テント日誌6月13日
- 2019年 6月 18日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
- 午後2時~ 第二部 一部終了後で午後8時まで
経産省前テントひろば1807日後
集中的な雨降りとなった一日だった 6月7日(金)
今年に入ってからあまり雨降りの金曜日はなかった。しかし、今日は今まで降らなかった分まとめて降ったようだ。朝、事務所を出るときから、小雨が降っていて今日は大雨を覚悟していたので、出発するときからカッパを着て行った。
雨のため、座り込みの参加者は少なめだったような気がした。また、時間の経過も長く感じた。それでも、レジェンドSさんやYさんなど常連のメンバーもそろい、闘病中のTさんもおいでになり用意した座椅子が満杯状態になった。
天気予報では夕方6時ごろが雨のピークであり、そのころが降り方も激しくなると言っていたが2時~3時頃にはバケツの水をひっくり返したような降り方をし、先が思いやられた。それというのも6時半から日比谷野音で「朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!」の集会があり、その時刻にこれ以上降ったら困るなあーと思ったからだ。しかし、それ以降は心配したほどは降らずに、小やみになって来たので良かった。
4時からの文科省前での抗議集会では、韓国から朝鮮学校支援のための訪問団が大挙して駆けつけた。教職員組合の人々が30人ぐらい、市民グループの人々が40人ぐらい。高校生や大学生も参加し、オモニや日本の支援者も多く、文科省前には人があふれんばかりであった。
韓国では日本の朝鮮学校のことは長い間知らされておらず、民主化以降その実態が明らかになり、朝鮮学校支援の輪が広がっているそうだ。また、韓国民の中には同じ民族の窮状を知らなかったことを恥じ入ることが多いそうだ。日本も過去の歴史に向き合い、侵略や植民地支配の過去の清算をすることで朝鮮半島の平和を構築していかねばならないだろう。(S・S)
雨の中、安倍は止めろ・原発は止めろとこだまする 6月7日(金)
一旦止んでいた雨が少し激しくなった頃、「座り込め、ここへ」の歌で経産省抗議行動を開始。座込みを続けている常連さんの発言とともに、久方登場のFさんから原発輸出が頓挫し原発は終っている、原子力規制を監視する市民の会のSさんから大山火山新知見でも大飯や高浜を止めない規制委、と糾弾の声。 「原発ゼロ基本法案」の国会審議を重ねて強く求める決起集会報告、審議入りしない経済産業委員会、衆参両院予算委員会の集中審議開催を拒否、都合が悪いことは議論しない国会。原子力緊急事態宣言下のオリンピック開催、東海第二審査に対する行政不服審査法に基づく審査請求の意見陳述引き伸ばし。 安倍は止めろ、経産省は原発止めろと訴えた。 (K.M)
今日はカミキリムシが膝の上にとまっていた 6月8日(土)
木曜日の猛暑、金曜日の雨と波乱に富んだ天気も今日は小康状態。午後遅くなってから日が差して暑くなってきたが日陰は快適で心配した雷雨もなかった。
膝の上にカミキリムシが止まって数分の間くつろいでいた。霞が関で見るのは初めてで今年は夏が早い。黒地に白い斑点が無数にあるその虫は初めて見る種類だった(ネットで調べたらルリボシカミキリ、学名rosalia batesi、rosalia は美しい女性という意味だそうだ)。突然思い出したように羽を拡げて飛び去って行った。今朝は品川区の埋め立て地で狸を目撃するし変な日だった。(O・O)
雨が降り始め早目の撤収、Sさんは間に合った 6月9日(日)
11時45分、S藤Tさんと自転車部隊お二人が幟を組み立てているところに着いた。椅子はすでに縛ってある。手早い。今日はメインメンバーであるF原さんが町会の会議、K村さんが憲法集会ということで、S藤Tさんが頼まれたそうだ。自転車部隊は11時半から待っていてくれたそうで、すごい!!!
