本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(231)
- 2019年 7月 31日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
座して死を待つBIS!?
6月30日に「BIS(国際決済銀行)の年次総会」が開催されたが、この時に議論された内容は、私自身も驚くほどに悲観的なものだった。つまり、「金融政策で打つ手が無くなった」、そのために、「財政政策」や「構造改革」、あるいは、「マクロ・プルーデンス」などを含めた「総合的な対策が求められている」という主張だったが、実際には、「座して死を待つような状態ではないか?」とも感じられたのである。
別の言葉では、「マクロ・プルーデンス」、すなわち、「金融システム全体のリスクの状況を分析・評価し、それに基づいて制度設計・政策対応を図ることを通じて、金融システム全体の安定を確保する考え」を強調することにより、「行間に、何らかのメッセージが隠されているのではないか?」という可能性である。つまり、昨年の年次総会で主張されていた「金利のスナップバック(急激な反転・上昇)」に関して、「いつ発生しても不思議ではない状況である」と主張したかったようにも感じられたのである。
そして、この点については、私が想定する「金融界の白血病」や「金融界の玉手箱」、あるいは、「金融界のホーキング放射」と合致する考え方であり、しかも、現在の「世界的な超低金利状態」に関して「タイミングの問題」が指摘され始めたのである。つまり、「2008年前後に発生したGFC(金融大混乱)」に関して、「過去10年間、きわめて異常な金融政策が、世界全体で実施されてきたのではないか?」、そして、結果としては、「今後、大きな反動が訪れるのではないか?」という指摘である。
別の言葉では、「20年以上も継続した、日本の実質的なゼロ金利政策」などに関して、「今まで、どのような力が働いたのか?」を検証し始めた状況のようにも感じられたが、問題は、「中央銀行の中央銀行」と呼ばれる「BIS」にとって、「最後の手段」である「紙幣の増刷」は、各国の中央銀行に強制できない状況となっているのである。つまり、「残された方法は、紙幣の増刷であり、インフレを発生させることである」ということが、「行間に込められていたメッセージ」のようにも感じられたが、この点については、時間の問題で答えが出るものと考えている。
具体的には、「7月から10月」という期間に「デリバティブが完全崩壊を始める可能性」のことだが、さすがに、「BISの年次総会」で、このような意見が出ることは不可能であり、今回、私自身が感じたことは、この点に関する「彼らの無念な想い」、あるいは、「残念な想い」でもあったようだ。(2019.7.4)
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権力闘争の人類史
人生の醍醐味は、「時間の経過とともに、徐々に、さまざまな真理が理解できる点」にあるものと思われるが、この時に必要な条件は、哲学者の梅原猛氏が主張するように、「懐疑心を持ち続けること」だと考えている。つまり、ニーチェの主張する「幼子」の心で、「真剣に世の中を眺めることにより、さまざまな事実が見えてくる状況」のことだが、このような観点から、現在の「私自身の理解度」を考えると、「心の仮説」は出来上がったものの、「実証的な検証」が不十分の状況とも感じている。
具体的には、「どのような意識や行動が、どのような組織や社会を形成するのか?」に関しての「メカニズム」が理解できない状況のことだが、この点に関して必要なことは、「権力闘争の歴史的な検証」だと考えている。つまり、「日本」における「天皇制の歴史」などを詳しく分析することだが、実際のところ、「明治維新以前の状況」を振り返っただけで、きわめて大きな変化が起こっていたことが見て取れるのである。
より具体的には、約800年前の「承久の変」を境にして、「天皇」を中心とした「公家社会」から「武士の社会」へ大転換し、また、その後は、「約400年」もの間、「武力による権力の奪い合い」が起きたことも理解できるのである。つまり、「文明法則史学」が教えるとおりに、「西暦1200年」、そして、「西暦1600年」という「節目」で、大きな変化が発生したわけだが、現在は、「西暦2000年」という「もう一つの節目」に遭遇しており、結果としては、「西洋の唯物論」から「東洋の唯心論」への「価値観の大転換」が起こっているものと考えている。
つまり、「権力の意味合いや決定要因が、大きく変化している可能性」のことだが、今までの800年間は、「武力」や「資金力」が、「権力」に関する「決定要因」だったものと考えている。しかし、「西暦400年から1200年」までの「800年間」については、「まったく違った価値観が、人々を支配していた状況」だったことも理解できるが、実際には、「身分」や「家柄」、あるいは、「精神的な成熟度」のことである。
より具体的には、当時、「仏教」を学ぶことが「最先端の学問」とされ、「貴族」や「公家」などが、こぞって「仏教の習得」に励んだと言われているのである。そのために、現在の「御朱印ブーム」については、たいへん興味深く観察しているが、現時点で、最も重要な点は、やはり、既存の支配勢力である「マネー」に関して、「神から紙へ」というように「権力の失墜」が発生する可能性だと考えている。(2019.7.9)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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