司法の門を狭めた、現役自衛官の戦争法違憲訴訟最高裁判決
- 2019年 7月 27日
- 評論・紹介・意見
- 司法制度澤藤統一郎
7月22日(月)、注目の最高裁判決(第一小法廷)が言い渡された。現役自衛官の戦争法(安保関連法)違憲訴訟である。この判決において争点とされたものは、「戦争法が、違憲か合憲か」ではない。当該の自衛官に、このような訴訟を提起して「戦争法が、違憲か合憲か」を争う資格があるか否か、ということだけなのだ。そして判決の結論は、最悪とは言えないが、非常に厳しいものとなった。
この件の原告となった自衛官は、たった一人で訴訟を提起した。仲間をかたらうことはなく、一審では弁護士を依頼することもなかったという。訴えの内容は、戦争法にもとづく「存立危機事態」において「防衛出動命令」に服従する義務がないことの確認請求である。
ところで、この訴訟を理解するために、「戦争法」のなんたるかを思い出していただきたい。「戦争法」と名付けられた独立の法律が成立したのではなく、集団的自衛権の行使を明文で認める一群の法改正の総体のことなのだ。閣法として、法案を上程した政権の側は、白々しく「平和安全法制」と呼んだ。メディアが「安保関連法」と呼称したのは、ご存じのとおり。
上程された法案の名称を正確に言えば、
(1)「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」(通称 平和安全法制整備法)と
(2)「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」(通称 国際平和支援法)
の総称。(1)が10本の法律にまたがる改正を内容とし、(2) が独立した1本の法律である。
自衛隊法にはもともと防衛出動の条文があった。自衛隊の存在自体を違憲とする立場からは、そもそも戦争法成立以前の防衛出動についても、その職務命令の有効性は認めがたい。しかし、原告自衛官の立場はそのことを問題とするものではない。戦争法が成立して自衛隊法が一部改正になり、これまでにはない新たな事態、つまり、一定の条件で集団的自衛権の行使を認める新制度での防衛出動の職務命令には納得できないということなのだ。
関連条文は、自衛隊法76条1項である。その骨格を引用する。
(防衛出動)
第76条1項 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。
1号 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態
2号 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態
上記の1号が「武力攻撃事態」であり、2号が「存立危機事態」である。お読みいただけばお分かりのとおり、「武力攻撃事態」とは我が国が外部から武力による攻撃を受けている事態であるが、「存立危機事態」は違う。「存立危機事態」では、我が国は攻撃を受けていないのだ。想定されているのはアメリカが第三国から攻撃を受けている場合である。アメリカが、どこかの国から攻撃されたら、その攻撃の理由の如何を問わず、日本が参戦しうることを明記したのだ。
おそらく、提訴した自衛官は、こう考えているのだろう。
「自分は、同胞を護るために自衛官を志した。我が国が武力攻撃を受けたとき、日本を防衛するための防衛出動命令には喜んで従おう」「しかし、日本が攻撃されてもいないときに、同盟国ではあれ他国のために戦うなんてまっぴらだ」「自衛官になるときに、他国のために戦うなんて宣誓はしていない」
その気持ちを支える憲法解釈が「専守防衛論」。日本国憲法9条は、すべての国家が普遍的に有する自衛の権利をもっているから、自衛のための限度を越えない武力を保持して、他国からの武力攻撃を受けたときは、自国を防衛するための武力行使も可能である。しかし、自国の防衛のためではなく、同盟する他国のための武力行使、即ち集団的自衛権の行使は憲法の認めるところではない。
だから、自衛隊法第76条1項2号に定める、「「存立危機事態」における防衛出動」は憲法違反であり、その出動命令にともなう職務命令に従う義務はないはずだから、その旨の確認の判決をいただきたい」ということになる。この裁判は、自衛隊法第76条1項2号に定める、「「存立危機事態」における防衛出動」の憲法適合性を争う訴訟として、大裁判であり注目せざるを得ないのだ。
