ファシズムからネオリベラリズムへ(3)研究会レジュメ
- 2019年 6月 17日
- スタディルーム
- 野上俊明
- ヨーロッパ議会選挙―緑の党・欧州自由連合大躍進
- ニュージーランド―数十年来の自殺率世界一返上に向けて。ドイツ「ターゲスツァィトゥング」5/30 ニュージーランド政府は予算のパラメータを完全に定義し直した。すべての政府支出は、それが5つの目標――精神的健康の改善、子供の貧困の減少、ヨーロッパ人と先住民マリオ族との間の社会的・経済的不平等との闘い、デジタル時代における国の繁栄、そして低排出の持続可能な未来への経済の転換――を達成するのに役立つかどうかで評価。世界で最初の幸福予算=精神疾患や風土性の貧困との闘いに数十億ドルを投入する。社会正義と環境保護を経済成長と同じレベルにすること。すべての住民が前向きな開発から恩恵を受けるわけではない―精神疾患に苦しむ人多いー生産性の制限や消費の減少という形で、これらは経済的にも現れる。325,000人 – 人口の約6.6パーセント – は、したがって、将来的には新しい全国規模の精神科サービスから恩恵を受けるだろう。学校からのより多くの財政的支援により、アーデン首相はまた、深刻な子供の貧困のサイクルを打破したいと考えている。ユニセフによると、ニュージーランドの子供たちの27%が日常生活に必要なものなしに生活せざるを得ない。4分ごとに、警察は家庭内暴力の事件に呼ばれる。精神疾患の決定的な社会的要因=住宅不足、子供の貧困、家族および性的暴力など。
- チリやイラクの例・・・アジェンデ政権打倒後の「シカゴ・ボーイズ」によるネオリベの実験、国家の介入の排除を言いつつ、必要とあれば強権発動や戦争も厭わない~イラク戦争の場合も同様。
- ワシントンは中国の「一帯一路=新シルクロード」を「略奪的な債務の罠」と呼んでいるし、新マーシャル計画と呼ぶ人もいるし、新植民地主義的略奪の形態と呼ぶ人もいる・・・旧社会主義国の場合、農民に土地所有権与えられていない~国家や共産党による土地収奪容易―――現代のEnclosure(commons共有地の私有化、民営化)、国外でも同じことをしている。
- この40年間、公的債務と民間債務の創出によって有効需要は拡大されてきた
- 消費財の回転期間の意図的短縮―耐用年数短縮・モデルチェンジ、販売広告による消費の回転期間加速
- 物的制限のないスペクタクル※ー情報・知識、イメージ、映像等の生産・消費へ向かう。
<はじめにー5・6月の外電から>
地域紛争の頻発や軍事的緊張、グローバルな自然環境の悪化、社会的格差と貧困化、人口動態の歪み、医療・教育・福祉の後退や欠乏、ポピュリズム政治の抬頭等に対する大衆的反撃の動きが。
6/9香港政府の「逃亡犯条例」改正案に反対する100万人デモ 日経・DW
♦ドイツ公共放送「ドイチェ・ヴェッレ」5/27――5月ヨーロッパ議会選挙―緑の党=前回2014年10.7%から倍増の20.5%で、CDUキリスト教民主同盟とCSUキリスト教社会同盟の連合に次ぐ成果、特に25歳以下の若者は34%獲得。60歳を超える有権者では、13%が緑の党に投票し、40%が連合に投票した。AfD も SPDも高齢層では支持高い。SPDも含め、コアな支持者の高齢化と死亡による減少が悩み。対してドイツの緑の党は、若者の政治化が進むなか、党内の世代交代に成功したこと、また気候保護を中心テーマとしたことが成功要因。
既成政党は若者との政治的コミュニケーションの仕方が悪い。大多数の政党では、ソーシャル・メディアの重要性を過小評価して誤った使い方をしている。ソーシャルネットワークは「プレス配信局」ではない、それは対話、参加、そして透明性が重要である。
総じて二大政党制度の安定性が揺らいでいる~より複雑な政府構成へ。CDUとSPDの存在は深刻に脅かされている。若者の心をつかまないと転落する。
♦AFP6/2 緑の党が27%で世論調査でトップへ。連合は26%、SPDは12%
Friday for Future 運動 環境運動のカリスマ Greta Thunberg aus Schweden(16)
