議論のつづきー社会に埋め込まれた暴力
- 2019年 7月 15日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマー野上俊明
先の拙稿で一面でのミャンマー人のやさしさと併存する社会に深く埋め込まれた暴力を指摘しました。ただ正直、部外者にとってはどういうことかあまり実感が湧かないかもしれません。ところが不幸なことに、その実例となる事案がミャンマーでトピックスとなっています。
7/12付イラワジ紙によれば、頻発する婦女子レイプの極め付けというべき事件が5月16日、首都ネイピードウで発生しました。今月に入っても事件の真相が解明されないことに怒った市民が、ヤンゴンやマンダレーなどの主要都市で連携して抗議行動に立ちあがったといいます。ヴィクトリア・レイプ事件と名付けられたこの事件の被害者が、3歳未満の幼児だったらしいこと、どうも事件の発生現場が保育施設だったらしいこと、犯人がまだ特定されないこと、日ごろ「法の支配」を強調するNLD政権の所在地である首都ネイピードウでの事件だったこと等々、警察や検察の、またスーチー政権の怠慢をそしる声が高まっているといいます。
内務省の報告によれば、顕在化したものだけで2017年には1,405件の強姦事件があり、そのうち897件は子供が被害者であり、2018年には1,584件中1,028件が子供に対するものだったといいます。すでにずいぶん以前から幼児児童に対するレイプ事件の急増は指摘されていました。文民政府に変わってから、地方からヤンゴンへの人口流入が続き、そのためヤンゴン市は未曾有の通勤ラッシュとなって、郊外スラム地区から都心部へ向かう勤労者は、ひどい時には通勤に往復2~3時間を要するようになったといいます。当初ヤンゴン地方政府が効果的な交通規制を行なわなかったこともあり、破局の限度まで近づいていました。郊外に住む貧しい勤労者の多くは夫婦共稼ぎがふつうであり、そのため日中は長屋で多くの子供たちは無防備にも放っておかれることになりました。ヤンゴンでは地場の産業がほとんど育っていませんから、人口流入は失業者や半失業者の増加を意味します。かくて将来に希望の持てない若者が昼日中多く地域に残って徘徊することになります。ミャンマーでは保育園や学童保育などの施設は皆無に等しいので、親の不在を意味する通勤時間の延長は、子供たちのリスクを倍加することになりました。
その後ヤンゴンの通勤地獄は、通勤バスの大量導入によっていくらかは改善したのでしょう。しかし子供へのレイプが相変わらず頻発していることは、状況の改善が必ずしも思わしくないことを示唆しています。「法の支配」はスーチー氏の18番だったのですが、今ではそれは政権獲得のためのマントラにすぎなかったと言わざるを得ません。実効性のある手立て、政策についてはたいてい無作為に等しいのですから。
この問題は、スーチー政権のある種の体質を暴露する事例ですので、少し立ち入って考えてみましょう。
まず、スーチー政権は民主化運動の結果として生まれた政府にもかかわらず、政治問題化を避ける傾向が非常に強いのです。その理由には、なるほど種々の社会的問題を政治課題として定式化し、政策として解決を図るには、手間がかかることもあるでしょう。しかし一番の理由は、深刻な社会問題の根源には国軍やそのクロニー(政商)の利害・利権が絡んでおり、問題の抜本的な解決を図ろうとすれば、既成勢力と真正面から対決せざるを得ないという構図があるからです。
レイプ問題にしても、警察、検察・裁判所含め司法を実質上牛耳っているのは国軍・内務省です。民を代表するのであれば、スーチー政府は、ヴィクトリア・レイプ事件の関係当局の怠慢を叱咤し、解決への圧力をかけるべきなのですが、はっきり言って無為無策です。国軍との軋轢は避けたい、これがすべての判断に優先するのですから、事態の改善は望めません。
NLDは選挙公約の2008年憲法の改正を果たすべく、一応議会に改正のための委員会を設置していますが、実質的な進展はゼロです。2020年の総選挙の手前、やる振りをしているとしか言いようがありません。憲法改正のような大事業は、民主化勢力をあらゆる分野で拡大強化して国軍勢力との力関係を変えるという日々の努力の積み重ねなしには達成しえません。残念ながらスーチー政権はそういう発想すらもっていません。密室で協議し決定するという政治スタイルは、軍政時代と変わりありません。いや軍人上がりのテインセイン前大統領ですら、F・ルーズベルト大統領に倣ってか、ラジオの「炉辺談話」を通じて定期的に国民に語りかけました。スーチー氏は国民の声に耳を傾ける振りすらしない、NLD政権の劣化は目を覆うばかりです。ハンガリーにまで出かけて行って反ムスリムの共同声明を出す暇があるのなら、もっと足元のことを解決しろと言いたくなります。
ヤンゴンの通勤地獄のことですが、ここでもNLDの地方政府は政治問題化を避けて、技術で解決しようとしています。ヤンゴンの通勤ラッシュの主要な原因は、公共交通のシステムが整っていないことですが、その整備を妨げているのが中間層や富裕層の自家用車での都心部への乗り入れです。ちなみにこの国ではベンツではなくトヨタ車の所有が、ステータス・シンボルです。ところがNLD政府は自家用車の規制を全く行おうとはしません―例えば、偶数・奇数ナンバーによる乗り入れ規制。それは中間層や富裕層の利益を損ねることになるからです。また自家用車による有名高校への越境通学の集中乗り入れも、交通渋滞の原因です。この規制もまた中間層や富裕層のご機嫌を損ねることになるでしょう。その結果、中国製の通勤バスの大量導入によって交通システムを整備したのですが、交通量の総量規制を回避した技術的な改善だけに抜本的解決には至っていません。
この件、日本の援助の在り方にも一石を投じています。日本はヤンゴンの交通渋滞の解決策として、主要道路の立体交差化を援助提案、実行しました。しかし日本の経験からも中途半端な道路整備はかえって車を呼び込んで、渋滞解決にはならないことは証明済みでした。案の定、立体交差化の効果はほんのわずかな期間で、その後かえって渋滞はひどくなりました。得をしたのは立体交差化の設計、施工、資材提供をした日本の某ゼネコン系列の企業だけだったのです。それはまさしく自国のために他国への援助を行なうというひと昔まえのODAの再現でした。ヤンゴンNLD政府のどこまでも市民生活を守るという気概のなさと自主性のなさと、ドナー(援助国)の見せかけの支援が悪い具合に釣り合っているのです。ヤンゴン市の都市計画の将来像こそ、ミャンマー国民の将来の在り方を決定するものです。現状は大ヤンゴン市構想と称して、中国や日本や韓国が競い合いおためごかしで―自国の過剰資本対策と経済的覇権のためー過度な一極集中の計画をミャンマーに飲ませようとしているように見えて仕方ありません。
交通渋滞と幼児への性暴力の横行の話、風が吹けば桶屋が儲かるということわざめいて聞こえるかもしれませんが、ヤンゴンでは人間の危機を象徴する話なのです。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8814:190715〕
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