2019.ドイツ便り(5)<ライプチッヒに小林敏明さんを訪ねる>
- 2019年 7月 15日
- カルチャー
- 合澤 清
6日の朝一番のバスで、と言ってもここでは始発が7時14分(特に土曜日のせいもある)、ゲッティンゲン駅まで行く。ここを走るのは、唯一DB(ドイツ鉄道)のバスだけ、当然手持ちの「ジャーマン・レイルパス」は使える。
バス代を含めて、交通費は馬鹿にならない。ここからゲッティンゲンまでのバス代は、片道で6ユーロ近くかかる。往復12ユーロの二人分で24ユーロ。居酒屋で二人で飲食するのに近いぐらいの出費である。
ドイツでも日本と同じく、地方のバス代は割高である。利用客が少ないせいもあるのだろうが、シュレーダー時代の「民営化」の影響ではないかと疑っている。
電車賃も高いが、こちらにはいろんな形での割引料金サービスが付いているため、各駅停車でゆっくり行くつもりなら安い料金で遠距離旅行も可能である。
この点は、日本で遠距離用の普通列車が次々に廃止されて、新幹線利用に切り替えられている現状(中曽根「民営化」路線以来)と対照的である。恐らく利用者の意識が日本に比べてドイツの方が高いせいであろうと思われる。
小林さんは細やかな気配りをする人で、前もって、何時のどの電車に乗り、どこで乗り換えると一番早く着くからという指示も頂いていた。
それに従って、8:08発の普通電車に乗り、1時間40分ほどかけてエアフルト駅に着いた。
いつも不便に思うのは乗り換え時間が中途半端な長さであることだ。そのため、街の見物がほとんどできない。今回も約40分程度だったので、有名なドームまではとても行けない。仕方なく駅周辺をぶらぶらしていたら、小林さんから電話が入ってきた。
今、どこにいるかの確認と、指示通りに10:28エアフルト発のICEに乗れば、予定通り11:10にはライプチッヒに着くから、ホームに出迎えに行く。ネットで調べた限りでは遅れはなさそうだ、という内容だった。
ドイツを始めて旅する旅行者でも、これだけ懇切丁寧な案内があれば、安心だろう。
ICEの座席は(日本の新幹線同様に)予約席が多くて、空いていると思って座っていると「そこは私達が予約している席です」と言われて立たなければならなくなる。しかもその表示が慣れないと分かりづらい(座席シートの背もたれ部にあったり、上の荷物棚の方にあったりするせいだが)。大きなトランクを抱えて、狭い通路を右往左往するのは大変な重労働である。
幸いこの日は、ゆっくりと座って目的地まで行くことが出来た。
ドイツは切符(入場券)など買わずに、自由にプラットホームに出入りできるため、日本の様に改札口で待ち合わせる必要はない。ヨーロッパ一本数が多いと言われるここライプチッヒのプラットホームでの待ち合わせも、なんなく出来る。
ホテルのチェックインが3時からであるため、ひと先ず彼のアパート(マンション)に行き荷物を置こうということになった。
彼が住んでいるのは駅から徒歩5分程のところにある立派な建物の7階(?)、綺麗に片づけられた部屋であった。ここからだと駅に近いのと、彼が勤務していた大学(彼は元ライプチッヒ大学教授)にも徒歩で10~15分程度の至近距離である。
ここで日本から持って来たという「焙じ茶」をご馳走になり、くつろいだところで、少し旧市街を案内してもらうことになった。
もうずいぶん前になるが、竹村喜一郎さん(筑波大学名誉教授)に連れられてきた頃の街は、お世辞にも綺麗とはいえなかった。東西ドイツを隔てた壁は壊されてはいたが、旧東ドイツの面影を色濃く残した薄汚れた建物とところどころに残る原っぱ、新旧のマルクト(市場)には戦後の闇市の様な印象(ひょっとすれば、後から勝手に思い描いたものかもしれないが)をうけた。
それが、3~4年前からイエナからハレに行く途中に、毎回ちょっと降りて、ほんの数時間だけではあるがこの町を散歩するようになった。随分変わったな、と思った。
古い立派な建築物、屋根や壁に残された彫像をきちんと保存しながら、町全体が垢抜けて明るくなっている。小林さんの話では、ここは昔から交通の要路(ドイツと東欧諸国を結ぶ)として栄えたため、こういう立派な建物が多くあるのだという。
ライプチッヒ大学は、ドイツではハイデルベルク大学に次いで二番目に古い大学で、かつて若かりしゲーテが学んだところでもある。序でだが、『詩と真実』によれば、ゲーテはゲッティンゲン大学志望だったようだが、父親の説得で、ここに来たと書いている。
彼の家からすぐのところに、有名なニコライ教会がある。1989年のミサから始まった「月曜デモ」がどんどん膨らんで、壁の崩壊にまで至ったことは広く知られる。
