ドイツ通信第141号 ブレーメン議会選挙――SPDの衰退と社会運動 ――労働と社会の辺境化――
- 2019年 6月 26日
- 評論・紹介・意見
- T・K生(ドイツ在住)
EU議会選挙と同日の5月26日に、ブレーメンでも市議会選挙が行われました。ここに見られるSPDの衰退過程から、政党の組織問題と社会運動の現状および将来の諸課題にテーマを絞っていくつか問題点を書いてみます。それはまた、極右派、右派ナショナリスト、ポピュリストの背景を説明づけることにもなるだろうと思われます。
ブレーメン(市)は、戦後73年間SPDが政権を維持してきた「自由ハンザ都市」で、ブレーマーハーフェン(市)の二市から成り立つ州議会の権限を有している町です。さらに、1973年に「ブレーメン緑の党選挙者名簿」(BGL)が設立され、続いて1979年には、最初の自然環境保護政党として、また2007年には同じく「左翼党」が議会進出を果たしている、いってみれば左派社会運動の拠点になってきた町です。
しかし、この間のSPDの衰退傾向は、選挙結果にはっきりとみられます。
CDU 26.7%(2005年比+4.2%)
SPD 24.9%(-7.9)
緑の党 17.1%(+2.3)
左翼党 11.3%(+1.8)
AfD 6.1%(+0.6)
FDP 5.9%(-0.7)
ここから政権の可能性は、SPD ― 緑の党―「左翼党」の三党連立になり、西ドイツで「左翼党」が初めて政権参加してくれば、連邦及び州レベルでの今後の政治地図が大きく変わっていくことが予想されます。CDU/CSU の不安はここにありますから、またぞろ干からびた〈反共キャンペーン〉を持ち出すことになります。
選挙結果に読み取れることは、産業・経済の構造変化、グローバル化、そして情報化社会のなかで利益取得者と利益損失者の区別が政党別に顕著に認められることです。
取得者がCDU、緑の党、FDPに、損失者がAfDと「左翼党」に代表されるという構造で、SPDはその中間にあって、元の固定支持者と基盤を失ってきています。ここに国民政党の終焉が、それは保革二大政党制度ですが、言われる背景があります。
別の言葉でいえば、現在のドイツおよびヨーロッパ社会は、人民の集結力をなくし分散化傾向を示しているということになるでしょう。
この点を、産業の構造変化から素描してみます。
戦後の産業・工業化の中でSPDは労働者階級を、それはまた市民のステータスでもありましたが、組織し、特に教育、職業訓練、労働権利、女性の権利を守り、獲得するために闘ってきました。この時代は、労働者家庭の子弟は親の後を継いで労働者に成長していくというような階級社会の伝統が残され、それを当然のこととして受け入れていく意識があったように思います。それによって技術とノー・ハウは産業の財産として蓄積され、後世に伝えられていきました。企業の強さと品質を保証します。
ブレーメンには、2万人以上が働く造船所があり、それを中心にした産業が、戦後社会の経済を支えます。ブレーメンは、北ドイツの輝かしい、最高の経済成長を遂げた町といわれるようになりました。
教育は、しかし労働者子弟に新しい職場機会の門を開くことになります。高等教育、技術教育を受けた子供たちは、親の伝統を離れて、グローバルな専門的でテクノロジーの分野に進出していきます。
手を汚し、汗水を流す仕事から、スマートな仕事に就くことになり、家族の伝統も政治意識も変わってきます。
それを決定的にしたのは、ブレーメンの歴史で見れば90年代半ばだったでしょう。造船会社の倒産です。2万人以上の従業員と、関連産業・工場の労働者は職場を失くし、それに代わって自動車産業(メルセデス)、航空機組み立て(エアバス)、ロボット産業が誘致されてきます。新しいテクノジーと技術開発です。
この産業誘致地区の再開発と比較して、元の労働者住居地域は忘れられた存在となり、社会紛争の温床になりました。戦後北ドイツで、「最高の経済成長を成し遂げた町が、同じく最高の失業者を生み出した」ことになります。
他方で、従来の重工業から情報・メディア産業への転換が華やかな街の中心部で進みます。この「技術革新(イノヴェーション)」分野では、トップの技術と知識を身につけた若い人たちが、高額の所得を確保して、彼らたちが街をさらに一層華やかにしていきます。
このへんの事情を簡単に表現すれば、ニコチンとアルコールの匂いがする退廃的なクナイぺ(飲み屋)が消え、カフェー、Bioの店が通りの軒を飾ることになります。私の偏見でしょうが、なかなか素直には入り難い店です。文化も様式も、そして振る舞い、話し言葉も異なります。
造船会社の失業した労働者のその後については、最早語られることはありません。経済の発展から置き去りにされているという意識が、労働者を捉えていきます。
それに、2015年からの難民が加わります。
先端の専門分野で外国人労働者を必要とすれば、貧困・低所得者地域では、外国人への反発が生まれてきました。
この二つの社会のなかで、従来、社会の階級間の絆役を果たしていた労働組合と政党SPDは、彼らの存在意義をなくしながら、しかし新しい役割を再発見できないできています。(注)
(注)「FR 」紙2019年4月29日 Matthias Koch署名記事より
「FR」紙2019年5月27日
結果は、廃れ行く住居地域でのAfDの高得票と、新開発地域での緑の党の躍進と表現できるのではないかと思われますが、しかし、それは一つの傾向でしかなく、それだけではすべてを説明したことにはならないでしょう。
戦後のドイツの労働(組合)運動の歴史を振り返ってみれば、といっても私の知る限りで全体を理解しているとはいい難いのですが、気になる点があります。