記念写真の撮影を通行人にお願いすると、えらく楽しい方でした。2枚目は角度を変えて撮ろうとどっかと腰を下ろしたら、経産省の花壇にはまってしまって大笑い。
差し入れに頂いた唐揚げ棒をかじっているとタッチーさんが見えてチラシ類とカリーあられを差し入れ。自転車部隊はF原さんのおにぎりを楽しみにしていたが、時間が来てしまいコンサートに出発。入れ替わりでおにぎりとゆで卵の袋をぶら下げたF原さんが到着。惜しい!!!悔しがるF原さん。
O谷さんが傘を持って到着。タッチーさんが出発、RNさんが到着。ヨウカンさんがウクレレと共に到着。ヨウカンさんのウクレレでS藤Tさんが唄う「沖縄今こそ立ち上がろう」
O谷さん手作りのルバーブジャムを味見しようとF原さんが食パンを買いに出かけたが、道中のんびりゴミ拾いをしているらしく、1時間近く待たされた。
私が事務所に行って戻ってきてみるとM上さんが見えていた。一緒にルバーブジャムの味見。酸っぱくて美味い。来週も持ってきてくれるそうです。
霧雨が降ってきて、小雨に変わりだんだん強くなってきたので早めに切り上げることにして片付けを始めた。N瀬さんの友達のS井さんが見えたがN瀬さんはまだ。電話で連絡がついたので直接事務所に行ってもらうことに。
心配なのは、片付けをして切り上げようという時にまだレジェンドM子さんが見えていないこと。せっかく来て誰もいなかったらがっかりするだろうなあ、そりゃ、雨で早しまいしたってことはわかるだろうけど、と目を凝らすと、遥か丸ノ内線の方向に赤と白の服を着た小さな人影が!やった!間に合った!!!この時点で3:20か3:25ごろ。
M子さんをF原さんの車に乗せ、事務所に行ってN瀬さんの入れたコーヒーでまず一服。次は定番はしゆきの具沢山味噌汁、二杯目はラーメンを加えたピリ辛味、三杯目はご飯と卵を加えて雑炊。
作っている間も食べている間もM上さんを中心に話の切れるいとまもない。楽しい日曜日のいつもの風景でした。(はしゆき)
一日中降りやまない雨の中の座り込みだった 6月10日(月)
今日は強い雨降りが夜まで続くという予報なので、経産省前には余分なものは事務所に置いていくことにして厚手のカッパを着込んだので傘は要らないと思い持っていかなかった。これが災いして長袖シャツに雨水が染み透ってしまって体を冷やしてしまった。 経産省前に着いた時は雨も小降りで座り込み準備は順調に終えることができた。雨が強くなってきたが、どうということもなく、体に気を付けて頑張ってくださいという労働者の激励もあり元気付けられていた。
2時頃には正清・淵上御二人の偲ぶ会の御知らせと出欠のハガキを封入作業に参加するために来られたO谷さんが寄ってくださった。O谷さんが事務所に行かれた2時前から3時までは雨も小降りになりその間にレジェンド・Sさんも真っ赤なカッパを着込んで来られた。3時過ぎからは雨脚が強くなり、かつ風も突風が吹いてくるようになり最小人数での座り込みではしんどかった。
レジェンド・Sさん。上下の真っ赤なカッパを着込んできたまではよかったのであるがカッパのズボンを雨靴の中に入れていたので滴が雨靴の中に入ってしまい足が冷たくなっていき、かつ着てきたかっぱも薄かったので雨が上着に滲みて寒く感じられてきた。4時半頃に珍しく寒い寒いというので、明日もあるのだから風邪を引く前に帰った方がよいと言ったら素直に帰っていかれた。余程寒かったものと思われる。風邪など引かれなかったことを祈るばかりである。
余談。レジェンド・Sさんが帰られて間もなくいつも世話を焼いているKさんが来られた。いくら電話しても出ないので心配で来られたとのこと。事情を話したら安心されて我々に何時ものようにお菓子を差し入れされて帰っていかれた。残っていた我々も5時過ぎになってカッパを通して冷気が体に染み透ってきていたので5時半過ぎに撤収した。‘保)
関西から上京したIさんが寄られ話もはずんだ、6月12日(水)
雨が降りそうだったが降らなかった。よかった。 セットし終わるとすぐに関西からIさんが来られた。幟が見えたのでホッとしたそうだ。上京された最大の理由は、山本太郎を支援したいのだがどういう活動ができるのか知りたくて来たとのことだった。ピアノの個人コンサートをやっておられるので有名な人。少し座り込みをされたのち、山本太郎の議員事務所に行かれた。その後、四谷の選挙事務所に行かれたという。5時頃にテントのところに戻って来られて、座り込みをされた。
通りすがりの男性がカンパをしてくたて、頑張ってくださいと励ましの言葉。Kさんはいつものように規制庁での抗議行動の後来られて、演説。今日は砂川事件裁判国家賠償請求訴訟 第1回口頭弁論(東京地裁)の裁判があったのでKさんはそのことにもふれ、裁判というのも信用できないことを言っていた。Kさんの後にレジェンド斎藤が演説。原発を続けているのは愚かなことだと訴えられていた。
砂川裁判は103号法廷だったが満員で傍聴できなかった人が座り込みに参加してくれた。また、裁判の傍聴ができた人も終ってから報告会まで間があるようで、座り込みに参加された。バイクで通りがかった人が「反原発の旗が見えたので」と言われ、座り込みをしている写真をとって頑張ってくださいとカンパもしてくださる。Aさんが来られ、ピアノIさんと話が弾む。保っちゃんのパンは、新しく買い替えたパン焼き器で初めて焼いたパンだそうで、保っちゃんはうまく焼けたと満足げだった。実際おいしかった。(T・I)