大学の付属教会は、今は近代的な建造物としてそびえたっているが、かつては壁面に巨大な「マルクスとエンゲルス」のレリーフが取りつけられた古めかしい半壊の建物であったそうだ。
小林さんが教えていた「日本語学科」が入る建物の前も通り過ぎ、J.S.バッハが専属で演奏していたトマス教会の中を見物(意外に狭い)、物理学者のハイゼンベルク(彼はここの大学で教鞭をとっていいた)などが通っていたという伝統ある喫茶店(何故か今は閉店)、また飲食店街(新宿のゴールデン街ほど大きくはない)を徘徊して、新市庁舎前の広場に行く。
ここが「ワインフェスト」の会場で、各地のワインなどを専門とする屋台がいくつも立てられ、真昼間から既に日傘の下で暑さを避けながらワインを飲んでいる幾組もの人たちがいた。夕方の8時ともなれば、ここは人であふれるだろうという。
最近彼は、少々体調不良で、このところアルコールはほとんど飲んでいないというが、この日はわれわれに付きあって、フランケンワインをほんの少し口にすることになった。
もちろん、こんな程度ですむ訳はなく、続きは夕方の6時頃から彼の部屋でやろうということになり、われわれもホテルに一端チェックインすることになった。大江健三郎が泊まったという立派なホテルを予約して頂き、恐縮にも彼に負担させてしまった。
トマス教会前のJ.S.バッハ像 新市庁舎とワイン売りの屋台
市内のコーヒーショップ・窓の右手上には花魁が描かれている
<小林さんの話から-ドイツの現状>
その夕、小林さんのマンションの部屋で、彼の手料理とワインをご馳走になりながら、色々と興味深い話を聞かせて頂いた。ここではその内のほんの少しだけご紹介させていただく。
ドイツでは、ベルリンだけではなく、各地で若者が中心になって環境問題などでの街頭行動、集会などが盛んに行われている(ベルリンでは「われわれの未来を破壊するな」というテーマ)。毎週「金曜日の会」として定例化している。
そして、ここにはかなり多くの高校生などが授業を休んで参加しているという。その結果、彼らを欠席扱いせずにこの日を休暇にしたらどうかという意見が校内で持ち上がり、一部の学校では実際にそういう動きすら出始めている。
日本の若者と比べて、何という違いであろうか。どうして日本では若者がもっと考え、立ち上がろうとしないのか。どうして現状維持の保守化に埋もれてしまっているのか。この無気力な若者たちを何とか出来ないのだろうか、これがこの日の一番の話題であり、彼のいらだちであった。
彼によれば、今ドイツ国籍を取るかどうかで悩んでいるのだが、日本の現状のあまりの不甲斐なさを考えるとき、このままドイツに残りたくなる、という。
安倍晋三、麻生太郎らにいいなりに引っ張られて、その長期政権を許し、いよいよアメリカの属国化しているのが日本という国であるとすれば、ドイツの現状には、少なくとも若者の間で、そうはならないという動きが顕著に見られるという。
例えば、「政党支持率」を見るとどうなっているか。
トップは「グリューン」(緑の党)で、27%を占めている。この政党を構成する層は多様ではある。かつてのドイツ新左翼(いわば「全共闘」)のメンバーも内部の主要な層を構成している。
2位が、現政権与党(CDU/CSU)で、26%
メルケル首相への評価も、彼女は民主主義派(左派)だという噂さえある。また、この度EU委員会委員長に指名されたライエンドイツ国防相(女性)は、明らかに民主主義派だろうという。
3位が、かろうじてSPD(ドイツ社民党)で12%、4位には右翼のAfD(ドイツの選択党)が11%で入り、Linke(左翼党)は、内部混乱が災いして低迷している。
こういうのがドイツの政党勢力の現況地図である。
小林さんとはもっといろんな話を、夜遅くまでした。しかし共通するのは、先ほども述べた、日本の若者たちを奮起させるためには何が必要であろうか、という点にあった。
翌朝も、喫茶店でコーヒーを飲みながら、お昼まで、再び同様な話を続けた。彼は今秋、一度帰国するつもりだという。母国に失望しないよう、われわれとしても何とか頑張りたいものと思う。
午後の電車で、ゴータとイエナに向かう。イエナに一泊し、カッセルへ行き、T・K生さんと会う。この報告は次回にしたいと思う。
2019.7.14 記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔culture0828:190715〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。