テント日誌6月25日
- 2019年 6月 27日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
- 午後2時~ 第二部 一部終了後で午後8時まで
経産省前テントひろば1807日後
福島原発事故被害者の痛ましすぎる現実を示す裁判 6月19日(水)
朝から暑いので水ポットを持っていく。今日は座り込み開始からしばらくは当番だけ。13時前に「原発避難者訴訟」をやっているKsさんがきて、今日は福島県都路村の原発被災者の人たち(あぶくま会)の裁判で本人尋問が行なわれている。傍聴人が少ないので傍聴に来てくれる人はいないかと訴えられた。Kさんはカンパまでしてくれた。それで、少しでも傍聴しようと当番の沖さんが818法廷に行く。さらに勝爺、Nさんが行く。Nさんは規制庁抗議をして後、経産省に抗議の演説をしてから出かけられた。
さらに今日は日本祈祷団「47士」による定例の祈祷会「死者の裁き」があった。経産省抗議の読経や安倍内閣批判から始まる社会全体や経産省の原発事故抗議の激しい演説、「うみつばめ」の歌などのパホーマンスと20名くらいで3時から4時まで展開された。最後に、テントから佐藤保さんが挨拶した。佐藤さんは都路村の原発被災裁判を傍聴してきた沖さんからの話を紹介して、脱原発闘争の重要性を訴えた。47士の皆さんからカンパをいただく。 裁判を傍聴してきたKさんも戻ってきて、再度経産省への抗議の演説を行い、やはり裁判の内容、被災者たちのせつなく過酷な惨状を伝えた。レジェンド斎藤も演説された。裁判の傍聴を呼びかけに来たKsさんたち関係者も報告会に向かう前に寄ってくれお互いに励まし合った。
次回裁判は7月3日(水)9時30分~17時まで。被災者の証人尋問。103号法廷。もっとも大きい法廷なので傍聴を是非。
■傍聴した沖さんからの報告 福島原発事故の被害を訴える裁判の傍聴応援のため、818法廷に向かいました。午後の最初の「本人尋問」の当事者、富岡さんは第一原発から22キロ程の村に60歳の時に土地を購入、移住して、夫婦とも村の暮らしに溶け込み、18年間平穏に暮らしていました。その暮らしを根底から覆したのが原発事故でした。 原告側代理人による尋問に続き、被告側代理人による尋問が始まりました。傍聴していても、わかりにくい質問があり、本人が「はっきり言ってください。」と注文を付ける場面もありました。又、非情とも感じられる質問もいくつかありました。一つは、妻に関わる事情です。村でパンを焼き、有機栽培で野菜作りを満喫していた妻が暮らしの急変もあり、東京に移住後脳出血で倒れ、以降定期的に医師の往診を受けることになったことに「注目」、”帰宅の条件”として本人が「放射能汚染のない事故以前と同じ状態」と答えると、「妻の病状も帰らない要因の一つか」と帰れというニュアンスで問い詰めた。富岡さんは「帰らない,のではなく、帰れないのだ。」とその心情を訴えました。 最後は、賠償金などにも触れ、本人に書類などを示しながら確認していましたが、傍聴席まで「500万円」とか「精神的賠償」など聞こえてきて、この場で確認する必要があるのか、ただ疑問に感じました。 今回改めて、福島原発事故被害者の痛ましすぎる現実に対峙して、責任回避にのみ固執する東京電力の醜悪さを垣間見た思いです。
「阿武隈会」の草野さんからのメールです。裁判の日程などの確認を
「阿武隈会」(都路村の被害者訴訟)の裁判について、草野さんからメールをもらいました。
高木さま
一昨日、経産省前で、お話しさせていただいた草野和美です。 心強い励ましのお言葉をいただき、会報に阿武隈会のお知らせを載せていただきたく、厚かましくもメールさせていただきました。 阿武隈会(あぶくま会)は、阿武隈高原の豊かな自然に懐かれた都路(みやこじ)町を、終の棲家と選び、家を建て、移住された方々が、国・東電を訴えている裁判です。小さな訴訟で、チラシもサイトもなく、原告だけが互いに応援しながら静かに期日を重ねてきましたが、今年になっていよいよ本人尋問に入り、次回期日からは、大きな103号法廷に場所が変更になるなど、原告だけでは到底傍聴席を埋められない事態にされてしまいました。なんとか、私たちの力で、この裁判を応援していきたいのです。
法廷では毎回、美しかった都路への想い、そこで重ねてきた穏やかな日々、そしてそれらが放射能汚染によって、ことごとく破壊されてしまった残酷な現実が、原告らの口から語られています。是非、その声に耳を傾けていただきたいのです。以下は、原告代表の佐野さんからのメッセージです。 阿武隈会訴訟は、関東から福島県田村市都路町旧屋内退避区域(20?30km圏)への移住者及び移住を考えていた人達30世帯が、国の国家賠償法に基づく責任と東電の民法709条の不法行為責任の確認と、原告らの『自然との共生生活喪失と放射能による財物全損害』につき、人間の尊厳を回復することを可能とする完全な損害賠償を実現するために、2014/3/10に東京地方裁判所に提訴したものです。
