本当に「解決ずみ」といえるのか 徴用工問題、二冊の本から読み解く
- 2019年 5月 11日
- 評論・紹介・意見
- 小原 紘徴用工韓国
韓国通信NO598
前々回号「日韓基本条約とは―韓国大法院(最高裁)判決を考える」で、日韓基本条約が国交正常化に本当にふさわしいものだったかどうか、過去の償いも含めて「すべて解決済み」と胸を張る日本政府に疑問をぶつけた。
謝罪はしたくない、だから「賠償」ではなく「経済協力」とした。韓国大法院(最高裁)が、「慰謝料」の支払いを命じると、被告の日本企業の前に立ちふさがり、「すでに賠償した」と強弁するのは、「二枚舌」との非難は免れない。
締結内容の他にどのような合意があったのか。韓国政府は2005年に政府の文書を開示したが、日本政府は「不都合」だとして、いまだに開示を拒んでいる。外交文書開示30年ルールを無視したままでは説得性が欠ける。「経済協力」では、「道義的責任が残る」という国会内での議論も紹介した。日本が「不都合な真実」を隠していると言われても仕方がない。
その議論は別として、日韓間で懸案となっている従軍慰安婦、徴用工の問題では金銭の問題、外交問題ばかりに関心が集まり、被害者たちの実態については、おろそかにされてはいないか。
たしかに、被害者にとっても辛い記憶は、日本人としても忘れたい記憶だが…。
<帰れ 釜山港へ>
チョー・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」の歌詞に漂う韓国人の釜山港への思い。そこには日韓の複雑な歴史が影を落とす。
28年前、韓国をひとりで一カ月間旅行したことがある。帰りの飛行機のチケットを破り捨てて、釜山から下関行きのフェリーに乗った。以下は私の旅行記の一文である。
「長い歴史のなかで、この港と下関を行き来した多くの人たちの人生のドラマを想った。<中略> こんなに美しい港なのに、胸が締め付けられるような気持ち…」「アリランの歌を口ずさんでいるうちに涙が…。歌えば歌うほど涙はとまらなかった」。
下関港と博多港は現在でも釜山と船で結ばれているが、かつては強制連行された朝鮮人が上陸し、日本の敗戦とともに解放され、帰国を急いだ港だった。彼らは筑豊の炭鉱を始め、各地の工場や土木現場で働かされた。
『続アボジがこえた海』李興燮(リ・フンソプ)著と、『三たびの 海峡』帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)著では下関と博多の港が絶望と苦悩の場所として描かれている。李興燮氏は黄海道(現在の北朝鮮)出身。佐賀県の住友唐津炭鉱で働かされた体験をまとめた。帚木蓬生は強制連行された河時根(ハ・シグン)を主人公にして小説を書いた。国民徴用令(1939)が施行され、1942年には大規模な強制連行が行われた結果、徴用された朝鮮人は113万人にのぼった(岩波日本史辞典)といわれるが、李興燮氏も小説の河時根も敗戦末期に、また偶然にも16才、17才の時に強制連行され、筑豊の炭鉱で働かされた。
例によって、日本では「人数はもっと少なかった」「自らすすんで日本に来た人もいた」「給料が支払われた」などという議論がある。しかし「創氏改名は朝鮮人が求めたもの」という主張と同じく、「一部を全体」、「形式を実態」と理解させようとする欺瞞に満ちた議論というほかない。
戦争拡大に伴い労働力不足を補うために朝鮮各地から「徴用」して、土木、鉱山の作業現場に割り当て、長時間ろくに食事も与えず牛馬のようにこき使った。命の危険を感じた多くの朝鮮人が脱走を試み、失敗するとリンチが加えられ絶命する人も多かった。
徴用工の実態については、昨年10月の韓国大法院判決でも明らかにされたが、『続アボジがこえた海』と『三たびの 海峡』を読めば、赤裸々な体験と、小説家帚木蓬生の迫真のノンフィクションから、徴用工の悲惨さが胸に迫る。李興燮さんも小説の河時根も釜山から「囚人船」に乗せられたようにして九州の炭鉱に連れてこられた。家族から切り離され、賃金が支払われたというが、強制貯金、故郷への送金分が差し引かれた。人間としての尊厳は無視され、監視、暴力が絶えない実態は両書に共通する。