♦フランスでは、ヨーロッパ・エコロジーの緑の党(EELV)が13.5%で3番目に大きい党となる。18~24歳の若者―25%、25~34歳ー28%、マクロンのRenaissanceもルぺンのRassemblement連合も支持少ない。18〜24歳のうち、12%がMacronに、15%がLe Penに投票。しかし2014年には、18〜34歳の30%が右翼過激派を支持して投票。若者がグリーンに期待したのは、理念というより行動を起こすこと。
♦フランスの革命的サンディカリズムの伝統受け継ぐ黄色いベスト運動。・・・しかもこうしたポピュリズム政治は世界を席巻している。最近では、燃料税値上げに端を発したフランスの「黄色いベスト運動」がまさにそれである。既成政党や労働組合とは一切関係をもたず、政府との交渉を拒絶した「怒れる民衆」の全国的蜂起は、マクロン政権の経済政策に大打撃を与えることになった。交渉を拒絶し、一切の妥協を許さない攻撃一辺倒の無責任(ノン・ガバナンス)な運動が、政府の政策を押しとどめるに至ったのである。(朝日新聞 論座 「山本太郎現象」を読み解く6/5)
◎問題点…総じて若者は環境問題、気候変動、生物多様性の問題に敏感。エコロジカルな諸関係を重視し、社会的公正をめざす。ただしシングル・イシューの問題性。二大政党制が揺らぎ、政治的カオス広がる可能性ある。参考:ちきゅう座「ドイツ通信第140号 EU議会選挙とヨーロッパ民主主義の復活への道」T・K生
★問題点…分配と社会的統合問題の緊急性。同時に新自由主義的な資本発展(開発)の軌道修正が不可欠―私有化、民営化、商業化という根本問題。
日本の場合/通り魔無差別殺人←―ひきこもり=就職氷河期(1993年から2005年)のロスジェネ世代の不安定雇用、若者のセーフティネットなき危機的状況、ポスト資本主義の展望なしの閉塞状況~68世代に責任ありや。
♦アメリカ青年層の反資本主義的傾向―2016年ハーバード大学世論調査―18~29歳のアメリカ人の51%が資本主義否定
♦令和のマッチポンプ―安倍政権「就職氷河期支援策」で非正規労働者を食い物に 日刊ゲンダイ6/5
氷河期世代計約1700万人のうち、非正規社員とフリーターは371万人で、世代全体の約22%を占める。そもそも、大勢の氷河期世代を不安定な就労環境に追い込んだのは、大規模な規制緩和を進めた小泉純一郎政権だ。当時、経済財政担当相だった竹中氏は小泉首相と二人三脚で04年に労働者派遣法を改定し、製造業への派遣を解禁。以来、非正規社員は増え続けた。
法大教授の上西充子氏―「政府の方針は、氷河期世代を『救う』というより、商売の道具にしているように見えます。過去には規制緩和で派遣労働者を増やし、一部の人材派遣会社に儲けさせ、今度は不安定な雇用環境に陥った人たちを『救う』という名目でビジネスチャンスをつくる。人材派遣会社に2度、儲けさせている格好です。そもそも、氷河期世代の非正規問題は08年のリーマン・ショック後に表面化しています。過去に対策を打てず、今さら『救う』というのは、あまりにも無反省でしょう」
東洋経済から:労働分配率を高め、「High road capitalism」=高生産性・高所得の経済モデルへ転換せよーデービッド・アトキンソン(元ゴールドマン・サックス アナリスト・ 小西美術工藝社社長)
Ⅱ.新自由主義とはなにか、その思想起源と本質
―デヴィッド・ハーヴェイ「新自由主義」(作品社2007年)を手がかりにー
1947年創設「モンペルラン協会」=ハイエクやフリードマン、ポパーらのオーストリア出身の亡命知識人―全体主義(ナチズム、スターリニズム)を嫌い、個人的自由と開かれた社会の理念を称揚。「計画化と管理は自由の否定、・・・自由企業と私的所有が自由の基礎だと宣言される」
K・ポパー「歴史主義の貧困」※=歴史の必然性を唱えるヘーゲルやマルクスの歴史観を「歴史法則主義」であり、全体主義の思想的起源であるとして批判。冷戦期の1950~60年代、マルクス陣営にとって最も手ごわい論敵であった。日本の紹介者―沢田允茂(のぶしげ)、市井三郎ら
※本書の献辞「歴史的命運という峻厳な法則を信じたファシストやコミュニストの犠牲となった、あらゆる信条、国籍、民族に属する無数の男女への追憶に捧ぐ」。ポパーの思想的意義は、従来マルクス主義のイデオロギーや方法論とされてきたものには、じつは中世的な思考様式(本質主義、実体論)がまじりあっていたことを論証したことであった。