いろいろの人が訪れる風景は定番というべきか 6月13日(木)
昨日のうすら寒い天気と違って今日はまた真夏の暑さ、 その上強い風が吹き日よけのパラソルが壊れてしまった。 Yさんが近くのホームセンターなどに問い合わせたが、置いてあるところがなく以前Tā さんが近くの店で買ってくれたのを思い出してお願いした。 日よけ、雨除けになくてはならない必需品なので急を要したのです。 幸い夕方までにTāさんが見つけてくれたとの知らせがあり一安心。 今日は常連の人が休みと言うことで心配したが、もんじゅ西村裁判の傍聴に行く前にOさんが寄ってくれ、STさんがセミナーに参加する前にパウンドケーキの差し入れをもってやって来て2時間近く座ってくれた。 Yさんが渕上・正清さんを偲ぶ集いの発送準備で中座したが、 2時頃には西村裁判を傍聴した何人かが来て座ってくれて助かった。 そしてたんぽぽ舎ボランティアのOさん英語の先生Iさんも座ってくれた。 久しぶりに車椅子のTさんも現れて途端に賑やかになった。 私は午後番の人が来た後テントを去ったが、その後また朝日新聞の記者が取材に来たそうだ。テントのこと色々聞いたようだが、どんな記事になるのだろう?ちょっと楽しみ(I.K)
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原子力ロビーによる放射線被曝の押付けを拒否しよう! その17
「原子力緊急事態宣言」下のオリンピック開催? ~緊急事態宣言を隠して、嘘と汚い金で招致したオリンピックを開催する安倍政権~ 2019年06月09日 木村雅英
2011年3月11日以降、今も「原子力緊急事態宣言」下にあることをどれだけの「国民」が知っているだろうか? 内閣府や首相官邸のサイトを見てもどこに書いてあるか分からない。6月4日に内閣府に問い合わせて次のことが分かった。
1 隠されている「原子力緊急事態宣言」 内閣総理大臣が議長である「原子力災害対策本部会議」のサイトに「宣言」がある。 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/genshiryoku/index.html 全49回の会議資料が載っているサイトの一番下の第1回会議資料(第1回 平成23年3月11日 議事概要 配布資料)の議事概要のファイルを開くと、その中に「○菅直人内閣総理大臣から東京電力(株)福島第一原子力発電所に係る原子力緊急事態宣言を発令。」とある。 日本政府HP内にこの議事概要のみが「原子力緊急事態宣言」発令中を示しているそうだ。このページには、第1回から第49回(本年4月5日)までの議事要旨と配付資料が一覧表のように掲載されている。誰が「原子力緊急事態宣言」を見つけることができるだろう。思わず、もっと分かりやすい場所に明示するようにと要望したら、いつもの「ご意見として承ります」の返事。
2 解除の見込みは無い 続いて、担当に「緊急事態宣言」の解除の見込みについて尋ねたところ、廃炉・除染などがありまだまだ解除できないとの返事。来年にオリンピックが開催されるが解除されないか?に対しても、担当はその見込みは無いとの回答。但し、決めるのは原子力災害対策本部会議の議長である内閣総理大臣と付け加える。
3 「原子力緊急事態宣言」の解除はできない 緊急事態宣言の解除について今中哲二さんが2018年8月9日付けで分析している。 http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/etc/kinkyujitai_memo18-8-9.pdf#search=’原子力緊急事態宣言+現在’ 原子力災害対策特別措置法の第15条を引用し、『避難指示といった応急対策の必要性がなくなったら総理大臣が緊急事態宣言を解除する』となる。それでも『帰還困難区域が残っている限り、原子力緊急事態宣言の解除は難しい』という認識を今中さんが示している。 最新の「原子力災害対策本部会議」(第49回)が本年4月5日に開催、議事要旨には<「大熊町における避難指示区域の解除について(案)」について、原子力災害対策本部として了承した。>とある。が、福島県サイトにも示されているように、今も大熊町・双葉町・浪江町の大半と葛尾村・南相馬市・飯館村の一部が「帰還困難区域」である。 安倍政権の横暴で「原子力緊急事態宣言」の解除を許してはならない。また、「原子力緊急事態宣言」下でオリンピックを開催することの愚かさを追求し続けよう。 一方、被曝疾病被害隠し、「放射線のホント」、「放射線副読本」、汚染土の再利用と拡散、汚染水たれ流し、「原子力緊急事態宣言」隠蔽…と続けられる、安倍政権のイチエフ事故・被曝被害隠しを許してはいけない。
6月14日・21日(金)経産省前抗議行動 17時~18時 官邸前抗議行動(首都圏反原連)は18時30分~
6月の月例祈祷会「死者の裁き」
日時:2019年6月19(水)午後3時より
場所:経産省前テントひろば
主催:日本祈祷団47士
6月19日安倍改憲NO! 6・19国会前行動
18時30から 衆院第二議員会館前中心 総がかり
淵上太郎・正清太一を偲ぶ集い
日程:2019年7月27日(土)
会場:YMCAアジア青少年センター
会費:4000円(ただし一部のみは1000円。二部のみ3000円)
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