経済成長期の労働争議は資本に対する抵抗力を示し、大きな組織力を見せつけ、そして日本の労働運動への手本にもなっていると思われるのですが、しかし、90年代以降になると、解雇に対する闘争が、職場確保に、すなわち自己保身に向かっていったようです。
企業経営が収縮するにしたがって、この傾向は強められてきました。信じられないことですが、職場を守るために労働者は自分から賃上げを放棄し、あるいは場合によっては賃金の一部をさえも自主返上していくという、それがまた、センチメンタルなヒーロー化神話をつくり上げてきました。
果たしてそれで、労働者の職場が救助されたのかといえば、まったく逆に、その後、労働者の連帯と組合運動は解体されてしまいました。
実は、「黄色ベスト」の怒りはここにあります。このセンチメンタルな〈嘘〉を暴き、自分たちの声を上げたのが彼らの闘争であると、私は考えています。そのいい例が、以前に紹介した北フランスの自動車部品供給会社の労働争議でした。
同じことは、FFF(Friday for Future)についてもいえるはずです。
ドイツの労働組合運動とSPDは、この問題提起にこたえることなしに、将来の社会・政治運動を再構築することは不可能でしょう。
今日の問題は、しかし実践的に問われています。AfDと緑の党への票の流れは、以上から一の定説明がつけられます。しかし、これは「原発通信」編集部の質問でもありますが、〈なぜ、社会的公正、民主主義を声高に叫べば叫ぶほど、市民は既成政党、組織から離れていくのか〉という捩れた現象に答えたことにはならないでしょう。
新自由主義化の下で進む社会の現象を、ブレーメンを参考に表現してみれば、〈労働と社会の辺境化〉、辺境化を〈周辺化〉と置き換えてもいいのですが、いくつものグループに社会は分散化して、街の中央部に富が集中し、郊外・周辺に社会問題が集中していくという構造が見えてきます。そして、それぞれのグループは、従来の階級理論ではできない各自の共同意識を見つけようとします。それが、〈アイデンティティ議論〉に象徴され、右派、保守派は、復古主義的な伝統と文化を、時として宗教色をもって強調します。それに対抗する環境、そして新しい社会・労働様式が、リベラル派から提起されてきます。二極社会ではなく、こうして多種多様なグループが社会を構成して、対立・闘争が表面化してきているのが現状だとすれば、極右派、右派ナショナリスト、ポピュリズムに対抗できる社会の在り方が多面的に議論されなければなりません。
とりわけSPDにその政治的吸引力が欠けているのは明らかだとして、さらにここで大衆の心理的作用が考慮されなければならないでしょう。一つの社会層、階級を代表した政党SPD への政治的失望と絶望は、市民がそうした政党の役割を理解するとしても、(極)右派に投票する背景には、〈SPDに票を流したくない〉、自分たちと同じく〈SPDの没落を見たい〉という心理です。そこまで、従来の支持基盤はSPDに愛想をつかし、だから、問題の解決力を持ち合わせない(極)右派を承知で彼らに投票することになるのでしょう。
この現象を政治学者などの分析では、「反対票の流れ」と規定しているようですが、私にはそれだけではない、もっと深刻な要素があるように思えてなりません。それが、これを書いている動機です。
自分たちの苦境を正面から認識できず、置き去りにした政治家のアピールを信じることはできないのです。それは〈センチメンタルな嘘、虚言〉でしかないのです。人間的な信頼性は、ズタズタに断ち切られています。(極)右派に投票する、とりわけ元の労働者たちは、フランスの例でもそうでしたが、内面的、精神的な廃墟の姿をそうした政党世界に見るのでしょう。
ここまで書いてきて気づかされるのは、アメリカそしてドイツに共通して見られる炭鉱産業の没落と社会構造の変化です。インフラ、学校、住居、社会ネットワーク等が崩壊した後に見られる住民の日常生活のあり様です。
そう考えるとブレーメンの現象というのは、単に一つの町の出来事ではなく、目を一つの国全体に向ければそこにも同じ構造が見つけられ、また、視線を国際関係、とりわけEUに向ければ東―西、南―北関係に同様の課題があるのが理解されます。
Brexit、トランプ、極右派の台頭、そしてSPD等社会民主主義派の衰退、それに対抗する自然環境保護運動の広がりを、このような関連のなかで理解できるのではないかと思われますが、どうでしょうか。
こう書きながら痛恨な思いがしてならないのは、SPDと労働運動が150年近く教育、労働権利、社会公正のために闘い、その成果が現在、彼らの存在意義を直撃しているという矛盾です。
教育を例に取り上げてみます。教育の男女機会均等をSPD が主張し、獲得したのは1919年のワイマール共和国でした。労働者子弟も教育を受ける権利を獲得し、高等(大学)教育を受け、産業、技術の発展とともに彼らたちの職業の可能性は広がってきました。女性(の権利)についても同じです。しかし、それによって伝統的な階級意識と労働関係は変化し、彼らが現在ではSPDと労働運動の存在を揺るがしつつあります。〈痛恨〉というのはそういう意味です。自分が育てた将来の人材に、今では反発されているのです。この言ってみれば――ノスタルチックな表現になりますが――ヘーゲル的な矛盾の解決の糸口が、果してどこにあるのだろうかと考えさせられます。
以上、労働関係と戦線は多様化し、複雑化してきています。その問題を、次回に、ワイマール共和国の経験から考えてみます。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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