ハイエクは自由とは言っても、民主主義とはけして言わない。私的所有や競争的市場に親和的な限りの自由であり、国家による規制や大衆的統制を思わせる民主主義の概念は徹底排除する。ハイエクにとっては共産主義、社会民主主義、ファシズム、総じて個人の自由を抑圧するという意味では同根とみる。ハイエク的自由は、「~からの自由」のみ意味するもの。実質的な自由をもたらすための社会的条件を整えることは、自由を殺すことになる。国家による介入や国家による計画は、権力の集中を不可避とし、結局個人の自由を制限することになるからだ。ケインズ的な国家介入にも反対する。個人的自由の領域へと国家が不必要な干渉。―――しのびよるナチズムや全体主義の脅威下において、「社会思想と政策の科学的・技術的な発展の歴史=「理性の濫用と凋落」と名付けたが、西欧科学技術のオール否定を唱道するハイデガーらとの親和性がみてとれる。
ところが歴史のアイロニーであるが、今や新自由主義は新たな抑圧体制の構築の主要な思想的源泉であり、新帝国主義的な対外政策を後押しするものとなった。市場原理主義は、ナチズムやスターリン主義といった集団主義の魔術から人々を解放すると謳いながら、ひとたび思想的なヘゲモニーを握るや、現代の魔術と化して人々に競争を強制し、社会的きずなを解体して諸個人をアトム化し市場法則の奴隷となした。むき出しの暴力や抑圧手段を用いずとも、市場のメカニズムとITなどのデジタル・テクノロジーによって大衆の心を操作し、コントロールする術を獲得しつつある。(「操られる民主主義―デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか」」J・バーレット 草思社 2018年)
デヴィッド・ハーヴェイの「新自由主義」(作品社 2007年)は、マルクス主義の資本蓄積論の視点からする新自由主義の歴史的・理論的解明を試みたきわめてすぐれた著書。新自由主義とは、ハーヴェイによれば、1930年代に遡る戦後の福祉国家政策における労働者階級への歴史的な譲歩から、資本の側の権力の奪回運動であり、資本主義の危機の打開と権力の奪回を一個にして二重の課題として遂行するもの。ハーヴェイは、日本はヨーロッパ型福祉国家とは違って、官僚主導の国家資本主義とする―したがって新自由主義は欧米に遅れて不徹底なかたちであらわれる。
<以下、大筋はハーヴェイ「新自由主義」による>
――新自由主義勃興の歴史的背景
①戦後復興期以後の高度経済成長「黄金の時代」終了、インフレと失業が同時に起きるスタグフレーションに先進各国悩まされる~平均利潤率低下傾向=収益性危機に直面
②生産様式の変化・・・大量生産・大量消費のフォードシステムが限界点へ。技術革新や労働生産性の向上によっても、成長率の悪化止められない。資本蓄積の危機から財政危機を招来し、福祉国家の危機招く。
――新自由主義とはなにか、その本質と新戦略
資本の蓄積危機(過剰蓄積)に際し、その危機を利用し―極端なかたちでは「ショック・ドクトリン」で、戦争,自然災害を含む大惨事を過激な市場主義経済への荒療治に利用するー、労働側への大幅な譲歩として成立した福祉国家システムに対し、資本側が権力を奪還すべく、労働者の力を抑え込み、公的資産の民営化、あらゆる産業分野での規制緩和、国内外にわたって金融の力の自由化図る
「資本蓄積のための条件を再構築し、経済エリートの権力を回復するための政治的プロジェクト、あるいは資本主義的社会秩序を脅かすものに対する潜在的対抗手段としての、そして資本主義の病理に対する解決策としての新自由主義」(P.32)
「新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内での個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約的に発揮されることによって人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論である」(同、P.10)
新自由主義の社会民主主義への思想的挑発=「社会などというものはない、あるのは男と女という個人(と家族)だけだ」(サッチャー)
――資本主義の新自由主義化
