ビンラディン殺害の謎
- 2011年 5月 11日
- 評論・紹介・意見
- ビンラディン殺害岩田昌征
5月2日未明、かのウサマ・ビンラディンが米特殊部隊によって殺害された。前イラク大統領サダム・フセインの場合と違って、アメリカはビンラディンを生きたまま捕獲する意図が全くなかったようである。その意図があれば、アボタバードの町にあった彼の隠れ家を上空から、地上から、そして地下から完全包囲し、持久戦に持ち込み、投降の可能性を追求することが出来たはずだ。その場合でも、最悪、ビンラディンの自裁はあり得たであろうが、もはや生きて逃亡することは不可能だったであろう。アメリカは、ビンラディンが生きて法廷で何かを語るのを極度に恐れているようである。
もともと、2001年9月11日の後、ビンラディンがアフガニスタンのタリバーン政権に保護されていた時期、タリバーンのオマル師は、イスラム法の法廷で公正に裁かれると言う条件で、ビンラディンをアメリカにではなく、イスラム諸国に引き渡すと提案していた。アメリカは、それを拒否した。彼がイスラム諸国のどこかで開かれるイスラム法廷で無罪を申し渡されることがあったにせよ、その後は公然と姿を現わしたビンラディンをアメリカが常時監視し続け、捕捉する気になれば、いともたやすく出来たはずであった。それなのに、アメリカはそんなタリバーン提案を拒否して、アフガニスタン空爆を選択した。ビンラディンの生きたままの拘束よりも爆殺を選択したようである。
ここで私の旧文「9月11日事件のもう一つのイメージ」(『陰暦月刊・ミて・詩と批評』、2002年3月24日、第33号)を提示したい。私の憶測にすぎないが、今修正する個所は、「ビンラディン・・・・・ならば、生きてつかまえても、大型爆弾で爆殺しても、それはそちらでも良い」と書いた個所だけである。
参考資料:【時評】9月11日事件のもう一つのイメージ
21世紀の最初の年の9月11日、私は、クロアチアの首都ザグレブの喫茶店で数人の建設労働者風の男達とこんな会話を交わしていた。「ヒロシマ・ナガサキで日本人は何人殺された?」、「あわせて30万から40万位かな。しかも一瞬にだ」、「そんなら日本人がカミカゼでニューヨークのWTCにつっ込んでも当然だ」。「?、?、?」の私に、「ホテルの部屋でテレビを見るんだな」。
その日からビンラディン、アルカイダ、タリバンと言うようなそれまで殆ど聞かれなかったカタカナ名詞が新聞やテレビをにぎわす。更に、殆ど論じられることがなかった問題、例えば、タリバン政権下でアフガン女性が教育を受ける機会をまったく奪われている非道な政治が強調され始めた。アメリカ市民社会の総意をになった米軍の航空攻撃の下にタリバン政権が崩壊した後に、やっと学校や大学に行けるようになった若きアフガニスタン女性たちの晴やかな笑顔がテレビに映し出される。とにもかくにも女性解放が実現された。
ハイジャックされた旅客機による自爆テロでWTCやペンタゴンが全壊し半壊し、何千人のアメリカ市民の生命が奪われなかったならば、この価値ある解放は実現されていなかったはずだ。その意味でビンラディン一派によるこの一回のテロ実践は、何万回となくなされて来た女性解放に関する言論活動をはるかにしのぐ実効性を意図せざる所で示したわけである。
ところで、9月11日の同時多発テロルは、ビンラディンやアルカイダの意図と行動だけで実現されたのであろうか。当然そうだ。だからこそアメリカの民政官軍が一体となって、対テロ戦争にとり組んでいるのだ。これが常識で良識である。
非常識な私は、ここで一寸した推測的仮説を出してみたい。ビンラディン達は、かなり以前からアフリカのある国のアメリカ大使館を爆破し、アメリカ海軍の駆逐艦を爆弾ボートで大破させたりして、何十人のアメリカ市民を殺害している。アメリカ政府の方もスーダンの製薬工場やアフガニスタンのアルカイダ施設にトマホークを十何発もぶち込んでいた。そんな危険なビンラディンの周辺に単独超大国アメリカのCIA工作員が潜入していなかったなどと言うことがあるであろうか。9月11日の事件が起るまでは、ビンラディン一派の捕捉に無関心であったなどとはとうてい考えられない。ここまでは事実判断である。
私の仮説はここからである。同時多発テロ作戦の計画作成と実行準備にアルカイダ内部のCIA工作員も深く関与していた。ビンラディン達が切望したとしても、アラブ人だけでは中々形に出来ない大計画もアラブ人に扮したアメリカ人が協力すれば、容易に実行可能性のある形に仕上げることが出来る。ジェット旅客機操縦訓練学校入学に関わる諸困難も簡単にクリアーできる。ここで文末の補注を参照のこと。