しかし、問題は合違憲の判断にたどり着く以前にある。そもそも、そのような訴訟が可能なのかという、適法性のハードルをクリアーしなければならない。実は、これが難物。適法でない訴えは、実体審理に入ることなく、却下判決で終了する。
理論的には三権分立のバランスの理解にあるとされる。司法には、立法や行政の違憲審査をする権限が与えられているものの、出しゃばりすぎてはならないともされているのだ。飽くまでも、司法裁判所は、具体的な紛争解決のための審理に必要な限りで、付随的にのみ違憲審査権の行使が可能である。そもそも訴訟は、原告となる国民が自分の権利侵害を回復し、あるいは権利の侵害を予防する具体的な必要がある場合にのみ適法となる。
「違憲国賠訴訟」と呼称されるジャンルがある。一般国民が持つ、宗教的人格権や平和的生存権、あるいは納税者基本権などを定立して、立法や行政行為によって、これが侵害されたとして、国家賠償法を根拠に慰謝料を請求する訴訟の類型である。こうして、訴えの適法性を確保し、政教分離や平和主義などに違反する政府の行為の違憲性を明らかにしようという試みである。これまでのところ、工夫を積み重ね果敢に挑戦はしているが、例外的にしか成果を上げ得ていない。
本件自衛官訴訟は、事情が大きく異なる。彼は、一般国民ではない。現職自衛官として、防衛出動に伴い、現実に国外の戦地に出動するよう職務命令を発せられる可能性を有している。但し、存立危機事態が現実化しているわけではなく、出動命令も可能性の限りのもの。いったい、この訴訟をどのような類型のものと見て、適法であるための要件をどう考えるべきか。本件では、一審と二審が、まったく相反する結論を示した。
その上告審である7月22日最高裁判決は、「訴えは適法」とした二審・東京高裁判決を「検討が不十分」として破棄し、審理を同高裁に差し戻した。その理由は、すこし読みにくいが次のようなものである。
本件訴えは,本件職務命令への不服従を理由とする懲戒処分の予防を目的として,本件職務命令に基づく公的義務の不存在確認を求める無名抗告訴訟であると解されるところ、このような将来の不利益処分の予防を目的として当該処分の前提となる公的義務の不存在確認を求める無名抗告訴訟は,当該処分に係る差止めの訴えと目的が同じであり,請求が認容されたときには行政庁が当該処分をすることが許されなくなるという点でも,差止めの訴えと異ならない。そうすると,同法の下において,上記無名抗告訴訟につき,差止めの訴えよりも緩やかな訴訟要件により,これが許容されているものとは解されない。
つまり、本件訴の形式は「公的義務の不存在確認を求める無名抗告訴訟」だが、その実質は、行政訴訟法に法定されている「行政処分差止めの訴え」と変わらない。だから、適法要件として、差止めの訴えより緩やかとしてよいことにはならない、という。
そして,差止めの訴えの訴訟要件については,救済の必要性を基礎付ける前提として,一定の処分がされようとしていること(同法3条7項),すなわち,行政庁によって一定の処分がされる蓋然性があることとの要件(以下「蓋然性の要件」という。)を満たすことが必要とされている。
だから、公的義務の不存在確認を求める無名抗告訴訟を排斥はしないが、その適法要件としては、蓋然性の要件が必要で、これを満たさない場合には不適法却下となる。高裁の判断は、この点をきちんと審理してのものとなっていないので、差し戻しとされた。
要求される、「蓋然性の要件」は、「行政庁によって一定の処分(防衛出動にともなう職務命令)がされる蓋然性」なのだから、実はなかなか厳しいハードルということにならざるをえない。
内閣は違憲の立法を上程し、国会は数の暴力でこれを押し通す。一方、これを違憲と争うことができるはずの司法の門は狭まるばかり。いったい、これでよいものだろうか。
(2019年7月26日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.7.26より許可を得て転載
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