過剰蓄積の危機を打開すべく、国家の活動領域全体を福祉国家から資本蓄積の『供給側』のバックアップへ転換。60年代後半から70年代はじめの反体制運動―資本家階級にとっての脅威、彼らの巻き返しと権力回復の戦略練り上げ――→新自由主義へ。
生産過程における通常の拡大再生産による資本蓄積の行き詰まり、配当と利潤の低下、資産的価値の下落―生産的投資ではなく、投機による利益追求へと収益構造変化させたー大都市における不動産市場における投機による膨大な収益。
①前哨戦としてのニューヨークの財政危機―新自由主義的解決のモデル・ケースへ p.67
1970年代、ニューヨーク、脱工業化によって経済的基盤浸食うける~急速な郊外化~都市中心部のスラム化貧困化~周縁化された住民の社会的騒乱~都市危機へ~ニクソン政権補助金削減~財政危機~銀行の貸付拒否・債務返済繰り延べ拒否~市の実質倒産~救済措置=市の予算を引き継ぐ新諸機関~税収の債権者への返済優先~自治体労組の抑え込み(賃金凍結、雇用削減)、社会福祉削減、受益者負担の導入、市の物的・社会的インフラ放置――→労働者階級の敗北
新自由主義の導入―良好なビジネス環境の整備を優先~都市のジェントリフィケ―ション(中産階級化)、企業への助成金・優遇税制、公共資源のビジネス・インフラのため活用(電気通信)。市の中心部―観光名所としてのイメージアップ、新都市文化の形成。金融・法律・メディア関係の二次的サービスと消費主義による市の経済的再建。
②レーガノミクス=ニューヨークの経験の一般化。60年代までの社会的合意の破棄。1980年代―産業活動の地域移転(Rust Belt化)~脱産業化と金融化―情報テクノロジーの隆盛。 P.77
③サッチャー主義の勝利―-公的所有の経済セクタ-すべて民営化 p.82
サッチャーの経済顧問「経済と公共支出を引き締めることによる1980年代のインフレ抑制政策は、労働者を打ちのめす口実だった」 サッチャーの同意取り付け―公営住宅の私有化~労働者団結の後退・中産階級化。フォークランド紛争によるナショナリズムの利用。
イギリス文化の変容―経済の金融化と消費文化によって、伝統的な堅実なライフスタイルから虚飾文化へ。
<グラムシから学ぶハーヴェイの視点ー同意の形成> p.60
ハーヴェイの設問=人々はどうして格差社会の現実にかくも易々と黙従してきたのか?
グラムシのヘゲモニー論egemonia=知的道徳的影響力=強制と同意の統一
新自由主義の勝利―社会的公正より個人的自由を根源的なものとする。「’68の運動は、資本家階級の権力にとって脅威であった。そこで個人的自由の理想を乗っ取り、それを国家の介入主義や規制政策の対立物の転じることで、資本家階級は自分たちの地位を守り、ひいてはそれを回復することさえできると考えた」(p.64)―シンクタンク、大学、学校、マスメディア、出版、司法のあらゆる諸機関に膨大な資金をかけて攻勢に出る。特に反企業、反国家感情の巣窟である大学へ集中し、新しい政治哲学、経済政策の組織的形成を図る。
フレキシブルな専門化やフレックスタイム制などのレトリックに、労働側が取り込まれてしまう。
IMF、世界銀行、国連、ビジネス・スクール留学生すべて新自由主義に洗脳される。
—-→通常の搾取による資本蓄積から、「略奪による蓄積」へと比重移す。国内の社会改革(格差解消、再分配、教育改革等)によって過剰蓄積を内部的に解消するより、海外に過剰資本のはけ口を見出そうとする。日本や韓国は「金融資本を輸出するだけでなく、きわめて悪辣な労務管理方式を世界中の多国籍資本の下請けとして輸出してきた」(新帝国主義 p.122)
<略奪による蓄積の新しい様態>
ハーヴェイは、新自由主義を特に「略奪による蓄積」という無法状態を蔓延させたものとみているが、そうした様式を生んだ歴史的な時代条件をマクロ的視点で捉え返す。それは資本主義において、資本や市場の運動に枠をはめていた「社会的労働」が規制的原理としての役割を弱めたということである―経済的規制のみならず、労働規範という社会道徳的規制という意味をも持っていた<不労所得の忌避>。1971年のニクソンショックによりドルが不兌換紙幣化したことによってブレトンウッズ体制が崩壊。世界貨幣が金の裏付けを失ったこと、つまり基軸通貨としてのドルが社会的労働という経済実体から切り離され擬制紙幣化し、物理的な制約から自由になり無限に増殖できることになった。そのため世界経済は通貨危機、商業恐慌や金融恐慌の危険性を増大させた。
