「一方的爆撃・破壊」と「岩盤規制に穴をあける」について
- 2019年 5月 31日
- 評論・紹介・意見
- 上西充子国会パブリックビューイング岩田昌征
令和元年・2019年5月25日(土)に「ちきゅう座」の総会が開かれた。私=岩田も会員の一人として出席して、「ちきゅう座」電網交通を無報酬運営して下さっている一団の人々に感謝の念を表して来た。そこで、若干の所感を述べてみたい。
「本年度事業報告」は、「便宜上、『平成』と呼ばれたこの30年間」を概観することから始まる。1989年以来のソ連東欧社会主義体制の崩壊、「自由主義陣営」の圧倒的勝利宣言、マルクス主義古臭論の風潮等々が指摘され、「米国大統領だったブッシュやネオ・コンによって強行されたイラク、アフガニスタンへの一方的な爆撃・破壊がありました。」とこの30年間の国際政治経済的ヘゲモンの名前が登場する。
私=岩田はここに「事業報告」作成者とのずれを実感した。私は、今年になって3回「一方的な爆撃・破壊」に関して「ちきゅう座」の「評論・紹介・意見」欄で論じている。「NATOのセルビア侵略20周年――市民主義の功罪を思う――」(3月24日)、「セルビアにおける『リベラリズム』=大使館政治――アメリカ大使の自省的述懐――」(1月9日)、「ユーゴスラヴィア社会主義の崩壊の外因――」(1月5日)である。
自分達を普遍的原理たる基本的人権の創始者・宣教使・守護者であると確信する文明による「一方的爆撃・破壊」は、決して、21世紀初のイラク、アフガニスタンから始まったのではなく、20世紀末のセルビアから始まっている。そしてまた、セルビアの場合、アメリカだけでなく、NATO加盟国のすべて、特に独仏伊の全面的参加の下で実行された。特に特にドイツにおいては、1998年に成立した赤緑連合政権(社会民主党とみどりの党)の1968年世代の全面的リーダーシップがあって始めて、ドイツ国防軍の域外への非自衛的出兵が可能となったのである。
保守のコール政権下であったならば、中道左派を含むドイツ社会の左発条が効いて不可能であったはずだ。
サダム・フセインのイラク打倒戦争に独仏は参加しなかった。アメリカはそれに関して独仏を次のように批判していた。「我々はみんな一緒になって、セルビアのスロボダン・ミロシェヴィチ打倒のために、空爆なる人道的介入を一方的に実行した。サダム・フセインはクルド人に対して毒ガスを使用して、非戦闘員を大量に殺害している。スロボダン・ミロシェヴィチはこれほど非人道的な行為を行っていない。ミロシェヴィチの場合に独仏が人道的介入に参戦し、フセインの場合に独仏が人道的介入に参戦しないのは、理に合わないではないか。」と。
この30年間における北米西欧による「一方的爆撃・破壊」の開始時点を中近東のイラク・アフガニスタンとするか、ヨーロッパ・バルカンのセルビアとするか、それは、日本社会の市民主義傾斜と民族主義傾斜の分水嶺かも知れない。
総会終了後、上西充子法政大学教授による「国会パブリックビューイング」の活動に関するまことにチャーミングな報告があった。但し、ここでは「国会パブリックビューイング」なる社会政治批判の一新機軸について論じない。そこで紹介された安倍首相の考え方、すなわち労働法制を「岩盤規制」とみなし、岩盤にドリルで穴をあけ、裁量労働制を実現した安倍首相の言語感覚について一言したくなった。
「その、岩盤規制に穴をあけるにはですね、やはり内閣総理大臣が先頭に立たなければ穴はあかないわけでありますから、その考え方を変えるつもりはありません。」
新年号報道で周知された通り、安倍首相は、年号の典拠に漢籍よりも国書を重く見る考えの持ち主である。それなりに評価できる。そして「令和」は万葉集巻五から選ばれた。万葉集からの選択が出現したわけであるが、古事記、日本書紀、風土記からであっても、安倍首相は満足したであろう。
ところで、古い日本の国書で「岩盤」は、ドリルで穴を気軽にあけてもかまわないような存在であったであろうか。「いは」=岩は、磐や巌とも書く。日本書紀神代下第九段に「皇孫、乃ち天磐座(あまのいはくら)を離(おしはな)ち、…」とあるように天孫降臨の高天原における始点が磐(岩、巌)位である。次いで古事記神つ巻天孫降臨の条に「此地は韓国と向かひ、……、朝日の直刺す國、夕日の日照國なり。故、此地は甚吉き地と詔りたまひて、底つ石根(いはね)に宮柱ふとしり、高天の原に氷椽(ひぎ)たかしりて坐しき。」とあるように天孫降臨の葦原中国における終点である。ここに言う「底つ石根」とは岩盤そのものである。「底つ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷木たかしりて治めたまはば、…」は、大国主命の国譲りの条にもある。
日本の伝統に思いが深く、国書を愛する安倍首相が本物ならば、労働法制が並の規制ではなく、日本の経済社会・労働社会の岩盤=「底つ石根」に属する制度である事を知らされた時、軽々しく「穴をあける」とは言えなかったであろう。アメリカ発の資本主義的自由競争の論理は、伝統や日本へのこだわりを瞬時にふっとばす。
同様な出来事は、昭和の晩期、中曽根首相が東西冷戦において「日本列島を不沈空母にする」と高言した時にも見られた。ソ連から米国を防衛する航空母艦の役割を日本列島に担わせると日本国首相が米国に公約した。安倍首相と同じ位に日本の伝統に想いが深かったはずの中曽根首相は、その空母のど真ん中に天孫降臨の子孫の子孫の子孫を座占めてしまう事に全く無頓着であった。このことで立腹した保守人士はほとんどいなかった。
時の権力者が天皇の意思に無頓着に天皇を軍船にのせたのは、平家と安徳天皇以来の昭和の重大事件であろう。
中曽根首相と安倍首相の実例が示しているように、日本の保守、その実、資本と金銭の論理を最高原理とする人々は、グローバル資本主義が将来危機に落ち込み、民衆的・人民的支持を失いかけた時、天皇制に人間社会の最高不合理のみを見る人々(市民社会)に妥協・協力して、天皇制廃止と引き換えに資本主義延命をはかるであろう。この方向は百年前なら歴史的に意味あったろうが、将来では反動的か?! ブルジョア市民革命の21世紀における完成か、近代の挑戦に学び適応した古きものとの共生か。
私=岩田のトリアーデ体系論・三種節合経済論は、後者に親和する。
令和元年・2019年5月27日(月)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8684:190531〕
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