2019.ドイツ便り(8)
- 2019年 7月 30日
- カルチャー
- ちきゅう座会員合澤 清
このところヨーロッパに再び猛暑が襲来している。フランスのボルドーでは41.9℃、パリでも40℃という記録的な暑さになっているという。先日、旅先で見たテレビでは、ロシアのバイカル湖が溢れて周囲一帯に大洪水が起きたようだ。自然現象に異変が起きているように思う。ここハーデクセンでも、37℃という暑さであるが、こんな日には窓を閉め切って、黒い覆いで日光を遮り、部屋の中に居れば結構暑さをしのげる。やはり、日本と違って湿度が低いのが幸いしているようだ。
朝の散歩の時に見る林檎の木の青いリンゴも、毎日大きくなっているのが判る。実が赤くなれば、鳥やリスに食われる前に、もいで食しようと狙っている。
丸々太ったリンゴ
隣のクアパークの噴水
先日久しぶりにゲッティンゲン大学にいってみた。狭い構内にまた新しい校舎が増えていた。やたらに施設を建て増しするやり方は、日本の大学とよく似ている。
ほとんどの講座が夏休みに入っているはずだが、一部ではまだ授業をやっているらしく、夕方の5時過ぎだというのに、教室に入る学生の姿も目に付いたし、メンザ(大学食堂)や、構内のホールには学生がまだかなり残っていた。そして図書館(ビブリオテーク)は、相変わらず熱心な学生であふれている。
大学にはクーラーはまだ設置されてはいないが、ここ数年の間に、市街地の大きな建物(デパート、洋品店、スーパーなど)では空調を備え付けるところが急に増えている。ドイツの社会環境も、それ故人間性も少しずつ変化してきているのを感じる。
<Jさん宅でのホームパーティ>
Jさんからホームパーティをやるから来てくれと連絡があった。Wさんも来る予定だという。家の女主人もちょうど休みの日に当たるため、喜んで参加するとのこと。
彼の家は、ゲッティンゲンを挟み、ここと逆の位置にある。車でゲッティンゲンを突き抜けてハーデクセンまでと同じくらいの距離を進むと彼の家の辺りに着く。
この日も朝からかなりの暑さだったが、風が割に強くて、なんとなく暑さがワン・クッションおいて体に伝わって来るので、それほど感じない。
彼の家のある村に近づいて、少し小高いところから村全体を見下ろすと、なかなか美しい。中央部に小さな教会が立ち、村全体は畑や森林で囲まれている、典型的なドイツの村の風景だ。家のそばには小川が流れている。
住居は一軒を二つに区切った二世帯住宅で、それぞれの世帯には小さいが割にゆったりとした庭が備わっている。
Jさん家の庭
庭から見る遠望(一面の畑)
午後6時からパーティをやることになっていたが、7月のドイツではまだ外は全くの昼日中と同じ、カンカン照りの太陽がまぶしく、日差しは強い。
庭に大きなパラソルを広げ、太陽を遮りながらテーブルに着いた。Wさんも少し遅れてきたが、本人は「時間通りだ」と言い張った。
ビールで乾杯しながら始まる。「プロースト!」という学生風の乾杯の音頭と、「ツム(ン)ヴォール!」(本来の意味は「健康を祈って!」)という音頭が行き交う。
ドイツ流のおつまみは、オリーブの漬物、小さなトマトの中にチーズを入れたもの、スライスしたモッツァレラチーズをスライスしたトマトの上に乗せてドレッシング(バルサミコ)したもの、パン。これらをつまみながら軽くビールを飲む。
次いで本格的な料理とワインの登場となる。肉をグリルしたもの、野菜サラダ、マカロニサラダ、ソーセージをグリルしたもの、これらにいろんな味の香辛料(辛子=ゼンフ)を付けて食べる。
日頃は体重を気にしてか(?)、小食な我が家の女主人も、この日ばかりは体重維持に精出している。彼女は帰りの運転があるため、アルコールをあまり飲めないのがかわいそうだと思っていたのだが、宴たけなわの頃には、ワインをかなりたしなんでいたようだ。
私一人、専ら食い気よりも呑み気が優先していた。
Wさんも当然、車を運転して来ているのだが、こちらはそんなことは一切気にしていないようで、平気でワインやビールを飲んでいた。ドイツ人はアルコールに強い。
その内、我が家の女主人とWさんとで車のスピード比べの話になった。彼女が、ゲッティンゲンからドルトムントまで200キロ超の距離をアウトバーンで、行きは1時間半、帰りは1時間で往復したという話をしたら、負けじとWさんも自慢話を披露していた。