Nの補足―マルクス「経済学批判要綱」(貨幣と資本の章、ノートⅦ)-富の基礎としての社会的人間労働が、生産過程の技術的高度化によってその意義を弱めていくことを指摘している。つまり生産過程が科学・技術の意識的充用という性格を強めるに従い、直接的な人間労働の役割は薄れていく。そして人間は生産過程に直接介入するのではなく、それを監視し規制するregulatorとしての役割を負うことになる。人間労働の役割が減ずれば、当然価値生産の意義も低下する。資本主義生産の本質である価値生産という枠組みは、次第に生産性の高度化に適合しなくなる。それを裏返していえば、人間は富の生産の負荷から解放されて、自由な時間を享受しうる条件ができつつあるということであるーーしたがってAIは人間解放の技術的条件ともなりうる。しかし資本家階級はあくまで価値生産の減少や利潤率の低下に歯止めをかけるべく、近年中国、バングラ、ベトナム等にフロンティアを求めたように、未開発地域に新たな労働集約的セクターを開発したり、現在雇用中の労働力の搾取率を上げたりすることによって乗り切ろうとする。その乗り切り方法が、「略奪による蓄積」をより容易にするための「大規模な信用膨張」である。ドルの擬制貨幣化を奇貨として、長期的には持続不可能な―つまり必ずどこかで破綻する―信用と債務の膨張をつくり出す。―-マルクス信用制度は「すべての狂った形態の母」
※ひとつの問いー労働規範に影響されない将来の倫理体系とはいかなるものか。(N)
Ⅰ.知的財産所有権…自然の全面的な私有化と商品化―生物資源の略奪biocracy 世界の遺伝子資源を製薬企業が特許化して押さえ、モンサントやカーギルなどの穀物・種子メジャーが原種子押さえる。伝来農業の破壊とアグリビジネス。
Ⅱ.金融化(金権支配層の出現)1―投機的略奪スタイル、組織的株価操作、詐欺まがい投資、インフレによる資産破壊、M&A
ハーヴェイ「資本主義の終焉」P.234―急速な金融化によって、富に対する投資利益率が雇用利益率をはるかに凌ぐようになり、物質的生産者よりも投機家に報酬を与える。これにより資本は不確実、不安定になり、恐慌傾向が強まる。資本蓄積の主要裁定者が、現実の生産と関係がなくなると、社会的価値の生産とその実現の間に葛藤が生じる。・・・21世紀資本主義の網の中では、金利生活者、商人、メディア産業や通信産業の立役者、そして特に金融業者が、被雇用者からは言うまでもなく生産的な産業資本からも、その域血を冷酷に搾り取る。…この資本形態は、社会的労働の生産条件について無頓着であるばかりか、そもそも生産が行われているかどうかさえも気にしない。~ソフトバンク・孫正義の例
Ⅲ.危機管理操作―資産収奪デフレ―アジア危機の際のIMFの構造調整プログラム
Ⅳ.土地私有化―現代のエンクロージャー~アグリビジネス、鉱山開発、電源開発、大規模工業団地
Ⅴ.環境の悪化――アグリビジネス=熱帯雨林の破壊~気候変動と生物多様性の喪失 (一部省略)
Ⅵ.共有財産(社会インフラ)の囲い込みや解体・私有企業化――公営住宅、電信、運輸機関、水道
あるいは年金、福祉制度の民営化
♦生活世界の市場化・商品化――世帯内労働の市場基盤型取引(ファストフード、冷凍食品、クリーニング等)
「個人主義的で自己中心的な利潤拡大化の論理は、社会的共同生活の特徴としての相互扶助を・・・衰退させる」「福祉国家が解体されると、大量の有効需要が吹き飛ばされて、価値 実現の領域は縮小する…生産における資本の潜在的収益性の上昇と、有効需要不足に起因する潜在的収益性の低下との矛盾も激化する」(「終焉」P.251)
♦日常生活の金融化―日常生活のために債務の膨張←――顕示的消費conspicuous consumption(S・ヴェブレン)の拡大、依存効果dependent effect=欲望そのものが巨大企業の宣伝や販促活動に依存し、それに操られている(ガルブレイス)~カード社会=有効需要創出のための消費主義の蔓延(N)
※日経 6/10 中国「世界の工場」終焉?―米中貿易戦争で工場の海外移転加速化、ベトナムトップへ
<新自由主義的資本主義―無限の複利的成長は可能か>