勿論、このCIA工作員は、このような市民巻きぞえ自殺テロ計画をその通り実行するためにその作成に協力したわけでは全くない。アメリカ本国の然るべき機関に適時通報されており、その計画の実行途上で実行者全員が生きたまま逮捕される手はずであった。逮捕して、審問にかけ、そのプロセスで、「実は、ハイジャックした旅客機を乗客と一緒にWTCやペンタゴンへ突入させる驚天動地のビンラディンの仕組んだ自爆テロ計画があって、それを未然に防いだ」と犯人達の自白をもとに、その大成果が誇らしげに発表されるはずであった。
どこで逮捕する予定だったのであろうか。彼らの個別のアジトやかくれ家でか。それとも実行当日空港へ行く途中か。それとも空港内のチェックポイントにおいてか。ノーである。それでは全員を一斉に逮捕するのは難しい。
全員がそれぞれ受持ちの航空機に乗り込んでハイジャック行動を開始した瞬間に、ナイフしか持ち込めない彼等に向かってFBIの麻酔弾が一斉に発射されて、まんまと19人全員が生け捕りにされる予定であった。旅客機内と言う逃げ場のない密室においてこそ全員一斉逮捕が容易に出来る。
ところが、最後の瞬間にこのようなシナリオが狂ってしまった。待ち構えているはずのFBIの猛者達がいなかった。ワシントンのどこかでCIAからFBIへの情報伝達と作戦引継ぎが出来ていなかった。油断と言うか、手抜かりと言うか。起るはずのないWTC・ペンタゴンへの突入が本当に起ってしまった。不意打ちに激昴し声を張り上げるワシントンだけでなく、狼狽し沈黙するワシントンもあった。
こうなると、気の毒なのは、この任務に忠実で有能なアメリカ人工作員である。最大最高の大手柄がふっとんだだけでなく、自らもアメリカ空軍の精密誘導爆弾の標的にされざるを得ないからである。彼が無線で連絡をとった瞬間に、彼へ向って誘導弾がとんで行ったはずだ。
狼狽するワシントンにしてみれば、自分達の単純な油断や手抜かりで善良なニューヨーク市民やペンタゴン軍人を何千人も殺してしまったわけであるから、絶対に外部にもれてはならない。
ビンラディンやアルカイダならば、生きてつかまえても、大型爆弾で爆殺しても、それはどちらでも良い。しかしながら、真相と秘密を知るこのアメリカ人工作員は、アメリカ空軍の空爆下で絶対に死んでもらわねばならない。生きて現れて、アメリカ市民社会に真相をしゃべられたならば、アメリカ連邦国家の権威は完全にふっとんでしまう。CIAとFBIの連絡ミスなんてこの際どうでもよい。これは文明と野蛮の新型戦争なのである、と。こうならざるを得ない。
歴史を見ると、これより何万倍もの大きな油断があったことが知られる。1941年6月22日のヒトラーによる対ソ・バルバロッサ作戦発動だ。正確な情報が各地の情報員からモスクワにとどいていながら、スターリンはそれを無視して、緒戦で数百万のソ連軍民の生命をヒトラーに献上してしまった。60年前のモスクワの超大油断にくらべれば、今回のワシントンの油断は小さいものだ。しかしながら、この小さな油断の結果、空爆下で殺されることになったアフガン民衆は、自分達の死をどう考えればよいのであろうか。アフガン女性解放途上の尊い自己犠牲であると観念できるアフガン民衆はいない。
(補注)
ニコラ・カヴァヤなる人物がいる。旧ユーゴスラヴィア連邦軍のパイロット、フランス外人部隊隊員、セルビア愛国者、テロリスト、CIA情報員であった男で、今日、ベオグラードで年金生活をしている。ベオグラードの新市街にそびえたつ旧共産主義者同盟本部の高層ビルがNATO空爆によって大損害を受け、その完全解体が議論されていた去年の11月、ニコラ・カヴァヤがまことに興味深い話をした。20数年も昔のこと、訪米中のチトー大統領暗殺計画がばれて獄中にあったカヴァヤは、多額の保釈金を積んで釈放されると、ボーイング747をハイジャックして、大西洋を横切り、新ベオグラードの中央委員会ビルへの突入を企てた。機中の同志が日和って、突入は断念せざるを得ず、アイルランドに亡命を求めた。亡命は認められず、アメリカに引渡されて、彼は、テロリズム、暗殺準備、そしてハイジャックの罪で23年間をアメリカの獄中で過ごすことになった。9月11日との相違は、乗客を解放してから、シカゴのオハレ国際空港を飛び立った所のみである。すなわち、CIAは、ジェット旅客機による高層ビル突入計画の前例を具体的に知っていたことになる。(週刊誌『ヴレーメ』2001年11月29日、ベオグラード、17ページ)
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