<『続アボジがこえた海』は『アボジがこえた海』(1987)の続編>
『アボジがこえた海』は大阪・池田市の中学校生徒による父親李興燮さんへの聞き書きがスタートとなり、教師たちの手によって刊行された。各新聞社が紹介、注目を集めた。転々と職を変え金属回収業を営んでいた李興燮アボジがたどった人生をじかに聞きたいと、小学校、中学校から講演の依頼が相次いだ。
『続アボジがこえた海は』はそれから28年後、本人が書き残した文章-帰国のために博多港が溢れんばかりの同胞たちで大混乱の様子-とともに新聞に連載された李さんの強制連行と逃亡生活、さらに講演会での話、指紋押捺裁判の証人として語った記録などが収められている。
強制連行によって狂わされた人生を振りかえる李さんの怒りは凄まじいものがあるが、泣き言はない。達観したところもあり、前向きな生き方が随所に見受けられ、講演会では、子どもたちに戦争のないすばらしい日本を託し、励まし続けた。続編発刊の前年の2014年に波乱の86才の生涯を終えた。
映画でご覧になった方も多いかも知れない。(神山征二郎監督、三国連太郎主演1995年作品)
炭鉱内の生活がリアルに日本人作家の手によって描かれた。拷問、朝鮮人の仲間との心の交流、戦争遂行の国策第一、あまりにも非人間的な死と背中合わせの日々。そして脱走。結婚した日本人女性を連れて帰国。生まれた子どもと妻の日本への帰国。
ある日、事業に成功した主人公のもとに届いた消息は、かつて炭鉱の所長だった男が市長としてボタ山を無くすという市の活性化計画だった。それまで主人公は意識して忘れていた強制連行の町を訪れるために、三度、海峡を渡る。既に最初の日本人妻は亡くなり、息子と再会。労働現場を「記憶」として残したいという息子と意気投合。息子に資金援助を約束した主人公は、かつて日本人の手下となって仲間を拷問死させた在日朝鮮人。彼は建設業で成功を収めている。その彼を仲間たちの墓がある場所におびき寄せ殺害し、ともに崖から飛び降り命を絶つというのがあらすじだ。
軽く読めば復讐劇だが、帚木蓬生は徴用工(強制連行)をテーマにして日韓併合が生んだ両民族の悲劇に迫る。日本人として忘れてはならないことを朝鮮人の主人公の目から小説に書き上げた。単なる「復讐」「反日」小説として読むのは読み間違いだ。
精神科医である作家帚木の目は科学者らしく綿密、冷静でありながら、ヒューマニティに溢れたものが多いが、本書は日本人の「記憶」と「責任」の問題を深く掘り下げた点が注目される。
三たび 海峡を渡り、日本にやって来た主人公の河時根は、「私の命が朽ちる前にやっておかなければならないことがある。それこそが、非情な歳月の力に抗う唯一の道であり、傷跡を永遠に残し、死んだ同胞たちの血と涙と労苦を生かす行為なのだ。それなくしては、人は忘却のなかでまた同じ轍にはまりこんでいくだろう」と、死を覚悟して、市長選の演説会場に乗り込み、候補者の旧悪を暴き、計画通りに殺人を遂行する。しかしそれは過去を封印して平然と生きる人間たちの「非情な歳月の力」に抗う道であり、それは作者自身の決意でもある。
息子に宛てた遺書のなかで主人公は、<生者が死者の意思に思いを馳せて生きる限り、歴史は歪まない>と記し、「不幸な歴史を繰り返さないためにも、海峡を挟む二つの民族の優しい架け橋になって欲しい」と書き残した。
李興燮アボジと河時根の思いに共通するものを感じる。二つの著書はともに日本人が落ち込んでいる精神状況に対する痛恨の警告となっている。
二つの著書は、ともに韓国語に翻訳された。韓国語で前者は『娘が伝える父親の歴史』、後者は『海峡』である。『海峡』には多くの韓国人読者から、日本人作家への驚きと賞賛の声が寄せられている。昨年末に韓国で翻訳された『娘が伝える父親の歴史』も日本発の貴重なドキュメントとして多くの韓国人に読まれるに違いない。
「すべて解決ずみ」と取り澄ましている日本の政治家は「無知」で「無恥」と批判されても致し方ない。
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