2月以来数人ずつの本人尋問が続いており今後の予定は下記の通りです。 7/3 東京地裁103号(100席)4原告尋問 9:30?17:00 7/24 〃 4原告尋問 〃 7/31 〃 4原告尋問 〃
8/31・9/16 東京地裁へ専門家尋問への反論書等提出期日 11/13東京地裁818号(56席) 最終弁論 13:30? 2020/3/25 東京地裁 中吉裁判長判決 次回の7月3日の期日で、奇跡を起こせるように、私も方々にお声をかけて(T・I)
テントがここに移ったのかと尋ねられた方あり 6月20日(木)
特段の事もなく、のどかな一日でしたが、前半の人と後半の人が交替して直ぐに、たんぽぽ舎ボランティアのOさんが玉ねぎのようなニンニクを持って来られました。それを割って皆に配られましたが、それは一片でも小さなジャガイモ位の大きさでありました。
その後だいぶ、ご高齢の女性の方が見えられてテントはここに移ったのですかと尋ねられましたので、実は1034日前に経産省より強制撤去日されて以来一日も休まずここに座り込んで、反原発の抗議行動を続けていますとお応えすると、カンパをして頂き1時間位座り込んで下さり帰りには、周りの人たちに渡しますからと言って、テントのチラシを5部程持って行かれました。
またバイクに乗って以前よりたまに寄って下さる女性のIさんや、レジェンドSさんもサポーターのKさんと、いつものように官邸前での抗議行動を終えてから座りこんでくれました。(Y・R)
Mさんから農園の収穫物をいただいた 6月21日(金)
今日は朝からむしむしする。雨は降りそうもないが日差しがきつそうだ。事務所に行くと暫くしてからM夫妻が大きなキャリーバッグを一つずつ持って・階段を上がってきた。昨日農園へ行って収穫をしてきたが、食べきれないのでテントの皆さんにと思って持ってきてくださったとのこと。経産省前に行ってから分けましょう、ということになり正門前に向かう。
郵政省の角を回ったところで、財務省前の道路に組合旗が林立しているのが目に入った。旗に書いてある文字を読むと全労連系の春闘の統一行動のようだ。それにしても規模が大きい。久しぶりに見る労働組合としての大規模行動だ。
正門前まで来て、みんなでセッテイングを素早くする。高級自転車の彼が久しぶりにやってきてセッテイングに参加する。イロハの女性4人私と自転車の彼とYさんの7人で座り込み開始。
昼食後早速、農園の収穫物を広げていただくことにする。大きな玉ねぎやジャガイモ、ニンニク。玉ねぎはどれも大粒でずっしりと重い。みんなで分けてもまだ沢山ある。夕方にやってくる人にもっていってもらうことにした。Mさんありがとう。
2時ごろ奈良県からいらした女性がやって来た。話を聞くと、福島県から避難してきた人たちの裁判支援をしているとのことだった。今日は私用で上京してきたが、気になるので立ち寄ったとのこと。以前にもテントがあるころ度々やってきているそうだ。おまけに多大なカンパをいただいた。感謝、感謝である。
郵便局に用事があり、Yaさんと二人で出かけ戻ってくるとき、全労連の国会請願デモ隊に出くわした。第五梯団くらいまであったので1500名ぐらいの規模だったようだ。年金問題について怒りの声を上げていた。
今日もやや風が強くパラソルが飛ばされることが、私が見ているだけで3回ほどあった。怪我人が出なくてよかったが気を付けなくてはいけない。私たちの座り込みは原発なくすまで続ける覚悟だ。頑張ろう!!(S・S)
盛り沢山の抗議行動 6月21日(金)
午後に参議院議員会館の政府交渉「原発の使用済燃料・乾式貯蔵・リラッキング問題」に参加、原子力委員会・資源エネルギー庁・原子力規制委員会が苦しい回答をしていた。核燃料サイクルが破綻しているのに原発9基も稼働して「核のゴミ」もプルトニウムも増やし続けている愚かなエネルギー政策を続けているからだ。エネ庁の若い担当者の、言葉だけは明解ではっきりとした回答が空しく響いた。
座込みに遅れて到着、いつも車で来てカンパしてくださる方と自衛隊問題等を話す。文科省前には多数の高校生・大学生が朝鮮学校差別反対を訴える。 5時からの抗議行動では、Inさんが院内集会報告、Saさんが経産省よいつまで抗議させるつもりか、Kuさんが核ゴミ問題、Hoさんが東海第二・安倍政権問題、Hyさんが峠の茶屋案内、Miさんが経産官僚に働きかけ、Siさんが朝鮮学校差別の歴史を振り返り、新人Yさんが反原発と多くの人の声を聴こう、Asさんが憲法と原発、Yaさんが大間行動アピール、仲裁和解案を拒絶して日本原電に資金支援しようとする東電糾弾…と、歌と抗議コールの間に沢山の人が怒りのスピーチをした。 (K.M)
