と弁解した。政党としてこんなタガの緩んだ話はない。
3月末信濃毎日新聞に、わが村の立候補予定者8人の名前が掲載された。私はそのうちの農家とわかる4人に、はがきで農業問題をどう考えるか質問した。4人ともしっかりした返事をよこした。なかでも現職女性村議は、医療給付金問題、災害対策の進捗状況、経営規模、外国人労働者の雇用の問題などを詳しくメールで送ってきた。
ことここに至って、天国のNには申し訳ないが、村政について何も知らない人を村議会に送る必要はないと思った。それで「今回は共産党の支援活動をしない」と2,3の党員に告げた。それかあらぬか、私のところには共産党の宣伝ビラが届かなかった。
わが村は有権者6500余、村議定員11人。今回の村議選では現職7人が引退し、新人が9人立候補して13人の争いとなり、村人の関心が高まり投票率も65%と高くなった。
結果、当選者はすべて無所属で、共産党新人は得票数227、最下位で落選した。「前回2人、今回1人だから当確」のはずだったが、前回得票498の半分もなく、さきの衆院選比例区の得票の36%しかなかった。ひところは村議4人を擁し、村政にゆるぎなき地位を築いたわが友Nの政治的遺産は、おそらくは誤った指導によって、すでに食いつぶされていたのだ。
共産党下部党員は、党中央の方針に従い、中央の政策を宣伝し、「しんぶん赤旗」の拡大に邁進してきた。そのため過労気味で自分の頭でものを考えるゆとりがない。各レベルの党指導者らは選挙で敗北しても負けと認めず退かない。自らが人民の支持を得、人民の声を代表していると思い込んでいるから、他人の批判や忠告を受け入れない。だから現地の事情にもとづいた政策を立案し実行するにいたらない。
ことは共産党にとどまらない。これはまた別個に論じなければならないことだろうが、国政レベルでは、立憲・国民両党もさほど上等の政策を出せないから、それにふさわしい支持しか得られず、日本国民の保守化に貢献しているのである。いったいわれわれはいつになったら極右安倍政治を終わらせることができるのだろうか。
(2019・04・23)
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