本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(224)
- 2019年 5月 21日
- 評論・紹介・意見
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心の仮説
今回、「ブラックホール」が発見されたが、このことは、ご存知のとおりに、「100年ほど前に、アインシュタインが理論的に解明したもの」と言われている。つまり、理論的な「仮説」は出来上がっていたものの、「実証」や「検証」に、100年もの時間が必要だったわけだが、このように、「仮説」を立てて、その後、「検証」に励む態度については、「自然科学」では、すでに常識となっているものと考えられるようである。
しかし、一方で、「社会科学」については、「価格は、需要と供給とで決まる」という理論は存在しながらも、「需要は、どのようにして決定されるのか?」については、「誰も答えることができない状況」となっている。つまり、「心の謎」が解けていないために、「人々が、どのような行動を取るのか?」が、ほとんど解明されておらず、いまだに、「戦争」や「殺人事件」などが頻発する状況となっているのである。
そのために、今回は、私自身の「心の仮説」を発表させていただくが、実際には、三段階に分かれるものと考えている。
1:人間の誕生時に、魂が肉体に入り、その結果として、心が発生する。
2:心は、時空を超えて活動が可能であり、対象物に向かった時に「感情」が発生し、また、魂に向かった時に「理性」が蘇る。
3:心が肉体を動かすことにより「行動」が発生する。そして、他者との関係で「感情」が生まれ、「組織」や「社会」、あるいは、「時代」の性質が決定される。
かつて、「ニュートン」が、「重力の法則」、すなわち、「物と物との関係性」を解明したことにより「自然科学」が発展したが、これから必要とされることは、「心とは、いったい、何なのか?」という「心の謎」だけではなく、「心と心の関係性」である「心の法則」を解明することだと考えている。別の言葉では、「自然科学」の急速な発展により、「原爆」や「原子力エネルギー」までもが発明されたものの、現在、必要とされているものは、その技術を使いこなす「人々の精神性」とも思われるのである。
そして、このことを象徴する現象が、現在の「マネーの大膨張」であり、実際には、「自然科学」を代表する「実体経済」に対して「約10倍」の規模となり「地球環境を破壊するほどの大量消費文明」を生み出したが、現在では、すでに、「金融のメルトダウン」が進行し、間もなく、大インフレの発生が危惧される状況となっているのである。(2019.4.26)
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利口な人生と愚直な人生
最近、哲学者の「梅原猛氏」の著書を興味深く熟読しているが、今回、特に、私の興味を引いた点は、「少年の夢」という著書で、「利口な人生」と「愚直な人生」について説明されていたことだった。つまり、「利口な人」や「世渡り上手な人」にとって、「既存の常識」を疑うことは、「今までの学者を敵に回す状況」を意味しており、「実際には、きわめて危険なことである」とも述べられているのである。
そのために、重要な「閃き」や「アイデア」が得られても、「危機感」を覚え、「そのアイデアを封じ込んでしまいがちになる」ということが「利口な人」が取る行動とも説明されているが、その結果として発生する現象は、「従来の意見だけが信じ込まれる、停滞した社会」とも考えられるのである。つまり、現在の「日本の低迷」は、この点に、大きな原因が存在するものと思われるが、このことに関して、梅原氏は、「懐疑」を抱き、「おかしいことはおかしい」と言える「愚直な人生」を提案されているのである。
つまり、「自然科学」も「社会科学」も、「疑問」を抱き続けた人々が、ある日突然、「閃き」を得たことから発展した状況を強調されているが、実際には、「仮説が、どれほど重要なのか?」を力説されるとともに、「ニュートン」や「アインシュタイン」なども、結局は、「懐疑と直感」、そして、粘り強い「帰納」と「演繹」により、「本当の学問が産み出された」とも述べておられるのである。
また、「この言葉に、最も感動したのは、私自身だったのではないか?」とも感じられたが、実際には、「心の仮説」が完成するとともに、「西洋哲学」や「仏教」などが、より簡単に説明可能なようにも思われたからである。つまり、私自身の「三つの仮説」により、「苦悩が消滅する可能性」が存在するようにも考えているが、この段階に到達するまでには、実際のところ、「ニーチェ」が主張する「ラクダとライオンと幼子」という三段階が必要な状況でもあったようだ。
つまり、私自身にとって、最初に「お金の謎」を考えることが、「ラクダ」という「基本知識」を得ることであり、その後、「時間のサイクル」を追求する過程で、「ライオン」という「既存の常識を取り去ること」が可能だったものと感じている。そして、その結果として、「心の仮説」が出来上がったが、このことが、最後の「幼子」の段階であり、後は、「素直な心で、過去の歴史を検証するだけの状況」であり、また、「このことが、人生において、最も楽しい時間ではないか?」とも感じている。(2019.4.28)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
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