テレビ、新聞の報道管制(自主規制、忖度、あるいは強制)に断固抗議する!
- 2019年 5月 1日
- 評論・紹介・意見
- 山川 哲
昨日、今日の新聞紙面、テレビ(特にNHK)の放送予定欄を見て「ゾッと」した。これではまるで、戦時中の「大本営発表」ではないか。
言わずと知れた「天皇報道」である。
NHKはほぼ一日中、民放も日頃の「おちゃらけ番組」の頭に「平成」だの「令和」だのをくっつけて、にぎにぎしく「お祭り騒ぎ」をしている。
これには日本人(日本人は決して単一民族ではなく、アイヌの人や沖縄の人たちも、あるいは中国、朝鮮半島から来た人も入り混じって住んでいる)は、すべからく「天皇の儀式を祝うべきだ」という強制が働いていることが明らかに見て取れる。そのために、否応なしに全てのメディアに協力させているとしか思えない。「国策」であり、それ自体が「特定の政治、心情の押し付け」を禁じた憲法(思想信条の自由の保障)違反である。
何人かの友人、知人に意見を聴いてみた。一様にあまりのひどさに呆れ果てていた。ほとんどの友人らが、テレビは見たくない、新聞はそれ以外の記事を読むだけだという。
メディア報道からすれば、大半の日本人がこのセレモニーを喜び、歓迎しているかのように報じられている。本当であろうか?大いに疑問をもつ。
沖縄では、住民の7割以上が反対している「辺野古基地建設・移転」が「日米地位協定」を固守したまま(つまり、占領支配体制が維持されたままで)強行されようとしている。
福島原発事故は、8年間が過ぎても未だに十分な調査、補償がなされないまま、また当時子供であった人々への健康管理なども不十分なままに、上っ面だけの「事故処理完了」「帰還オーケー」という誠に無責任な「見切り発車」の号令が出されている。
事故を起こした当事者の東電は、ここ数年は黒字経営だというから驚きだ。
今日の日本社会は、格差の拡大から来るひずみ(犯罪や事故などに端的に現れている)がますます顕著である。親が子を殺し、子が親を殺すという、実におぞましい出来事がひんぱんに起きている。ダンテの『神曲』の「地獄篇」や仏画に現れる「地獄」の物語、否それ以上の「地獄絵図」が実際に展開されている。児童の6人に一人が貧困だとも言われている。こういうことを書き始めると収拾がつかないほどだ。
のんびり休暇を楽しんでいるのは、国民全体のほんの一部だけとも言われている。日本国の大臣と呼ばれている輩は、国会での「居眠り」から解放されて、今度は外国旅行で贅沢三昧(国税を使って)を決め込んでいる。
本当に天皇報道以外にわれわれが知るべきニュースはないのだろうか?世界はどうなっているのか?のんびり外遊している輩には何も分からない。
この危うい「報道管制」が将来的に何を意味するかをもっと真剣に考えるべきではないのか。次に来るのは「憲法改悪」へ向けた政治宣伝である。
一元的な「天皇報道」はそのための下準備である。
故安丸良夫先生(一橋大学名誉教授)が、かつて言われていた。「天皇が平和主義者であるとか、民主主義者であるとか、庶民の味方であるとか言って喜んでいるが、その地位の維持のために年間何十億円もの税金が使われていることを忘れてはならない。天皇一家にしても、今の地位保全のためには、その程度のサービスは当然のことと思っているはずだ」
確かに、安倍政権による「天皇の政治利用」もありうる。しかし、もっと根本的に考えるべきなのは、「天皇制」が、高額の国税を使って維持され、さらに今回のような「憲法違反」を犯してまで「天皇家の私的行事」の「国事行為化」が強行されること、この事をわれわれは見過ごすべきではないだろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8606:190501〕
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