「資本主義の終焉」P.305-ハーヴェイは資本主義の持続可能性(生き残りの可能性)について検討を加えている。最低条件=成長率3%、大多数の資本家が自己資本に対してプラスの利益率を確保できるライン(ゼロでは再投資の意欲殺ぐ)ーー物的インフラ、労働人口、消費規模、生産能力の幾何級数的(指数関数的)増大が必要―-→成長の制約条件
①人口動態と資本蓄積の乖離・・・人口動態のS字曲線=人口の急速な増大、2000年代末にピーク=120億人(現在76億人)~資本蓄積の複利的成長は、人口増大を当てにできない。ゼロ成長という定常状態が、資本主義でありえるかーありえない、資本の目的は利潤増大、社会全体の総産出量の増大が不可欠
②資本の活動領域の拡大―公共資産の民営化、コモンズ(水道、住宅、教育、医療、戦争等)の囲い込み、しかし1980~90年代で有効であったが、すでに伸び代少ない。
③消費活動の規模拡大
※フランスの思想家・活動家・映画作家ギー・ドゥボールによる1967年刊の著作。現代のメディア消費社会を「スペクタクル」という概念で捉え、批判する。スペクタクルの社会とは、マスメディアの発達とともに資本主義の形態が情報消費社会へと移行し、生活のすべてがメディア上の表象としてしか存在しなくなった状況を指す(Wikipedia)。
産業資本家ではなく、主役は金利生活者階級となる。賃借料や利子、使用料(レント)のために、投資活動行なう。しかしスペクタクルの生産には、膨大な量の物質的社会労働が含まれている。
④環境的負荷の蓄積
ハーヴェイは資本主義環境危機から資本主義の終焉を導くことに反対
その理由 a 資本は過去において生態学的な諸困難を解決してきた過去がある―汚染物質、生息環境の悪化
生物多様性の喪失、空気・水・土の質低下など
b 自然は搾取し尽くされているというが、実際には資本の流通と蓄積に内部化されている。たとえば技術として遺伝物質が取り込まれ、所有されたり特許を受けたりする。その意味で資本は機能し進化しつつある生態系。(対象化され部分化され商品形態化した自然)
c 資本が環境問題を「巨大ビジネス」に変えたこと。自然との物質代謝関係に対する工学的操作は、既存の現実的必要から相対的に自立した活動に転化するー新しい医薬品~実際の用途は後から発見。
d 環境災害も惨事便乗型資本にとって利潤の機会
<新自由主義に対抗する暫定戦略>
ハーヴェイはその著「ニューインペリアリズム」(青木書店 2005年)のなかで、新自由主義の搾取と略奪に対抗する改良的戦略の概要を提示している。
――唯一可能なのは、グローバルな広がりをもったある種の『ニューディール』を実施することだ。このことは、資本流通と蓄積の論理を新自由主義の鎖から解き放つことを意味する。それは、国家権力をより介入主義的で富の再分配を主眼とするあり方に改造し、金融資本の投機性を抑えて、市場の売り手寡占を改善し、国際貿易からメディア状況、つまり私たちが何を見、読み、聞くかを支配する独占状態をもたらしている巨大権力(とくに軍産複合体の不埒な影響力)を脱中心化し、或いは民主的にコントロールすることである。(p.208)
《D・ハーヴェイの提言》
ハーヴェイは、6,70年代型新旧左翼※は、新自由主義の新しい世界に適応することに失敗したとみている。
新自由主義世界の現状=反ユートピア的世界―不平等と貧困、人々の暮らしと人間の尊厳の破壊、ファシズム的洗脳操作、日常的な治安監視活動、公的私的暴力と警察的軍事的抑圧(チベット・新疆ウィイーグルはじめとして)
※日本左翼の弱点――1930年代の反ファシズム闘争を共有できなかったこと~統一戦線政策の思想が根付かなかった=セクト主義の宿痾=「新」左翼と言いつつ、凄惨な内ゲバ。社共も市民運動と手を結ぶ戦略を打ち出せず、ヘゲモニー主義による囲い込みの習癖を脱却できなかった―例、原水禁運動。
ホブズボームは、1930年代から第2次世界大戦にいたる反ファシズム統一戦線の時代を回顧して、マルクス主義陣営と非マルクス陣営との間で思想的な相互作用・相互浸透みられ、啓蒙や理性や進歩などといった共通基盤が再発見されたことを特筆すべきこととして挙げている。(N)
―新自由主義に対する対抗運動の構想―
『資本主義はひとりでに崩壊することはない。それは打倒されなければならない。資本蓄積はけっして停止することはない。それは止めなければならない。資本家階級は決してその権力を自ら進んで放棄したりはしない。それは奪い取らなければならない』「資本の謎」(作品社 2012年)
