SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】317 「難民キャンプ脱出青年の捏造報道」
- 2019年 5月 15日
- 評論・紹介・意見
- サハラ平田伊都子西サハラ難民
「西サハラ難民キャンプを脱出した青年が砂漠で枯れ死!」という漫画もどきの話を、MWN(モロッコ世界ニュース)が流しました。 モロッコ占領地・西サハラを脱出した青年の話を追いかけている筆者は、「脱出情報をパクって、逆に悪転用したのでは?」と、瞬時に疑いました。 が、モロッコ占領地から脱出した青年の話は、まだ公開しておりません、、いくらパクリ名人のモロッコとは言え、ちょっと無理です。 むやみに人を疑ってはいけません、、が、この、メイド・イン・モロッコの話、おかしいことだらけです。
(1)西サハラ難民政府外交団の活躍:
2019年4月28日のスペイン総選挙で躍進した左派<ポデモス(我々にはできる)>は、SADR(西サハラ・アラブ民主共和国)の国家承認を約束した。同じく票を伸ばした右派<ボックス>は、モロッコ北部のスペイン領メリリヤとセウタの周辺に、モロッコが金を出して塀を改造しろと迫っている。一方、過半数を獲得した与党<社会労働党>のペドロ・サンチェス党首は、2018年の国連総会演説で、前西サハラ宗主国スペインの責任を認めた。モロッコも認めざるを得ない、西サハラ難民政府の対スペイン外交成果だ。
2019年5月7日、サイド。オマル西サハラ難民政府国連代表が国連PKO事務総長代理ジャン・ピエール・ラクロワとニューヨーク国連本部で会談した。オマル代表はラクロワ国連PKOトップに、「ポリサリオ西サハラ難民政府は、国連PKOの傘下にあるミヌルソMINURSO(国連西サハラ人民投票監視団)と協力しつつ、民族自決権の人民投票実現に向け交渉を続け、西サハラ紛争の平和的解決を目指す」としたためた正式文書を手渡した。
5月7日、ウガンダの首都カンパラでヨエン・ムセベニ大統領が、ハンマディ・バシールに、西サハラ難民政府ウガンダ新大使としての信任状を渡した。ウガンダはSADR(西サハラ・アラブ・民主共和国)を、1979年から正式国家として承認している。
5月8日、ロシアの対ドイツ戦戦勝記念日を祝して、西サハラ難民政府大統領ブラヒム・ガリがロシア大統領プーチンに宛てて、書簡を送った。難民大統領は、「国連憲章と国連精神に則った西サハラ問題の解決に向けて、ロシアが国連安保理で西サハラの民族自決権を支持してくださったことに、深く感謝いたします。これからますます、西サハラ人民の民族自決権行使にご協力くださいますようお願い申し上げます」と、括った。
(2)第46回ポリサリオ戦線創設記念日:
5月10日、西サハラ難民キャンプでは盛大に、モロッコ占領地・西サハラではコッソリと、第46回ポリサリオ戦線創立記念日を祝った。<砂の壁>モロッコ地雷防御壁で分断された西サハラ難民と西サハラ被占領民は、改めてポリサリオ戦線指導の下に自由と独立を目指すことを、誓った。西サハラ人民の目標は、国連と国際社会が認める<民族自決権の国連人民投票>の実現だ。
ポリサリオ戦線は西サハラ独立運動を立ち上げた故エル・ワリが、1973年5月10日に創設した。ポリサリオ<Polisario>は、<Frente Popular para la Liberacion de Saguia el Hamra y Rio de Oro>という超長いスペイン名の略である。日本語に訳すと<サギア・エルハムラとリオ・デ・オロ解放のための人民戦線>となる。サギア・エルハムラ(赤い涸れ川の意味)は西サハラ北部のアラビア語地名で、リオ・デ・オロ(金の川の意味)はサハラ南部のスペイン語地名である。つまり、西サハラ全土を意味する。
SADR西サハラ・アラブ・民主共和国も、1976年2月27日に故エル・ワリが創設した。
このめでたい祝日にモロッコは、「西サハラ難民が西サハラ難民キャンプから、集団で脱走するゾ!」と、不気味な噂を送った。モロッコは<西サハラ難民を不安に陥れる>新キャンぺーンを展開し始めている。
5月10日、ポリサリオ戦線第46回記念祭で行進するポリサリオ西サハラ難民軍
(3)<難民キャンプから脱出事件>の捏造:
5月10日、MWN(モロッコ世界ニュース)が、「昨日、アルジェリアのテインドウーフ近くにあるラボニ・キャンプから200キロメートル離れた所で、若い西サハラ人が死んでいるのが見つかった。彼はラボニ・キャンプからの脱出を企てたが、彼の車が砂漠で故障したため、渇きで死んだ」と、伝えた。さらにMWN(モロッコ世界ニュース)は、「
モロッコの新情報筋<ル・360>によると、ポリサリオ・西サハラ難民政府から逃げるため、アハメド・マフムード・ディと4人の友人は、ラボニ・キャンプを車で逃げだしたそうだ。彼らの車が壊れた後、彼らはバラバラに別方向へ助けを求めて歩き出したとか、、ディの友人たちは数日間歩き続けた後、発見されたが、ディは渇きで死んだとか、、」と、語った。
記事は、記者という人間が書くので、完全なドキュメンタリーはあり得ない。できる限り真実に近い記事を目指すのだが、このモロッコ記事が目指すのは、嘘を真実に近づけることにある。では、この記事の間違い探しをやってみる。
① ラボニ・センター(キャンプ?)から200キロメートル離れた所は、既に<砂の壁・地雷防御壁を越えて、モロッコ占領地内だ。ラボニセンターから砂の壁までは約80キロメートルだから、5人の乗った車は早々とモロッコ軍に見つかっているはずだ。
② <彼の車>とあるが、西サハラ難民は自家用車など持っていない。
③ <バラバラに別方向に歩いた>とあるが、いささか不自然だ。集団で動くのを義とする西サハラ難民が、しかも砂漠を知る難民が、取る行動とは思えない。
④ <数日間歩き続けた後、発見>とあるが、5月の砂漠は夏に入っていて、数日間も歩き続けることは、、アッラーでも難しい。その間の食料は?水は? 一体、誰が歩く4人を見つけたのか? 誰が死体を見つけたのか? 何も明らかにされていない。
モロッコの情報筋<ル・360>の偽作者は誰なのか?そこのところだけは、真実を語ってほしい。
モロッコ占領地・西サハラから徒歩で脱出し、西サハラ難民キャンプに逃げ込んだ若者は、たくさんいます。 1200キロ以上の砂漠踏破に失敗し、命を落とした西サハラの若者の数は?誰にも分かりません。 占領当局の目をかすめ、家族にも内緒で出てきた無名の西サハラ青年たちは、無縁仏になって砂漠に埋まっているのです。 彼らの無念の魂は砂漠に漂っています。 モロッコ軍が<砂の壁・地雷防御壁>に添って埋めた約600万個の地雷よりも、計り知れない威力があります。
Youtubeに2018年7月にアップした「人民投票」(Referendum)をご案内します。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いいたします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2019年5月15日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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