国会議事堂を知らないタクシー運転手 - 大丈夫か、五輪の交通対策 -
- 2019年 6月 28日
- 評論・紹介・意見
- 岩垂 弘
タクシーに乗ることはまれだが、先日、急ぎの用があってタクシーに乗った。行き先は国会議事堂南通用門だったが、運転手は国会議事堂を知らなかった。このため、現地に着くまでに時間がかかってしまったが、都内を流しているタクシーの運転手に国会議事堂を知らない人がいると知って驚いた。来年は、東京オリンピックとあって内外の多数の人たちが東京にやってくる。その人たちの足となるタクシー側の受け入れ態勢は大丈夫だろうか。
大雨に見舞われた6月15日午後4時50分、東京都豊島区のJR山手線大塚駅南口前の交差点でタクシーを拾った。同乗者は友人2人。運転手は人の良さそうな小柄な高齢者だった。
乗車すると、運転手に「国会議事堂の南通用門まで」と告げた。この日午後5時ごろから、そこで、市民グループ「声なき声の会」による故樺美智子さん(1960年6月15日に行われた国会周辺の反安保デモで死亡した東大生)への追悼献花が予定されていたので、私たちはそれに参加しようと、タクシーを拾ったのだった。
ところが、運転手から返ってきた言葉は「どこの議事堂ですか」だった。ここは、外国ではない。国会議事堂と言えば、わが国の国会議事堂と決まっている。都内で一番知られた場所といってよい。それだけに、あまりもの予想外の返事に私は面食らってしまい、すぐ言葉が出てこない。「日本の国会議事堂ですよ」という言葉が出かかったが、それは失礼になるな、と思って「首相官邸の近くです」と告げた。
すると、運転手から返ってきたのは「首相官邸がどこか知らない」だった。そして、こう付け加えた。「国会議事堂の住所を教えてください」。運転手が、運転席に設置されているカーナビに手を伸ばしたので、「なるほど、この運転手はカーナビが頼りなんだな」と納得がいった。
が、それからが大変だった。私が「千代田区だと思う」と告げると、運転手は「東京都ですね」と念を押してきた。「そうです」と答えると、彼は車を走らせながらカーナビに「東京都千代田区」と入力し、その上で「町の名前を言って下さい」と聞いてきた。私が、「平河町だったかな、それとも永田町かな」と迷っていると、見かねた、隣に座っていた友人がスマホを取り出し、それで国会議事堂の所在地を調べ、「永田町ですね」と加勢してくれた。それを入力した運転手は、さらにたたみ込んできた。「番地は?」。友人がまたスマホで検索し「1丁目7番1号」と叫ぶと、運転手はそれをカーナビに打ち込んだ。
ホッとして窓外に目をやると、タクシーは靖国神社近くまできていた。
タクシーは議事堂わきの憲政記念館の近くで止まった。「南通用門がどこなのか知らないので、これ以上ゆけない」という。やむなく、私たちはタクシーを降り、歩いて南通用門へ向かった。着いたのは午後5時25分。すでに献花は終わっていて、人影はなかった。私たちは持参の生花を門柱に立てかけて黙祷した。もう少し早く着いておれば、声なき声の会の人たちに合流できたかもしれない、と思いながら。
私にはタクシーをよく利用した時代がある。1990年代までだ。そのころは、都内でタクシーを拾って、行く先の町名か主要な建造物、施設の名前を告げれば、最短距離でそこまで送ってくれた。国会議事堂や首相官邸を知らない運転手はまずいなかった。
そのころ、ある運転手から、こう聞かされたことがある。「タクシー会社に採用されると、実際に街に出て客を拾う前に、まず、実務研修があり、主要な町名や名所、有名な建物の所在地を徹底的に覚えさせられたものです」。当時としては、タクシー運転手が仕事を始めるにあたっては、こうした教育期間が当然のこととして設けられていたということだろう。
最近は、バス会社やタクシー会社で運転手の不足が深刻化し、運転手の確保に追われていると、よく耳にする。そういえば、「運転手募集」の広告をよく目にする。そうした現状では、採用した運転手に十分な実務研修を施す余裕がなく、運転手をすぐに現場へ出さざるを得ない、ということがあるのかもしれない。
私たちが利用したタクシーは、都内に本社をもつタクシー会社の車だった。降り際、友人が「運転手さん、都内の町名や有名な建物の所在地をもっと勉強してよ」と話しかけると、彼は「そんなこと言われてもね。なぜって、間もなくこの会社を辞めるんだから」と言い残して走り去った。
これからは、昔のように、タクシーに乗って行く先を告げたら、眠っていてもそこにゆけることを望むのは無理ということだろうか。オリンピックで東京にやってきた人たちがタクシーに乗って戸惑うことがないよう願わずにはいられない。
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