6月23日は沖縄「慰霊の日」である 6月23日(土)
朝は雲の間に青空が見えたが11時になると小雨が降りだした。湿気を含んだ空気はどすんと重く、空気抵抗が増した感じさえする。経産省前に着くと雨は本降りになった。先週よりも気温が高いのがまだ救いだった。 降ったり止んだりの天気は夕方まで続いた。
そして片付けを始めると今までになく激しく振り出した。
誰が言ったか「雨の降る日は天気が悪い」。
〇6月23日は沖縄「慰霊の日」
米軍が記録した「震える少女」は私だと81歳の女性が名乗り出た。
言葉もない。この記事と映像をみてほしい。
琉球新報社 2019/06/23
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-941311.html
沖縄戦カラー映像1945年 第二次世界大戦
https://www.youtube.com/watch?v=77CB9FHzyig
3分で知る沖縄戦 琉球新報 yahooニュース
https://www.youtube.com/watch?v=mo_g6aBPIyQ
(O・O)
経産省前には藤原節男さん、自転車隊のEnさん、Suさん、かかしさんがなごやかなムードでなにやら話していた。Facebook用の写真を撮って座り込みだ。梅雨期の曇天で座り込みには良い天気だ。
Obさん、斎藤美智子さん、Hrさん、Trさんがみえて椅子が足りないぐらいだ。久しぶりに川崎の
のMnさん、沖縄辺野古に行っていたFkさんの顔がみれて嬉しい。そこへ一昨日の伊豆高原合宿で一緒だったSwさんが来て座り込んでくれたので感激だ。乱さん、三上さんが来て多人数の座り込みになった。皆さん話が尽きないようで4時の撤収時間はすぐきてしまった。来週はテント川柳句会がありますので皆様奮ってご参加ください。(S・K)
日米地位協定と欧州核国とアメリカとの協定の違い 6月25日(火)
きのうOeさんと交代したので今日、代わりに座り込みに参加しました。 事務所に着いて間もなく早番のYRさんが来たのでお任せした。経産省前に着いても椅子の並べ方なども全てやってもらったので楽であった。椅子を3個並べたのを2個作って大きなパラソルとのぼり旗をくくりつけるとバナーを取り付けても安定していて横風にも強いことがわかったので他の曜日でもこの方法を採用していきたいと思いました。
きょうの座り込みには10人ほどが参加してくれましたがほとんどが常連の人達であった。これは(月)(水)の担当者から見れば羨ましい限りである。その中には勿論レジェンド・Sさんも入っている。自宅から直行なので1時半に来られた。腰が痛いと言っていたが元気に新聞を読んでいた。
きょうの収穫は常連のIさんが持ってきてくれた、沖縄県主催で開かれた、日米地位協定についてのシンポジウムー欧州各国とアメリカが結んでいる地位協定の分析と日米地位協定との違い、というパンフレットであった。そこで明らかにされていたのはアベ政権と欧州各国との著しい姿勢の違いである。アベ政権はトランプの言うことを全て鵜呑みにして、日本の軍事大国化に突き進んでいるが、欧州各国は国民世論を後ろ楯にして、不平等な地位協定を自国に有利なように改訂させてきているのである。
先日もこれについて聞かれた官房長官の菅は、各国の事情が異なるのでコメントできない、と誤魔化していたが、欧州各国の経験が示しているように日米地位協定は改訂させることができるのである。ここで明らかになったことはアベ政権が如何に反国民・反沖縄県民的であることである。今日は風が強く荒れ気味であったが、その風が蒸し暑さを吹き飛ばしてくれました。明日もきょうのように梅雨の晴れ日だそうだがもう少し蒸し暑さがなくなるよう願っている。(保) 6月28日(金)経産省前抗議行動 17時~18時 官邸前抗議行動(首都圏反原連)は18時30分~
6月30日(日) 脱原発青空川柳句会が開かれます
場所:経産省前ひろば 時間:13時 選者:乱鬼龍
7月3日(水)抗議行動 止めよう東海第二原発 17時~17時45分
日本原電本店前 地下鉄銀座線末広町4番出口4分
7月3日(水) 第70回東電前抗議行動 18時30分~19時45分
東電本店前
◆淵上太郎・正清太一を偲ぶ集い◆
日程:2019年7月27日(土)
会場:YMCAアジア青少年センター
会費:4000円(ただし一部のみは1000円。二部のみ3000円)
現在、「偲ぶ集い」の実行委員会から案内状が出されています。この案内状
は私たちの手元にある住所のデーターでお送りしています。ただ、データーが古く返還の分も多く届いています。テントの集会等に参加したことのある方、また渕上・正清と知り合いの方で参加希望の方は連絡ください。
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