<この日の談論について>
この日はここに5時間もお邪魔することになった。飲み物食べ物も確かに美味しいのだが、やはり活発な話が何よりのごちそうであった。私の怪しげなドイツ語力も、彼らが辛抱強く聞いてくれるおかげで、なんとなく中身の濃い会話が出来たような感じになっている(錯覚かもしれないが)。
先ず、Jさんの連れ合いのNさん(彼女はゲッティンゲン大学の講師)に、何ヶ国語を話すのか聞いてみた。ドイツ語、フランス語、ポルトガル語、英語、イタリア語、それに専門の古代ギリシャ語と古代ラテン語を読むとのことだった。
「専門はニーチェと同じだね」というと、笑いながら「ニーチェは大好きよ」という返事。「でも、ニーチェはかなり壊れているよ」と冷やかしたら、彼女も笑いながら、相槌を打ってくれた。
彼女の父親はやはりギリシャ哲学を教える(プラトンが専門)大学教員で、フライブルク大学を出たという話だった。それならハイデガーを知っていたのではないか、と尋ねたらもちろんだという答えが返ってきた。折角の酔いがさめるので、ハイデガーの話はまた改めて聞く機会があればと願いながら今回は遠慮した。
プラトンの『国家篇』の中の「洞窟の逸話」について、「僕は何度か読み返したのだが、どうもよく理解できない。第一、真っ暗な洞窟の中で外界を知らない人だったら、どうして思考(空想)を膨らますことが出来たのだろうか、この辺から疑問がある」と尋ねた。
彼女も真顔で、確かにこの本は読みづらいし、「洞窟の逸話」の個所は有名だが難しいね、という。お互いにかなりお酒が入っているため、会話はほんのさわり程度で終わる。
Jさん、Wさんを交えての話で、「あるアメリカの経済学者は、後4年位で中国経済はアメリカを追い抜くと言っているそうだがどう思う」と聞いてみた。二人とも、恐らくそうなるだろうという。ドイツでも、身の回りの商品は皆中国製に代わっている。中国の経済進出を強く感じるという。
我が家の女主人曰く「私は中国は嫌いだ」。しかし、経済の問題は好き嫌いではないだろう。ヨーロッパに中国がどんどん進出して来ていることは事実なんだから。
アメリカに対しての批判が集中的に出された。第二次大戦の後、ドイツでも彼らは支配者として横暴なことをしていたという。皆さん、両親からそういう話は大いに聞かされていたようだった。日本では、特に沖縄ではまだアメリカの横暴が続いている。どうして日本政府はいつまでもアメリカに従うのか、大いに疑問をもたれている。
教育の問題では、日本の政府は米占領軍に完全屈服して、教育制度を根本から改めてアメリカ型にしてしまったが、ドイツは敗戦国にもかかわらず、教育制度に関しては一歩も譲らなかったという話。しかし、そのドイツでさえ、戦後教育ではギムナージウムでも大学でも、ヘーゲルどころか、哲学をほとんど教えていない、という。Wさんはハンブルクからブラウンシュヴァイクの大学へ、Jさんはカールシュタットからシュツットガルトの大学を出ている。つまり北ドイツでも南ドイツでもこの事は共通していたようだ。
「ヘーゲル哲学はドイツが世界に誇れるはずなのに、今では日本の専売特許のようになっている。ヘーゲルはドイツ語の文法こそが、論理学の勉強にうってつけだと言っているのだが」といって皆さん方の苦笑と賛同を誘った。
また「日本の外国語教育は、読み書き文法の一本槍なため、少しも面白みがないし、何年やっても会話が出来ないことになる。僕がその実例だ」というと、確かにそれはおかしい、との答えだった。
実際にはこれからが本番というところだった(多分、日本でだったらそうなっていただろう)が、まことに残念ながら議論も今回はこの程度で打ち切りになり、酔いざましのエスプレッソコーヒー(私のみ意地汚く、二種類のフランケンワインを飲み比べていて、連れ合いに怒られてしまった)を飲んでお開きになった。
なんとも楽しい夕べだった。皆さん方に心から感謝したい。
2019.7.29 記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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