「このような運動が機能するためには、広範囲にわたって説得力のあるオルタナティブの構想がなくてはならない。集団的な政治主体性は、このオルタナティブに基づいて提携することができる」(「資本主義の終焉」p.349)
「極度の分裂状態にある多数の対抗運動が資本の支配に反抗する上で、どのようにして一つの統一的な連帯運動に収斂し提携するのか・・・。資本の力と対決しそれを克服したいと思うなら、集団的な政治主体が、いくつかの基本的諸概念を基軸として提携しなければならない」
「私が最適だと見出した概念が疎外alieantion/ Entfremdungである」(同 p.351)
<ハーヴェイの疎外論>
初期マルクスと資本論のマルクスとの間に断絶を設けるアルチュセール(や広松渉)に反対し、「革命的人間主義」の立場から統一すべき=多様な社会的要求や社会運動を包括する概念としての「疎外」
疎外現象の普遍性―交換価値の支配による使用価値の疎遠化~自然との乖離、労働の社会的価値の喪失(不可視化)、集団的決定の非民主化、社会的富の私有化と公共世界の貧困化、労働生産物からの疎外、分業による人格・人間性の細分化断片化、社会的公正や平等の展望喪失
←―――資本という経済エンジンが生み出す疎外として認識し、それと対決し、克服すること。そのためには疎外の起源を理解しなければならない。
<生産力の発展と労働の疎外>
「疎外論に関する伝統的観念―革命的移行は科学的で技術的な問題であって、主体的・心理的・政治的な問題ではない。・・・疎外は資本論の客観的科学によるものではなく、若きマルクスが『44年草稿』で表明した人間主義やユートピア的願望まがいの非科学的概念であったから」
「この科学主義的態度は・・・実行可能な人々の暮らしと尊厳を破壊という政治的想像力を捉えそこねた。この態度はまた、精神的に説得力のある主体的理由(科学的に必然的で客観的な理由ではない)を提供しなかったために、広大な反資本主義闘争の中に人々を動員することもできなかった。それは支配的な経済的・政治的理性の狂気に立ち向かうことさえできなかった(その理由のひとつには科学的共産主義が、この経済的理性を大いに尊重し、生産のための生産というその物神崇拝的な執着心を受け入れたからである)」※この箇所はスターリン主義の問題を扱っていると思われる。精神的心理的問題の軽視は、発達した資本主義国における文化道徳問題の重要性の見落としに通じる。また今日のGDP主義に通じる生産力中心史観は、アメリカに追いつくことを中心目標に置いたフルシチョフ・ドクトリンにまで一貫していた。レーニンの「社会主義=ソビエト+電化」というテーゼは、レーニンにあっては開発途上にある遅れたロシア社会の国家目標としての制約が自覚されていたが―ただしソビエト概念には労働者統制という下からの契機が含意されているー、スターリン主義においては党官僚制のもとにおける物質的な達成(特に重工業化)に貶められた。(N)
♦日本における主体性論にリンクした疎外論の限界は、ハーヴェイが指摘するところの新自由主義に取り込まれやすかった点にある。疎外論批判の急先鋒であった広松の物象化論は、主・客の二項図式―デカルト的近代的世界了解の枠組みーに準拠する実存主義的主体性論や個人主義的リベラリズムを乗り越えるものとして共同主観性概念を導入。そこでは人間は一定の構造を有する社会的諸関連の函数的項として何らかの機能を担うものとして捉えられている。それはK・マンハイムの「存在被拘束性 Seinsgebundenheit」概念にきわめて親和的であった。マンハイムによれば、認識とはそもそもが集合的認識過程であり、「そもそも始めから集団生活における一個の協働過程であり、その中に置かれた個人は、ある共通の運命、ある共通の活動、それに共通の困難の克服といった枠組みの中で活動する」とされている(「イデオロギーとユートピア」1929)。しかしマンハイムは、人間は自らの存在被拘束性を深く自覚し、それを構造認識として対象化することを通して、拘束性から脱却する可能性を得るものだとしている。理論的概念的に深められていないとはいえ、少なくともマンハイムには、後年「プラハの春」に属するチェコの哲学者K・コシークが批判した「社会性の囚われ」から脱しようとする視点は窺われた。それに反し、広松物象化論に感じる疑問は、物象化という商品世界ならびに資本主義の疎外構造に人間は埋め込まれたままになっており、そこから人間か自己を解放する契機を析出しえないということである。資本主義的構造を再生産しつつ、それを通して人間は構造の解体に通じる新しい関係を創造するという否定性の弁証法が、広松イズムには欠けているのではないか。詳しい理論的な展開は後日を期したい。(N)
