神がかった儀式に覆われた不況の国
- 2019年 5月 17日
- 時代をみる
- ゾルゲ事件加藤哲郎天皇制憲法
2019.5.15 憂鬱な2週間でした。どう考えても安倍首相による象徴天皇制の政治利用としか思えない元号フィーバー、神道儀式・儀礼のオンパレードで、メディアは埋め尽くされていました。そうした喧噪から逃れて読んでいたのが、戦時1940年に提唱され真剣に議論された「日本法理研究会」の諸文献。昨年から毎日新聞や朝日新聞で大きく報じられている国会図書館憲政資料室「太田耐造関係文書」のゾルゲ事件関係新資料を解読し、史料集を編纂・解説するための仕事ですが、「三種の神器」から「亀の甲羅占い」まで復活した巷の喧噪と神道儀式のテレビ中継は、「日本国憲法」ではなく「17条憲法」の時代の「象徴」を想起させるものでした。「天皇機関説」事件・「国体明徴」から「国体の本義」「国民精神総動員」「大東亜共栄圏」「八紘一宇」へと突きすすむ時代の「空気」と、ダブって見えました。
日中戦争から日米戦争に拡大するにあたって、「大日本帝国憲法」のもとにあった日本の「法治国家」は、「法の支配」ならぬ「法治主義」の運用の根拠を、「17条憲法」を貫く「国体の本義」「日本精神」に求めました。「国体の本義に則り、国民の思想、感情及び生活の基調を討えて、日本法理を闡明し、以て新日本法の確立及び其の実践に資し、延いて大東亜法秩序の建設並びに世界法律文化の展開に貢献する」が、日本法理研究会の「目的」でした。当代日本の帝大教授等が総動員され、憲法・公法学では筧克彦の「かみながらの道」、神道にもとづく「祭政一致」が、刑法・治安法では小野清一郎の「日本法理の自覚的展開」で、天皇の命令である「みことのり」「のり」「むすび」が唱えられました。その主体的直観「さとり」こそ、「西洋法」に対抗する「日本法理」「日本精神」で、その法源を「聖徳太子の17条憲法」に求め、それを植民地から「大東亜法秩序」にまで拡げることが、真剣に議論されていました。
太田耐造は、この時期の「思想検察」を指揮した司法省官僚で「思想検事」でした。ゾルゲ事件の被告たちに適用された治安維持法(1925年制定、1928年及び41年3月10日改正)、国防保安法(1941年5月10日施行)、軍機保護法(1899年施行、1937年及び41年3月10日改正)、軍用資源秘密保護法(1939年3月25日施行)という4つの法律の制定及び直近の改正に加わり、同時に、その解釈・運用を総指揮しました。その太田耐造が蒐集し2017年に国会図書館で公開された「太田耐造関係文書」のなかに、「日本法理研究会」の史資料が、大量に含まれていました(史料番号90以下)。ちょうど「紀元2600年」で、天皇制と元号による神話的時間・空間支配、欧米とは異なる「日本的なるもの」の礼賛が最高潮に達した時期でした。当然、治安弾圧法規の制定・解釈・運用にも「日本法理」が用いられました。典型的には治安維持法の28年改正「目的遂行罪」を更に改悪した1941年法です。その「精神」は、今日の「特定秘密保護法」にも受け継がれています。
「日本国憲法」があるので象徴天皇制は民主主義と両立する、先代象徴天皇は「戦後民主主義」の護り手であった、という類の議論があります。しかし、歴史の教訓は、天皇個人ではなく制度としての天皇制、民衆への天皇の象徴性とその「権威」の時の権力による政治的利用にあります。君主主権の「大日本帝国憲法」さえ、それが「17条憲法」「日本法理」まで遡って解釈・運用されると、それまで長く通説だった「天皇機関説」など簡単に排除され、新聞・ラジオと帝大教授等が総動員されて、戦時体制に突入しました。丸山真男のいう歴史意識の古層「つぎつぎとなりゆくいきほい」が想起されます。いよいよ深刻化する長期不況、「失われた30年」による世界経済の「中心」からの脱落、米国にすがるしかない国際外交秩序の中での孤立、「ファシズムの初期症候」指標に照らした政治と社会の閉塞からすると、すでに、「いつか来た道」に大きく踏み込んでいるのかもしれません。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
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