イギリスの歴史家ホブズボーム(1917~2012)はその著「いかに世界を変革するか」のなかで、1960年代から70年代にかけて一世を風靡した、フランスのアルチュセール学派の構造主義的マルクス主義解釈に対する批判を行なっている。「アルチュセールがあたかもマルクス『資本論』を主に認識論の著作であるかのようにみなしており、「哲学は…実践に取って代ることさえあった。現実の世界の探求と分析は、世界の構造とメカニズムについての一般化された考察の背後に、あるいはそれどころか、そもそも現実世界はいかにして理解可能かといったなおいっそう一般的な研究の背後に退却してしまった」(同 P.474)として、その認識論主義的、科学主義的傾向を批判している。(N)
新自由主義の同意獲得上での勝利――68年に象徴される先進国の反体制運動が内包していた階級的な反国家主義が、1980年代以降には新自由主義的な反国家主義に反転した。新自由主義化にともない叢生した市民団体NGO,NPOには新自由主義に親和的なものもある。
これらを踏まえて、新しい変革主体の形成―ー階級概念の復活。「拡大再生産に基づく蓄積」における労働者階級の果たす役割の大きさ、と同時に「略奪による蓄積」における多様な運動との連帯連携の重要性。
♦合理的な社会的再生産(労働者の人格形成と階級権力の再構築―ーでは中国の階級権力とはなにか。共産党と官僚機構、新しい階級?反ユートピア的世界―ファシズム的洗脳操作、日常的な治安監視活動、周期的な軍事的抑圧(天安門事件、チベット、新疆ウイーグル問題)
<ハーヴェイの暴力論>
ハーヴェイは西欧人による暴力的な植民地支配から自らを解放するには暴力が不可欠だとするフランツ・ファノンの立場を支持する。ファノンは解放戦争を通じて被抑圧者は自らの尊厳を取り戻すというのであるが、そこには暴力の自己目的化は存在しないように思う。「アルジェの戦い」に於ける良心との葛藤―テロと戦争。そもそも暴力そのものが社会的な規制原理であったり、道徳的な原則であったりすることはありえない。したがって理念の裏付けと強い規律と自制のない暴力は必ず堕落し、自己破壊する。
ファノンの時代とのちがい。現在はテロリズムへの批判なくしては、暴力を論じられないのでは。さらに
自殺テロ現象については新たな考察が必要であろう。
♦ジグムント・バウマン「退行の時代を生きる」(青土社 2018)
暴力の自己目的化、というか無目的な暴力への傾斜=「暴力のもつ不健全な魅力は、自らの劣等性―弱さ、運のなさ、怠惰、とるに足りなさ―に由来する屈辱感から一時的に解放されることにある」(p.50)
「パレスチナ自治区の若者たちは、自分たちの将来を改善するために組織化することもしなければ、政府に協力することもない。そして連日、イスラエルにさまよいこんでは、兵士や妊婦を刺そうとして、撃たれたり逮捕されたりしている。彼らは、無意味で成功しそうにもないテロ行為のために自らの生命を投げ出している」
独歴史家マグヌス・ブレヒトケン 2017年4月6日 朝日新聞インタヴュー
「暴力は暴力的な言葉から始まる。政治的な立場や考えが異なる相手に対して個人的な攻撃や人格否定をすべきではない。他人への敬意をもち、合理的な方法で批判するのが基本原則です。この原則を超えた言葉遣いを認めてはならない。ドイツが技術と社会ともに発展したのはこのためだと私は思います」―-→ヘイトスピーチ阻止は第一関門。
※「日本における新自由主義」の項は、割愛。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔study1046:190617〕
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